第7章:蒼の継承者(1)

「さあ皆の衆、祝杯を挙げようではありませんか! ミスティ女王陛下のご息女の華々しいご帰還に!」

 公爵の一声に合わせ、貴族達はめいめいに酒の入った杯を掲げた。

 アガートラム城の大広間は、エステル王女率いる解放軍の勝利を祝う王国貴族達で溢れ返り、楽団が高価な楽器を鳴らして、優雅なダンスが披露されている。数刻前まで帝国に支配されていた城下街はいまだ戦いの傷痕も癒えていないのに、呑気なものだ、とクレテスは半眼で貴族達を見つめていた。その貴族達も、つい先程まで、ミスティ女王を無能の女と罵って、レディウス皇子に尻尾を振っていたのだ。実に素早い掌返しである。

 決戦が終わった後、エステルは貴族達が連れてきたメイドに囲まれ、仲間達から引き離されて連れてゆかれた。そして今、彼女は贅を尽くした桜色のドレスに包まれて、所在無げに貴賓席へ座っている。化粧を施された顔が不安げにきょろきょろと周囲を見回しているが、彼女の周りには、公爵家だの伯爵家だのの子息が寄り集まって、我先にと話しかける。それが彼女の混乱と心細さをより煽るとも知らないで。

 周囲に目をやれば、ラケやリタ、セティエにも、どこぞの馬の骨とも知れぬ男共が群がっている。ムスペルヘイム王国筆頭騎士であったユシャナハ家と縁を結べば、王族のいなくなったの地を領土として得られる可能性が出てくる。高名な魔道士であったニコラウス・リーヴスの孫娘は、その魔道の知識だけでなく、政治的にも利用価値があるだろう。リタはあからさまに嫌そうな顔をし、ラケやセティエも辟易した表情だが、男達は気にも留めないようだ。

 反して、共に戦ってきた他の仲間達は、爪弾きの態にあった。クレテスを含む男性陣は見向きもされない。王国傭兵隊長だったというテュアンも輪の外にいるのは、彼女のかつての交友関係や栄誉を今後の施政から切り離したい、貴族達の嫉妬だろう。シャンクスやゼイルら、不本意ながらも帝国騎士の地位にいた者は、城内の見回りを大義名分に、宴の場から遠ざけられている。かろうじてエステルに近しい者が招かれているのは、結局のところ、彼女へのなけなしの義理立てで、隠密の頭として陰に陽に活躍してきたクリフに至っては、「卑しい盗賊風情が王女殿下の周りをうろつくなど、言語道断」と、当然のごとく城から叩き出された。

 ここは、政治の場なのだ。笑顔の仮面の下に野心と陰謀が渦巻く、泥沼の地なのだ。

 そんな場所にエステルを放り込む為に、戦ってきたのではない。彼女を支えたくて。隣に立って戦いたくて。心からの笑顔が見たくて。その為に、剣を取った。

 前夜の告白は、もう何年も遠い過去の思い出のようで、手を伸ばしても届かない距離に彼女はいる。きちんとした答えを返すべきだった、という後悔は、今更しても詮無いものだ。

「おい、邪魔だぞ。騎士くずれが」

 どん、とぶつかられて、クレテスの意識は現実に返ってきた。鋭い目つきで振り向けば、そんな風に睨まれる事に慣れていないのだろう。中年の貴族は一瞬怯んだ表情を見せたが、すぐににやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「ディアス・シュタイナーの息子とやらか。顔は似ていないが、生意気そうなところは、流石父親譲りだな。それとも母親がそういう男と通じたのか?」

 両親を貶められ、瞬時に頭に血がのぼり、しかし、抑えろ、と冷静な自分が囁きかけてくる。この貴族は、公式の場でクレテスを激昂させたいのだから。

『そら見ろ、旧王国家臣の子供達は、騎士としての礼儀もわきまえていない』

 などといちゃもんをつけ、エステルから仲間達を更に遠ざけようという意図のもとに、このような侮辱をしているのだ。

 だから、クレテスは居住まいを正し、きっちりとした角度で貴族に頭を下げた。

「申し訳ございません。正式な訓練を受けずに育ちましたもので。今後皆様のご指導の下、誇りあるグランディア騎士として大成してゆきたい所存にございます」

 噛みついてくると思った少年が、謙虚な態度を取った事に、気勢を削がれたのだろう。貴族は先程睨まれた時より更に怯んだ表情を見せたが、何とか矜持プライドを保って、居丈高に胸を張る。

「う、うむ。その心構えでエステル王女殿下と我々に尽くすのだぞ」

(尽くすのはお前達にじゃあない)

 低頭したまま心の中で悪態をつき、顔を上げれば、琥珀色の飲み物の入ったグラスが眼前に差し出された。

「まずはその忠誠心を見せてみよ。あちらにおわす王子殿下にこれをお届けするのだ」

 貴族の視線を追えば、窓際に、アルフォンスの姿が見えた。正装に身を包んでいながらも、ファティマがしっかりと寄り添っている以外は、数人の貴族の子息しか傍にいない。エステルと比べれば、とても王位継承権第一位とは思えない扱いである。

 黙ってグラスを受け取り、再度頭を下げてから、窓際へ向かう。貴族達と何か言葉を交わしていたアルフォンスは、クレテスが近づいてくるのに気づくと、笑顔を保ったまま、彼らを追い払うかのように話を切り上げ遠ざけた。

「随分とあからさまな待遇の違いだな」

 声を低めて、呆れ気味に話しかければ、「当たり前だよ」アルフォンスは肩をすくめてみせる。

「他国の騎士を経験して酸いも甘いも知っている王子に娘を嫁がせるより、解放軍の旗頭を務めた無垢な王女を息子が娶った方が、国を掌握しやすいだろう?」

「エステルが無垢かは置いといて、たしかに」

 伊達にカレドニアの将軍として、地獄に近い光景さえ見てきた少年ではない。エステルが聞いていたら、『それって、私の性格が悪いって事ですか!?』と頬を膨らませそうな返しをして、クレテスはアルフォンスの前にグラスを掲げてみせた。

「おれが貴族あいつらならこう考える」

 琥珀の液体に映った自分の顔から、感情が抜け落ちる。

「王女を女王の座に据え、彼女の周りにうろつく余計な『ご友人』がたを排除する為に、宴の席で王子を毒殺し、その罪を『ご友人』になすりつける」

「邪魔者が一気にいなくなる寸法だね」

 僕もそう思う、とアルフォンスが両手を肩の高さに挙げて苦笑する。自分の生命が狙われているのに、危機感を覚えさせないのは、傍らのファティマが、平然と凪いだ顔をして、愛しい義兄あにを見上げているからだろう。彼女はアルフォンスの死を一切『視て』いないのだ。

 では、この後何が起こるのか。狡猾な貴族が牛耳るこの茶番を覆す鍵は、誰が握っているのか。少し焦れ始めた時。

 大広間の扉が勢い良く開き、二人の人物が入場してきた。

 クラリスとピュラであった。そういえば終戦後から、この従妹達の姿が見えないとは思っていた。クラリスはグランディア騎士服を身につけ、ピュラに至っては、見た事の無い白い制服然とした装いをして、今までの鋼鉄の剣ではなく、真紅の鞘に収まった銀の剣を腰に佩いている。

 一体どういう事か。場がざわめきに包まれる中、二人は何故かクレテスの方へ迷い無く歩いてきたかと思うと、ピュラがまるで王族にそうするかのように少年の前でひざまずいて、頭を垂れた。

「時が至るまで口にせぬよう言いつかっていた為、言動に敬意を払わずにいた無礼をお許しください。クレテス・シュタイナー様。いいえ」

 いつもの軽薄な態度からは想像もつかない口調で彼は告げ、そして、その名を舌に乗せた。

「正統なるノヴァ・クレインの血を引きしラヴィアナ王国の継承者、ノヴァ・クレイン・フォン・ラヴィアナ三世殿下」

 しん、と。

 楽団が演奏を止め、大広間が静まり返る。

「……なんだって?」

 自分の間抜けな声がやけに大きく響くのを、クレテスは自分の耳でしっかりと聞き届けた。

「驚かれるのも無理はございません」

 呆ける少年の手から杯が落ちて、琥珀色の中身が絨毯に染みゆくのにも構わず、ピュラのかしこまった口上は続く。

「改めて名乗り申し上げます。自分は、聖王教会が『克己エクセリオン』の聖剣士、ピュラ・リグリアス。大司教セルバンテスの密命を受け、殿下がエステル王女と共にグランディアへ来られる日を、お待ちしておりました」

「貴様!」

 途端に、エステルを囲んでいた公爵が大声を張り上げた。

「ここはグランディアぞ! エステル王女殿下の御前だぞ! 誰の許可を得て、そんな不遜な発言をしている!?」

「真実の前に、許可も不遜もございません」

 今度はクラリスが凜と口を開いた。

「それよりも、公爵閣下。貴方には、領民から長きに渡る過度な搾取の訴えが上がっております。証拠はこちらに」

 つぶらな瞳を極限まで冷たく細めて、彼女は紙束を突き出す。

「二十年前までの平均値と、領民の証言による、過去十六年間の租税と徴兵の変化。全てをまとめております。釈明は、裁判にてどうぞ」

 公爵の顔色が、ほろ酔いの赤から、あっという間に青ざめる。

「他にも、帝国の威光をかさに着て民を苦しめた方々を、告発させていただきます」

 クラリスが次々貴族達を名指ししてゆく度に、どよめきが増す。彼女がようやく口を閉じるのを待ち構えていたかのように、シャンクスやゼイルら王国騎士が踏み込んできて、名を呼ばれた貴族達を拘束した。

「連れていってください」

 シャンクスに指示を送る従妹の姿は、まるで歴戦の兵(つわもの)達を率いてきた名軍師のごとき、だ。流石祖父が同じ、名のある軍師だけある。そこまで考えたところで、違う、とクレテスは思い直した。目の前の聖剣士は、自分がシュタイナー家に連なる血筋ではないと、そう言ったのだ。

 エステルと自分達を分かつ存在は排除された。だが、少女が不安げにこちらを見つめているのが、視界の端に映る。

「どうか、聖王教会へ赴き、我が養父ちちセルバンテスより、貴方様の出生についてお聞きください、殿下」

 ピュラが顔を上げ、まっすぐにこちらを見すえる。

 青灰色の瞳に、出会った時の飄々とした調子は宿っておらず、真剣そのものであった。

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