第6章:桜色の舞う中を(1)

 ヨーツンヘイムのギャラルン河より大きな流れでのアラディア大河を臨む場所に、集団墓地がある。その一角の真新しい墓石には、『信念の為に生き、信念の為に死す』の言葉と共に、名前と生没年が刻まれている。

「……叔父様」

 エステルはアルフォンスと共に、春先に手に入れるには少々苦労した花束を供え、涙ぐみながら、静かに語りかけた。

「ここで、私達のこれからの戦いを見守っていてください」

 悲しみはいまだ癒えたわけではない。だが、ぐちゃぐちゃに泣きじゃくるのをクレテスが受け止めてくれたおかげで、思考はそれなりに冷静さを取り戻していた。

「私達は、必ず勝ちます。きっとこの大陸に、平和を取り戻してみせます」

 その隣で、弟は無言で目を閉じ手を合わせている。彼の胸中にも、複雑に渦巻くものがあるだろう。

 本当に、レディウスを倒せるかはわからない。再び相見えた時、更なる命が失われるかもしれない。だがそれでも、これ以上の犠牲を生まない為には、必ず決着をつけるべきである。エステルの中では、その決意が固まっていた。


 墓地から駐留所に戻ったエステルは、アルフォンス、クレテスを伴い、ある人物を自室に呼び出した。

「ま、呼ばれるとは思ってたけどね」

 あっさりと召喚に応じて姿を見せたのは、エシャラ・レイだ。おどけた口調とは裏腹に、青と紅の瞳に真剣な光を宿し、こちらの質問を待っている。

「エシャ、先日のレディウス襲撃の際、あなたは彼を『ヴァロール』と呼び、自らを『フォモールの王』と名乗りました。教えてください。レディウスは何者なのですか。そして、あなたは何者なのですか。あなたは何をどこまで知っているのですか」

「待って。予想より質問多過ぎ」

 エステルの矢継ぎ早の問いかけは流石に想定外だったか、待て、を表すようにエシャは掌を向け、苦笑する。

「そうだね、長くなるし、途方も無い御伽話みたいだけど、聞く覚悟はできてる?」

 覚悟ができていなかったらそもそも聞こうとは思わない。エステルだけでなく、クレテスとアルフォンスも深々とうなずくと、「そう」とエシャは薄く笑った。

「お察しの通り、ボクは人間じゃあない。だけど、人でもあり、魔族でもあり、竜族でもある」

 謎かけのような切り出し方に、クレテスもアルフォンスも怪訝そうに眉をひそめる。しかしエステルだけは、かつてアルフレッドから聞いた大陸史を思い出し、「まさか」と呟いた。

「あの伝承は、本当だったのですか。人と竜と魔は、はじめは同じ一つの種族であったと」

「ご名答」

 エシャが満足そうに指を鳴らす。

世界アルファズルに存在する四大始祖種のひとつ、『フォモール』が、ボクの正体。そしてレディウスは、始祖種が神の呪いを受けた結果生まれた悪しきフォモール、『ヴァロール』だよ」

「悪しき、フォモール」

 エステルが鸚鵡返しにすると、エシャは軽く首肯し、話を続ける。

「君達が生まれるよりずうっと前の話。とてつもない魔力と、底無しの破壊衝動を有する『ヴァロール』が現れて、フォモール一族は絶滅の危機にあった。そこで、始祖種はみっつの種族に力を分けて呪いを回避する事にしたんだ」

 すなわち、翼と鱗の獣に変じる竜族。魔力に長けた魔族。そして、それらに力と寿命は劣るが、生存本能と繁殖力は高い人間。

 指折り数えて、「だけど」と先が続く。

「種族を分ける事でヴァロールの発生を抑えたはずが、後の世に三種族の血が混じると、再びヴァロールが現れるようになったんだ。シャングリア大陸史に出てくる破壊者のほとんどは、彼らの事だよ」

 それを聞いたクレテスが、顎に手を当てて、考え込むように言う。

「待てよ。じゃあ、レディウスは。エステル達の母さんが竜族の血を引いていたんだから」

「そう。ヴォルツ皇帝には魔族の血が流れていた。それをあのニードヘグとかいう魔族が嗅ぎつけて、焚きつけるなり、脅すなりして、十七年前の政変を起こさせたんだろうね」

「ニードヘグ……」

 エステルは、過去の戦いを思い出す。ヨーツンヘイムでティムが言っていた、ジョルツに闇の術を与えた男。カレドニアでファティマ救出作戦の際に現れたという魔族。彼がこの戦いの裏で、いや、十数年前から既に手を回し、暗躍していたのだとしたら、この戦いの根は、今まで見えていた以上に深いものになる。ただレディウスを倒しただけでは、終息しないかもしれない。

 だが、ここまで来て立ち止まったり、怯えて戻るわけにはいかない。何とかしてレディウスを討たねば、これだけ時間をかけて大陸に混乱をもたらしたニードヘグの真の狙いも暴けないままだ。そしてそれには、目の前のフォモールの力も必要不可欠になる。

 しかし、エステルの心には、一点の疑問が黒い染みとなって滲むのだ。

「エシャ、あなたもフォモールなのでしょう。何故あなたは、ヴァロールにならなかったのですか」

「ボクが生まれたのは、始祖種がヴァロールの呪いを受ける前だからね。影響は無い」

 その言葉に、エステル達は目を真ん丸くしてしまう。少なくとも千年前から、人間の存在を記した歴史書は存在する。エシャの言う通り、始祖種から三種族が分かれたのであれば、目の前のフォモールは、それ以上長く生きている事になる。

「君が王という事は、他にもフォモールはいるのか?」

 アルフォンスが問いを投げかけると、エシャは、ふっと寂しげな表情を顔に満たした。

「昔はいたよ。でも皆、ヴァロールとの戦いで死んでしまったり、行方知れずになったりして。今は、わからないな」

 痛々しいほどの冷静さを努めるその声色に、エステルの胸は、つきんと針で刺されたような痛みを覚える。

「あなたは、千年以上もの間、ヴァロールを滅する為に、独りで……」

 眉を垂れて呟くように告げると、「ま、そういうわけでもないんだな、これが」と、フォモールの王は両手を肩の高さに挙げ、殊更明るい声を返す。

「ボクは歌う以外能が無くて、一族の中でも弱っちい方にいたからね。力のある仲間から先にいなくなって、ボクが王を務めるしか無くなっちゃった、ってわけ」

 弱いと言っても、歌で魔法と同等かそれ以上の効果を発揮する能力は、到底人間には真似できない。フォモールという種族の力の強大さを感じると共に、どんどん仲間が減ってゆく様をただ見送った、エシャの千年以上を想い、エステル達は複雑な感情を宿した顔を見合わせるしか無かった。

「とにかく」

 少年少女の感傷を吹き飛ばすかのごとく、エシャは両手をぱんと打ち鳴らす。エステル達がはっと我に返って振り向くと、フォモールの王はいつも通り飄々とした態度で、目を細めてみせた。

「君達には期待しているんだ。こないだは闇討ちだったから、ボクも対応が遅れた。だけど、確実に包囲網を作って、四英雄の武器をまともに振るえば、ヴァロールを倒す事も不可能じゃあないって、ボクは信じてる」

「四英雄の武器は、僕とクレテスしか持っていないが」

 当たり前と言えば当たり前の事実をアルフォンスが口にすると、「そこなんだよねえ」とやや間延びした答えが返ってくる。

「リグの魔刃『カデュケウス』は恐らく魔族の間に紛れて、ヌァザの竜王剣『ドラゴンロード』は、ドリアナがフィアクラに残していった。レディウスやニードヘグが処分していなければ、そこから動いてないはずなんだけど」

「あんまり希望的観測じゃあないよな」

 クレテスががりがりと頭をかきながら、溜息をつく。帝国が成立して十数年が過ぎているのだ。その間に、自分達の脅威になる物を、敵が排除しないはずは無い。

「まあ、その場合は君達二人に頑張ってもらう事になるから、よろしく。ボクも全力で援護はするからさ」

「……やれる限りはやる」

「無様を二回晒したくはないからね」

 エシャがあっけらかんと片手を掲げて言い放つと、少年二人はかたや首を振り、かたやぐっと拳を握り込んで、それぞれ答える。

 彼らの様子を見ながら、エステルはふと、叔父がここにいたら何と言っただろうと想像を巡らせかけ、しかしそれをすぐに打ち消した。

 もう、アルフレッドはいない。どれだけ考えても、エステルの想像は最早想像以上の何物にもならない。これからは、自分で考えて選択し、自分の足で立って歩き、自分の握った剣で、道を拓いてゆかねばならないのだ。

 この戦いが終われば、更に自分の頭で思考し、進んでゆく道が待っている。その為にも、誰かの庇護下に甘んじているわけにはいかない。

「どうした、エステル?」

 先程まで質問攻めだったのに急に黙り込んだのを、怪訝に思ったのだろう。クレテスが声をかけてくる。

「何でも、ないです」

 微苦笑を返し、ふるふると首を横に振ってみせる。こんな時にまで気遣いを見せてくれる幼馴染の存在がありがたくて、ヴァロールの話に冷え込んでいたエステルの心は、じんわりと温まってゆくのであった。

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