第6章:桜色の舞う中を(8)
アガートラム城下街は混乱の極みにあった。
帝都を守っていた帝国兵が、解放軍を迎え討つ為に出陣していった後、皇城からおびたただしい数の魔物が現れ、事態を飲み込めず呆然とする人々に襲いかかったのである。
キマイラ、
人々は城下街の出入りを担う大門に殺到するが、白亜の門は固く閉ざされたまま。皆が叫びをあげて叩いても、びくともしない。見殺しにされたのだ、と恐怖に囚われる民の背後から魔物が飛びかかる。三百年の歴史を誇る聖都の石畳は赤く染まって、死体が折り重なるように通りを埋めてゆく。
「皆、希望を捨てるな!」
かねてより、旧王族を慕う者達を集めて義勇軍を編成していたシャンクス・キルギスタは、懸命に剣を振るって魔物の首をはね、檄を飛ばす。
「エステル王女率いる解放軍が、もうすぐ来る! それまで持ちこたえるのだ! 希望を捨てるな!」
そう怒鳴りつつも、彼の胸にも黒い予感の雲が立ちこめていた。
いくら亡きミスティ女王に今も忠誠を誓う者が多いとはいえ、義勇軍の数は、城下の民を守って戦うには圧倒的に少ない。解放軍は帝都の外で正規軍の全力の阻止を食らっている。そして魔物は、倒しても倒しても次から次へと現れ、際限が無い。同志もじわじわと数を減らしてゆく。
間に合わないのではないか。解放軍が帝国軍を打ち破るより先に、城下の人間が死に絶えるのではないか。
結局あの竜族の娘も、やはりレディウス側だったという事か。希望を鼻先にぶら下げておいて、絶望に叩き落とし、エステル王女の心に更なる打撃を与える手回しをしたのだろうか。
そう考えて、ぶんぶんと首を横に振る事で、暗い思いを打ち払おうと努力する。
あれだけ真摯に自分達を手助けしてくれた女性を、今更疑うのか。エステル王女の手腕を信じないのか。それこそが、レディウス皇子が望む、自分達の絶望ではないか。旧王国副騎士団長として、あるまじき考えだ。
思考の輪に入り込んでいたシャンクスは、魔物の咆哮ではっと我に返った。三頭狼が、鋭い牙の覗く大口を開けて飛びかかってくる。
咄嗟に剣を握り直すが、腕を持っていかれる方が早いだろう。戦場で気を抜くなど、三流以下の戦士の行いだった。後悔と諦めの鉛が腹に落ちて、頭から血の気が引いた時。
ごとり、と。
シャンクスを呑み込もうとしていた三頭狼の首がひとつ、地に落ちた。痛みに襲われたのだろう、魔物が絶叫をあげながらのけぞる。
騎士は自分の命の恩人の顔を見ようと、傍らに立つ者に視線を馳せる。そしてその目を、驚きで限界まで見開いた。
見間違えるはずが無い。今は亡き騎士団長ランドール将軍と共に、王国軍の最前線を走っていた傭兵隊長。その面差しは、十七年の時を経ても、美しく輝いている。
「テュアン・フリード!」
名を呼ばれた女剣士は、ちらりとシャンクスに一瞥をくれると、唇の端を持ち上げた。
「よく持ちこたえたな、『猛獣』」
若い頃の渾名で呼ばれて、目頭が熱くなるうちに、テュアンは再度三頭狼に向き直り、両手それぞれに長剣を握る。利き手の左には、慣れ親しんだ鋼鉄製の剣を。そして右には、祝詞が刻まれた銀の聖剣『
テュアンが地を蹴る。二振りの剣は、桜の花びら舞い落ちる青空の下、太陽光を受け輝いて、鮮やかに三頭狼の残る頭を落とし、地に伏せさせた。
アルフレッド・マリオスが落命した情報は、義勇軍にも届いていた。旧王国屈指の聖剣士さえ、レディウス皇子の前には赤子同然だったのかと、誰も彼もが震え上がり、アルフレッドの喪失を嘆いた。その形見を今、彼と最も親しかった女剣士が手にして、決戦に挑んでいる。胸を締めつけられる思いに、シャンクスはとうとう滂沱した。
しかし泣いている場合ではない。解放軍の一角を担ってきた彼女がここにいるという事は。
「クラリスからの伝言だ。耳の穴かっぽじってよーく聞けよ」
更に襲いくる不死者の群に向かい合いながら、テュアンが不敵な笑みを浮かべた。
「『同志が貴方のもとに辿り着いたならば、鐘楼の鐘を三度鳴らし、東水門を全開に』」
ムスタディオ・シュタイナーの孫であるクラリス・フェイミンは、十一の歳からシャンクス達旧王国派の協力者だった。あの少女はいずれ、祖父を凌駕するほどに大成する。そう信じて、義勇軍の軍師の座を任せた結果、彼女は、幼さを感じさせない、実に良き参謀として立ち回ってくれた。
今回も、帝国軍の隙を突く策を講じてくれたのだろう。その伝言役に、シャンクスと面識があるテュアンを潜り込ませたのが、信頼の証だ。彼女ならば、各所が閉ざされていても一人で潜り込めるほど、アガートラムの隙に通じている。クラリスはそれも織り込み済みなのだ。
「動ける者はいるか! 二名で良い!」
不死者に向けて斬りかかるテュアンの背を見送りながら、涙を袖で拭い、声を張り上げる。たちまち旧王国騎士の義勇兵が二人、駆けつけた。
「そなたは鐘楼へ走って鐘を三度鳴らせ。それを聞いたら、そなたは東水門を開くのだ」
命令に慣れた元副騎士団長の言葉に、かつての騎士魂が燃え上がったのだろう。兵達は王国式の敬礼をすると、それぞれの役目を果たす為に駆け去る。
その背を見送ったシャンクスは、剣を握り直し、テュアンの加勢に入った。クラリスの策が成就するまで彼にできるのは、民を守り続ける事だけだ。
元傭兵隊長の剣舞に並んで不死者を斬り捨てるが、先程以上に、時間の流れが遅く感じる。鐘はまだか。部下達は魔物に食われてはいまいか。焦りが胸に生じるが。
「手元が狂って自分がやられてたら、笑い話にもならないよ」
隣でテュアンが剣を振るいながら苦笑するのを聞いて、多少の冷静さが戻ってきた。気が急くのは若い頃からの悪い癖だ。ランドール将軍にも、
『君は私とそう歳が変わらないのに、時折少年のように血気に逸るきらいがある』
と、困った顔をされたものだ。最後に別れた二八二年の冬にも、将軍と共に尽きる覚悟だったが、生き延びて、彼の意志を繋ぐように諭された。その約束を果たす目前で倒れる訳にはいかない。気合いを込めて不死者を斬り伏せた時。
甲高い音を立てて、全力で鎚をぶつけているだろう鐘の音が、三度、城下街に響き渡った。
心臓が跳ね上がる。半分は期待、半分は恐れだ。本当に策は成就するのか。水門を開いて、何が起きるのか。
だが、答えはシャンクスが思うよりも早く出た。
轟音が近づいてくる。それと同時に、鼓膜を突き破らんほどの鬨の声も。
旧王国が
城下街の通りはたちまち
解放軍は集合離散を繰り返していると聞いていたが、目の当たりにした今の士気は高く、動きにも無駄が無い。
いや、それだけではない。盟主として立つ者の牽引力に、皆がついてきたのだ。
シャンクスがその考えに至るのを待っていたかのように、軍師クラリス・フェイミンと、彼女の守護者である剣士ピュラ・リグリアスを伴って、周囲の戦士達に指示を送りながらこちらへ向かってくる少女の姿が視界に入った。
策は成ったのだ。確信した途端、引っ込みかけた涙が、再びぶわりと溢れ出す。
「裏通りまでくまなく探してください。これ以上誰一人、民に犠牲が出る事の無いように」
水流に便乗してきて、髪は頬に張りついているが、その色はたしかにかの女性と同じ水色がかった銀。翠の瞳もそっくりだ。顔にはまだ少女らしさを残しているが、戦いによる緊張を帯びる凜とした表情は、父親を彷彿させる。
「――エステル王女殿下!」
少女があと数歩の距離まで来た時、膝は自然に折れていた。その名を呼びながら深々と低頭すれば、十七年積み上がったものは、最早止まらなかった。
「貴女様のご両親を救えず、帝国兵には『負け犬』と、民からは『売国奴』と呼ばれ蔑まされた日々の中、貴女様のご帰還を信じて、今日まで生き恥を晒してまいりました……!」
感極まり、肩を震わせながら言葉を紡ぎ出す騎士に、「シャンクス殿」と王女が呼びかける。母親よりやや高い声だが、王族としての威厳は既に備わっていて、身が引き締まる思いを得る。
「これまでよく、同志を守り戦ってくださいました。ありがとうございます。そして、知らなかったとはいえ、貴方がたの苦難を余所に過ごしていた今までの十数年を、本当に申し訳無く思います」
「勿体無きお言葉」
この、他者を思いやる心は、間違い無く敬愛した『優女王』の血筋だ。胸にこみ上げるものをぐっとこらえて、シャンクスは長剣を眼前に構え、声高に、グランディア騎士が忠誠を誓う口上を述べる。
「これからは王国騎士として、エステル王女、アルフォンス王子、正統なるグランディア王族の為に、誇りを持って戦う事を、聖王神ヨシュアに誓います!」
その言葉に合わせるように、シャンクスの周囲にいた旧王国派の騎士達も、彼に倣って剣を眼前に掲げる。輪の中心に立つエステルは、居並ぶ一同を見渡し、そして、全てを引き受けた、とばかりに深くうなずいた。
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