第7章:蒼の継承者(4)

 かつて、魔王イーガン・マグハルトの恐怖支配からシャングリア大陸を解放した四英雄。

『聖王』ヨシュア、『竜王』ヌァザ、『英断魔将』リグの三人は有名だが、残る一人、ヨシュアの弟ノヴァだけは、二つ名で呼ばれる事はほとんど無い。

 歴史家だけが、時に彼をこう呼ぶ。

『悲劇の英雄王』

 と。それには、ラヴィアナ王国のあまり穏やかではない建国理由も絡んでいる。

 聖王ヨシュアの死後、グランディア王国の後継を巡って、家臣達は真っ二つに割れた。ヨシュア王の嫡子レイル王女を擁立する王女派と、ノヴァを推す王弟派である。王弟派はレイルが成人していない事を、王女派はヨシュアとノヴァは血の繋がりが無い義兄弟である事を、それぞれ否定理由に挙げ、争いは泥沼化していった。

 そして、悲劇は起こるべくして起きた。周囲の高すぎる温度に辟易した叔父と姪が、お互いの親交はたしかなものであると示す為に開いた宴で、レイル王女に出された飲み物を彼女が拒否し、代わりにノヴァが口にした事で、劇薬が彼を襲い、一瞬にして命を奪ったのである。

 王弟派の中でも過激な一派が仕組んだ毒殺計画によって、彼らの主は息絶えたのだ。

 跡継ぎが一人になった結果、グランディア王座にはレイルが就き、最後までそれを認められなかった王弟派は、ノヴァの遺児フィーリーを擁し、シャングリア北西部にラヴィアナ王国を建国。以後二百五十年近く、グランディアとの国交を絶った。

 エステルの祖父アルベルト王の治世になって、彼と時のラヴィアナ王ヴェルハルトが聖王教会にて会談を行い、国交が結ばれたのだが、『悲劇の英雄王』の運命は、子孫にも降り注ぐものなのだろうか。その三十年ほど後に、ラヴィアナは崩壊の道を辿ったのである。


 聖王教会を発った遠征軍は、セルバンテス大司教から託された地図と方位磁針を頼りに、ラヴィアナ領内に踏み入った。

 人の住めない地になったと言われていたが、王都から離れた場所ではまだ人の営みが残っているようだ。サナグル山の谷間にぽつんと存在する集落を見つけたエステルは、数名を引き連れると、旅の冒険者団を装って集落を訪れた。

「そんなに珍しいもんじゃないぜ。帝国ができてからこっち、あんたらみたいに、ラヴィアナやフィアクラにお宝が残ってると賭けてやってくる連中は、わんさかいたさ」

 宿があったので、旅人は珍しくないのか、と訪ねたところ、黒髪に黒い肌と長い耳を持つ、魔族の主人は、ひらひら手を振って答えた。

「何だ、あんたら、ラヴィアナの事をあまり知らずに来たか? 魔族も珍しくないぞ」

 エステル達が無言に陥って顔を見合わせたのを、自分の姿が異質に映ったと捉えたらしい。主人は鋭い目を細めて続ける。

「魔王教団の方針と合わなくて、ニヴルヘルから逃げ出した魔族は結構いてな。それを歴代のラヴィアナ王は積極的に保護してくれたんだよ」

「魔王教団?」

 初めて聞く名前に、アルフォンスが代表するように眉をひそめて聞き返す。主人は、「あー、あんたら、本当に知らないんだな。まあ、今のご時世仕方無いか」と肩をすくめ、背後に貼ってある大陸地図を振り返った。腰を据えて話してくれる気になったようだ。

「流石に、魔族居住区ニヴルヘルは知ってるよな? 魔王教団ってのは、そこで興った、文字通り魔王を崇拝してその復活を目論む連中さ」

 主人は、十八年前のままの国家が記された地図の、ラヴィアナ領から遙か北東に指を滑らせ、『ニヴルヘル』と書かれた場所を示す。大陸最大領土を誇るグランディアに比べたらかなり小さいラヴィアナより、更に狭い。

 こんな狭苦しい寒冷地で、魔族は敗北の屈辱にまみれ、聖王や人間への憎悪を募らせていったのか。その結果がニードヘグという男なのだろうか。エステルの胸に複雑な思いが去来したが、すぐにそれを打ち消す。

 ニードヘグは大陸の平穏を乱し、両親の命を奪い、レディウスという怪物を生み出して、大勢の運命を狂わせたのだ。理由はどうあれ、決して許してはならないし、同情もすべきではない。

 エステルが唇を噛み締めてぐっと拳を握り込むのを、主人は魔王教団への怒りと受け取ったのだろう。「おいおい」と両手を降参の形に掲げた。

「魔王教団は、魔王の側近だった『お偉方』が、他種族を逆恨みして好き勝手してる、旧時代の遺物みたいなもんだよ。そいつらと一緒くたにされるのは、さすがにごめんこうむりたいぜ」

「あっ、すみません。いえ、そうではないのです」

 先程から、自分は彼に誤解を与えてばかりだ。これ以上心象が悪くなっては、情報をもらう事もかなわなくなるだろう。慌てて両手を振り、頭を下げると。

「まあいいさ。グランディアでは、旧王国の王女様が率いる解放軍が、遂に帝国を倒したって言うが、俺達の生活がすぐに変わる訳でもなし。その王女様ってのが『優女王』の跡を継いで、俺の目が黒い内にそういった行き違いを消してくれれば、万々歳、だね」

「はい」

 努力します、と言おうとしたところで、隣から飛んできた裏拳が脇腹を軽く叩(はた)いた。驚いて振り向けば、クレテスが苦い物を噛み潰したような顔でこちらを見下ろしている。

 黙ってろ。

 たしかに唇がそう動いたので、不自然に視線を泳がせる。彼の言う通り、その解放軍の王女様がまさに今ここにいると露呈してしまっては、あらぬ騒ぎを起こしかねない。

 エステルが黙り込んだのを、もうこちらからの話題は無いと判断したらしい。主人が質問を投げかけてきた。

「ところでおたくら、王都タイタロスまで行くつもりかい?」

「ああ、そうだが。何か不都合が?」

 テュアンが不審そうに訊き返すと、「いや、不都合っていうか何というか」と主人は曖昧に否定し、顔の前にだらりと手を垂らしてみせる。

「……出るぜ?」

「え」たちまちクラリスが口元を引きつらせて身を縮こめた。「出るって、お化け? まさか」

「いや、マジだって聞いた事がある」

 聖剣士の制服からいつもの旅装に戻ったピュラが、顎に手を当て、記憶を探るように宙に視線を馳せた。

「十年以上前に、聖王教会がタイタロスへの調査隊を派遣した時だ。王都にはもう誰もいないはずなのに、焼け落ちた建物のそこかしこに何者かの気配があって、幽霊か不死者アンデッドじゃねえかって調査隊員がビビりまくってな。城へ辿り着けず、ほとんど何の成果も挙げられずに帰還したらしい」

「何でそういう追い打ちかけるんですか!?」

 クラリスが悲鳴じみた声をあげ、頭を抱えて呻く。

「うう。生きている敵が相手の策ならいくらでも考えつくんです。でも幽霊じゃあ、何してくるかわからないじゃないですか。武器も魔法も通用するかわからないじゃないですか。そんなのにどう対抗しろって言うんですか」

 その場にいる全員の視線が、クラリスを憐れむように向けられ、「あー、まあ、なんだ」と、主人がたしなめるように、下げていた手を振る。

「あんたらも冒険者の端くれなら多少の無茶はするだろうが、ちゃんと情報共有して、奴らの仲間入りだけはしてくれるなよ」

「努力します……」

 先程クレテスに止められた言葉を、違う意味で小さく洩らす。たしかに、滅びた国の怨念と向かい合うのは、精神的にもかなり疲弊するだろう。エステルはこれからの道程を思って、ほのかなため息をつくのであった。


 更に北へ向かう事二日。突如として遠征軍の前に現れた森は、霧深く、たちまち視界を塞いでしまった。方位磁針は目まぐるしく差す方向を変え、今、どの方角に進んでいるかもわからない。アルフォンスがガルーダを駆って森の上空へ舞い上がろうとしたが、どこまで上昇しても白い霧が晴れる事は無く、諦めて地上に戻ってくるほどだった。

「恐らく、いえ、確実に、魔法の霧だと思われます」

 ティムと共に周辺の魔力探査を行ったセティエが、深刻そうな表情でエステルに報告する。

「我々を幻惑する為に用いられているものだと。この森一帯に張り巡らせるほどです。相当の魔力の持ち主と見て、間違いないでしょう」

 それはすなわち、魔王教団の手の者が関わっている可能性が高い、という事だ。由々しき事態にどう対応すべきか、エステルが思案に暮れていると。

「全員構えろ、魔王教団だ!」

 テュアンが二振りの剣を抜き放ち、注意喚起を全軍に飛ばす。それと同時、黒ローブの魔族達が白い霧の向こうから現れ、遠征軍に襲いかかってきた。各々が即座に武器を構えて応戦する。エステルも思考を断ち切って剣を鞘から抜き、双剣を手に身軽に飛びかかってくる暗殺者然とした魔族を斬り捨てた。

 混戦は、どこまで続いただろうか。次々に現れる敵と斬り結んでいる内、エステルがふと気づくと、周囲には誰もいなくなっていた。今しがた倒したはずの魔族の死体さえ、白い霧の中に紛れて見えなくなっている。

「テュアン」

 そんなに深追いしたつもりは無いのに、いつの間に皆とはぐれてしまったのか。

「アルフォンス! リタ! いませんか!?」

 叫んでも返事は無い。急速に心細くなり、不安と焦燥が胸を圧迫する。

「――クレテス!」

「エステル?」

 今一番隣にいて欲しい相手の名を呼んだ瞬間、応えがあって、霧の向こうから左腕をつかまれた。利き手ではなかったので、反射的に右手の剣を構えたが、至近距離に現れた、見慣れた驚き顔に、ほっと息を洩らして手を下ろす。

「ったく、いきなりいなくなるから心配したぞ。皆が待ってる。戻ろうぜ」

 幼馴染は呆れの吐息をつき、エステルの手を引いて歩き出す。ついてゆこうとして、エステルは違和感を覚えた。

 何故、彼はこの深い霧の中、自分を見つけられたのだろう。何故、帰り道を知っているのだろう。それに、手に込められた力がやたら強い気がする。こちらの意志など無視しているかのようだ。

(クレテスじゃあ、ない?)

 浮かんだ疑念は、恐怖に取って代わられる。愛しい少年の姿をした、彼ではない何者かが、どこかへ自分を連れ去ろうとしている。それを確信して、頭から血の気が引き、剣を握り直そうとした時。

 どっ、と。鋭い物が肉を貫く音が耳に届き、クレテスの姿をした何者かが「ぐふう」と呻いて身体をくの字に折った。手の力が緩んだので、咄嗟に振りほどいて見てみれば、大きな氷槍が、目の前の何者かの胸に突き刺さっている。確実に、心臓を狙った一撃だった。

 少年の振りをした者が、血を吐いて地面に倒れ込む。偽装魔法が解けたのか、金髪の少年だったその姿は、黒ローブの年若い魔族へと変貌してゆく。

「聖王、の、血筋、滅びろ……」

 もう助からないだろう虫の息の中、黒い瞳が、憎々しげにエステルを睨み上げる。

「魔王様に、魔族に、栄光あれ……!」

 呪詛を遺言にして、魔族の少年はそれ以上を紡ぐ事無く事切れた。

 今まで、恨み言を向けられた事が無かった訳ではない。だが、こんな幼い少年にすら憎悪を抱かれるとは、人と魔族が理解し合う未来は、果たして本当に訪れるのだろうか。暑くもないのに全身がどっと汗をかき、すぐに冷えてゆく。

 しかし、感傷に浸っている場合ではない。今回も助けてくれた誰かがいるのだ。そして、氷の魔法である事から、想像はつく。

「貴女はこの大陸の希望。ゆめゆめ油断される事の無いように」

 やや低めの声が霧の向こうから聞こえ、予想通り、聖王教会で見た白髪の魔族が、姿を現した。

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