第6章:桜色の舞う中を(5)

 季節は春の盛りを迎え、シャングリア大陸では一年を通して比較的温暖なグランディアにしか根を張らない、桜の木々が蕾をほころばせる。

 桜色の舞う中、ゼイルの軍とセルデの部下達という即戦力を加えた解放軍は、北上を続ける。

 その中で、解放軍は帝国軍が陣取る都市を次々と解放し、どこへ行っても歓迎された。

「正統なるグランディア王家の姫と王子が戻られた!」

「今こそご両親の無念を晴らしてください!」

「我々はエステル様、アルフォンス様を支持いたします!」

 市民はグランディア王族の双子を熱烈に激励し、大いなる期待を寄せる。

「ジャンヌ王女もおっしゃっていた」

 歓声をあげて懸命に手を振る民に手を振り返しながら、エステルの傍らでアルフォンスがぽつりと呟いた。

「国を国たらしめるのは、王ではない。指導者を信じ、ついてきてくれる民があってこそだと」

 ここまでの旅路は、決して正義だけの道ではなかった。希望と同じくらい憎悪も向けられた。呪われろ、と恨みの言葉をぶつけられた事もあった。

 それでも、心折れずにいられたのは、解放軍の同志達と、自分達を支えてくれる民の声のおかげだ。決してエステル一人の力では為し得ない事であった。


 その後も解放軍は快進撃を続け、遂に、帝都アガートラムに最も肉薄するラクールの街へと到達する。

 しかし、事ここに及んでも、アガートラム皇城にいるはずのレディウス皇子は沈黙を保ち、大陸を狂わせた元凶である反逆者、ヴォルツ皇帝は、姿を見せる気配を微塵も感じさせなかったのである。


 明日になれば帝都攻略戦が始まる。

 かつてない激戦となるだろう。今まで背を預けて戦ってきた相手も、ほんのわずかな瞬間目を逸らしただけで、いなくなってしまうかもしれない。

 そんな決戦を前に、戦士達は、せめてこの時間を、大切な人と共に過ごそうとしていた。


「珍しいじゃん、姐さんの方からオレを呼び出すなんて」

『夕食後に領主の館の中庭に来て』という願いを受けたクリフは、呼び出した当の本人、セティエ・リーヴスを、不思議顔で見つめる。

 いつも鋭い視線で拒絶するのが嘘のように、しおらしい顔をした少女は、手を背後に組んで、もじもじとしていたのだが、不意に話を切り出した。

「貴方の故郷って、アルフヘイムにあるのよね」

「あ? ああ」

 何故今、自分の故郷の話になるのか。相手の意図が読めないながらも、クリフは首肯する。

「貧しい孤児院だけどさ、皆、仲良く暮らしてたぜ」

 過去形でしかものを言えないのが痛ましい。あの孤児院は、帝国兵が町を襲い略奪した時に、火を放たれ、美しい院長先生は兵に連れ去られてしまった。

 仲間達の半分も助け出せず、わんわんと泣き喚くちび達の手を強い力で握り締めながら、クリフは帝国への復讐を誓った。

 生来の器用さのおかげで、鍵開けと隠密行動、暗器の使い方は独学で習得した。そして、帝国に恭順する貴族の館に忍び込んでは、囚われた女性達を解放し、奪った金品を貧しい民にばらまいた。

「オレ、解放軍に参加できて良かったよ」

 自分一人の活動だけで帝国を止める事はできない。リヴェールの惨劇に立ち会った時、それを思い知った。自分のしている事は、山道を塞ぐ大岩を、針で突く程度の抵抗でしかなかった。それを解放軍での戦いの中で痛感できた。

 それに、特別に想う相手もできた。これを言えば、また、「何を言っているの、貴方は」と、目の前の彼女は呆れ顔をするだろう。そう思って、続きを呑み込もうとした時。

「……私も」

 その相手が、心無しか頬を朱に染め、両手を組んで、ぼそぼそと零した。

「貴方と一緒に戦えて、悪い気はしなかったわ」

 クリフは思わず目をみはり、セティエを凝視してしまう。今まで何を言ってものれんに腕押し、ことごとくをかわしてきた相手が、自分との日々を肯定してくれたのか。

 驚きが去ると、次には、顔がにやけそうになって、抑えるのに一苦労してしまう。変な形に表情が歪んだのは、ばっちり見られたらしい。セティエが怪訝そうに半眼になる。

「な、何」

「いや、何でも」

 喜びが勢い余って笑いの形になりそうな口元を手でおさえ、ふるふる首を横に振る。

「ともかく」

 少女はひとつ咳払いすると、凜とした視線をまっすぐに向けてくる。

「この戦いが終わったら、貴方の孤児院再建に力を貸しても良いわ」

「え」

 一瞬、聞き間違いかと思った。それはつまり。期待が少年の心の中で空気を得た風船のように膨れ上がり、はち切れんばかりだ。

 が、しかし。続けられた言葉は、クリフの頭を斜め上から殴りつけてくる、想定外のものだった。

「その時には、ティムも一緒に来てくれるって言ったわ。人手は多い方が良いでしょう? 皆で力を合わせて、この戦いで苦しんだ子供達を、一人でも多く助けましょう」

「アッハイ」

 思わず片言になってしまう。結局お邪魔虫はいつまでもついてくるものなのか。がっくりと肩を落としながらも、これからも彼女が傍にいてくれる、それがわかっただけで大収穫にしようと、彼は心に決めるのであった。


「ロッテちゃん」

 今日も今日とて、独楽鼠こまねずみのようにくるくると負傷者の手当に当たっていたロッテは、自分を呼ぶ声に足を止め、そちらを向いた。

「そろそろ休みなよ。いくら後方支援でも、無理してぶっ倒れたら、目も当てらんない」

 その声でいたわってもらうと、安心するようになったのはいつからだろうか。どきどき騒ぎ始める心臓に、静まれ、と命じながら、木彫りのうさぎの飾りがついた、魔法媒体の杖をきゅっと握り締める。

「リカルドさんこそ」動揺が表に出ないように、細心の注意を払いながら。相手の顔を見上げるのも気恥ずかしくて、うつむいたまま続ける。「きちんと眠らないと、決戦に差し支えます」

「あー、オレは大丈夫。鍛え方が違うから。三徹くらいしても死なない死なない」

「死にます!」

 あまりに呑気な答えに、ロッテは思わず顔を上げ、声を荒げていた。負傷者達が、何事かとこぞってこちらを向いたので、「すいません、何でもないです」とぺこりと頭を下げ、リカルドを押し出すように廊下に出る。

「絶対に死なない人なんていません。今日笑い合っていた人が、明日には冷たくなっている事だってあります」

 かなりの身長差がある背の高い相手を見上げれば、遠い日が脳裏を過ぎる。自分の油断で、この人の弟を死なせてしまった。自分が、無惨な最期に追いやってしまったのだ。

 この人への申し訳無さは、後ろめたさとして、常に胸にわだかまっていた。踏み込んではいけない。優しさに甘えてはいけない。幸せになろうとしてはいけない。いつこの人も、彼のように命を失うか、わからないのだから、と。

 だが、しかし。

「ロッテちゃん」

 大きな手が、ぽん、と頭に乗せられ、くしゃくしゃと撫で回してくる。

「そろそろ、自分を許してあげてくれないかな」

 彼の言う意味がわからない。ぽかんと見つめると、リカルドは物悲しそうに瞳を細めて、しかし唇は笑みを象っていた。

「ロッテちゃんがいつまでもずるずる引きずってたら、あいつも浮かばれねえ。あいつは、ロッテちゃんにそんな顔をして欲しくて死んだんじゃないんだ。生きて、笑ってて欲しいから、命懸けたんだ」

 雷に打たれたような衝撃が、ロッテの全身を駆け抜けた。わかってはいたが、それを認める事は、死んだ人間を忘れてしまう事のような気がして、目を逸らし続けたのだ。だのに今、目の前のこの人は、そんな事をしなくて良いと、言ってくれるのだ。彼の代わりに。

 両目の奥が熱くなる。つうっと頬を伝って流れ落ちれば、感情はもう止まらなかった。

「何よりさあ」

 ぼろぼろと涙を流す少女に向け、青年ががりがり頭をかきながら、苦笑する。

「恋敵が死んだ弟って、一生勝てないじゃん。こっちもしんどいんだよね」

 心臓がきゅっと縮こまる思いだった。何くれと気を遣ってくれているのはわかっていたが、相手もそこまで考えていてくれたのか。心の奥底で固く凍りついていたひとつの気持ちが、氷解を始める音が聞こえた気がする。

「オレは死なない」リカルドが、にっと白い歯を見せて、胸を張る。「きっとこの決戦も生き残るから。だから」

 一拍置いて、彼は心無しか頬を朱に染めながら、はにかんでみせた。

「戦争が終わったら、一緒にトルヴェールへ帰ろうぜ」

 嬉しさの細波が、長らく乾ききっていたロッテの心の砂浜を優しく洗う。もじもじと木彫りのうさぎを手でいじった後、耳まで真っ赤になりながら、彼女はようよう返す事ができた。

「……お兄様に一発どころか、二、三発は殴られますよ」

「望むところ」彼が、にやりと笑った。「殴り合いでも何でもしてやるさ」


 そのロッテの「お兄様」は、リタと共に領主の館のバルコニーにいた。

「いよいよ、決戦だな」

「うん」

 ユウェインの言葉に、リタは彼の方を向けないまま、ゆるゆるとうなずく。

「今まで本当に、色んな事があった」

 そう呟く彼と共に、夜空に輝く数多の星を見上げながら、リタはここまでの道程を思う。

 エステルと共に戦うと決めた。母が死にかけ、多くの友人達を失いもした。死者の葬列の中に、今、隣で空を見上げる青年も入りかけた。今、こうして二人並んで星を眺められるのは、奇跡に近いのかもしれない。

「だが、ここまで来た以上、私は最後まで全力を尽くすよ。愛する者達を守る為にね」

 思わず「ふわあー?」と変な声を洩らしながら、横を向いてしまう。

「お前って」リタは群青の瞳を細めて、呆れた吐息をつく。「ほんっと、こっ恥ずかしい事をしれっと言えるよな」

 するとユウェインは、こちらを向いてきょとんと目を瞬かせたかと思うと、くすぐったそうに微笑んだ。

「ひどいな。それでは、私がいつもこんな事を言っているみたいじゃあないか」

「実際言ってるだろ」

 口だけは達者な朴念仁。心の中での評価を呑み込んで、リタは再び星空を見上げる。と。

 ぱしり、と。

 少し強めの力で腕を握られ、胸を高鳴らせながら横を向けば、至極真剣な眼差しが、こちらを射抜く。

「私だって、言う相手は選ぶさ。君の前以外で、こんな事は言わないよ」

 それを聞いた途端、リタの全身がかっと熱を持ち、血が一気に頭に上るのを感じる。

「はあああああ!?」

 開いた口からは、素っ頓狂な声しか出なかった。相手はそんな反応すら愛おしい、とばかりに笑みを浮かべる。

 どういう事だ。こっちの気持ちなんて知りませんという顔をしながら、想いは筒抜けだったのか。それともはなから、両片思いとかいうやつだったのか。リタの頭の中で、混乱の星が、頭上の輝きより数多く回転している。

 深呼吸を繰り返す。火照った顔をバルコニーの手すりに押しつけ、ようよう出てきた言葉は。

「そういうところがこっ恥ずかしいって言ってるんだよ……」

 それが精一杯だった。

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