第5章:恐怖は紫闇の姿を取りて(2)

 毎年の大晦日、カレドニア王都ノーデでは盛大な年送りの祭が開催される。大広場で年送りの大きな火を焚いて皆で飲み騒ぎ、去る年に感謝をし、来る年の幸運を祈るのだ。

 今年はカレドニアにとって試練の年であった。だが、だからこそ、より一層の盛り上がりを。人々はそう心に決め、貧しい土壌ながらも育つ食材を駆使して精一杯のご馳走を作り、麦から作る酒を樽一杯に用意する。

 日が暮れて辺りが暗くなると、大広場の炎が灯され、明々と燃え上がる。誰もが今夜限りは無礼講で、敵も味方も、出身も関係無しだ。カレドニア人と解放軍の戦士が杯を酌み交わし、肩を組んで笑い合う。

 エシャラ・レイが故郷を想う旅人が前向きに先へと踏み出す冒険歌を口ずさめば、ノーデをこの冬の宿と定めた旅芸人一座の、楽器担当がギターを奏でて伴奏し、踊り子までもが華麗なステップを踏む。投げ銭が次々と宙を舞い、やんやの喝采が広場に満ちる。


 そして、大広場から離れた場所でも、戦士達はめいめいの時間を過ごしていた。


「どうして私が、貴方とごはんを食べなくてはならないのかしら」

 薪で暖を取った屋台。貴重な香辛料を惜しみ無く使った辛口のスープをすすりながら、セティエはぼやくように零した。

「ひどいな、姐さん。姐さんが退屈そうにしてたから、折角連れ出してあげたのに。オレ、傷ついちゃう」

 右隣の席で葱と猪肉入りの炒め飯を頬張るクリフが、ごくんと呑み下して、さめざめと泣くふりをする。だが、言葉とは裏腹に、この少年は傷心するどころか、「自分と一緒に食事に出かけられた」という状況を楽しんでいるようだ。

「はいはい、私が悪かったわよ」

「わお、わかっていただけて光栄」

 呆れの吐息と共に口ばかり詫びてみれば、テーブルに突っ伏していた少年はぱっと顔を上げて、輝くような笑みを見せた。しかし、すぐに眉間に皺を寄せると、ぶらぶらとスプーンを振り。

「それにしても、どうしてこいつが一緒にいるのかしら」

 と、セティエの口調を真似て、反対側の隣で黙々とうどんをすすっている少年を示した。

「このお祭り騒ぎの中、お姉ちゃんと貴方を二人きりにするなんて、最前線に行くより危険過ぎます」

 弟のティムは、クリフの方を見もせずに、真顔で言い切る。と、元盗賊少年の灰色の瞳が、鬱陶しそうに細められた。

「おー、姐さんの弟なのに可愛くねえなあ。『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて飛んでいけ』ってことわざを知らないのかよ」

「『飛んでいけ』じゃあありません。それに誰の恋路ですか」

 挑発を浴びても、弟は怯む事が無い。あくまで淡々と切り返して、器を傾けると、うどんの汁を干しにかかる。

「誰の? 決まってるじゃねえかよ」

 スプーンが、少年と少女の間をふらふらと行き来する。

「オレと姐さん」

「認めません」

 二人の少年は、自分を挟んで一切視線を交わらせない冷戦を繰り広げている。

 右隣の少年が、自分に対して仲間意識以上の感情を抱いている事は、気づいてはいる。セティエとて、年頃の少女である。故郷ヨーツンヘイムで、憎からず想った相手がいなかったわけではない。友人の恋愛相談という名の惚気に付き合わされた事もある。惚れた腫れたの騒ぎには、敏感な方であった。

 だが、まさか弟がここまであからさまな嫉妬を見せるとは思わなかった。早くに両親を亡くし、祖父と家族三人で今まで生きてきた。その生活の中で、ティムは祖父や姉の言う事を素直に聞き、魔法の訓練も真面目にこなし、年頃の少年としては少々穏やかすぎるほどに育っていった。時たま感情を爆発させる事はあったが、それもすぐに落ち着き、立ち直る事のできる子であった。

 しかし、祖父を失って均衡が崩れたのだろうか。ブリガンディで再会して以降、弟は以前よりもセティエの後をついて回るようになった。自分が旅立った後、日に日に弱ってゆく祖父を看取る事しかできなくて、どんなにもどかしく、かつ孤独だったろうか。その罪悪感は、セティエが弟に姉離れをするよう言って聞かせる勇気を、心の小箱に封じ込めてしまったのだ。

 だから彼女は、深々と溜息をついて、右隣の少年を睨むしか無い。

「私と貴方が恋路を一緒になんて事は、無いわよ。あり得ない。絶対」

 はっきり言い切ったのを聞いたクリフは、軽く目をみはった。しかし落ち込んだ様子は見せず、くるくると手の中でスプーンを回して、にやりと白い歯をのぞかせすらする。

「まあ、今はそういう事で」

 盗み甲斐のある心の方が、こっちも燃えるってもんだから。

 彼がそう小声で続けたのは、聞こえなかった振りをして、セティエは残りのスープを一気にあおるのであった。


「初めてかもな、こうして仲間内で外へ出かけるのは」

 賑やかな通りの出店を見回しながらケヒトがしみじみと洩らした言葉に、ラケが「そうね」と同意する。二人の距離は近い。それが彼らの心の距離を示しているようで、リタは胸の辺りがずきりと痛むのを感じた。

「トルヴェールで暮らしていた頃は、子供だけで町へ行くのは言語道断だったからな。私達が大きくなってからは、それぞれ務めがあって、離れ離れになってしまっていたし」

 隣を歩くユウェインは、遠き日を懐かしむような目で、滔々と語る。

『祭を見にいかないか』

 彼がそう誘ってきた時には、二つ返事でうなずいてしまった。だが。

『ケヒトとラケにも声をかけた。皆で行こう』

 この朴念仁、実に気の利かない気の回し方をしたのである。かくして、両想いの二人を盛大に邪魔した組み合わせで、城下街に繰り出す事になった。

 売り物の店の呼び込みはどこか遠く聞こえる。ケヒトとラケが楽しそうに何か言葉を交わしているが、周囲のざわめきにかき消されて、リタの耳には届かない。こんな子供っぽい嫉妬をしていると知られたら、二人に申し訳無いし、何より誘ってきた相手を幻滅させる。顔を伏せて「うう」と、行き場の無い想いを呻きにして吐き出した時。

「リタ」

 ラケの声が耳孔に滑り込んで、リタは面を上げる。従姉はケヒトの腕を引きながら、こちらより少し距離を取って、微笑んだ。

「ケヒトがね、来年の進軍に向けて新しい弓を見繕いたいんですって。私は一緒に行くから、悪いけど、後は二人でお祭を楽しんで」

 そう言って、リタにしか見えない一瞬、片目を瞑ってみせる。「悪いけど」と口では言ったが、その裏に隠された彼女の真意を汲み取って、リタはラケにしか見えない角度で親指を立てた。

 やけに積極的な幼馴染に腕を引かれて戸惑うケヒトたちの姿が人混みの向こうに消えてゆく。ありがとうお従姉ねえ様。遠ざかる背中へ拝むように両手を合わせていると。

「何をしているんだ」

 その行動が謎だ、とばかりの声が降ってきたので、リタははっと手を離し、「な、何でもない!」と相手の顔を仰ぐ。赤みを帯びた茶色の瞳は、本当にわからない、という戸惑いを宿して、きょとんとみはられている。

「しかし、二人になってしまったな。これからどうしようか」

 ユウェインは顎に手をやり首を傾けて、思索に耽る。ラケが気を遣ってくれたのはとてつもなく嬉しいが、いざこういう場で二人きりになると、何をすれば良いのか、何の話をすれば良いのか、皆目見当がつかない。熱を持った頬を誤魔化すように両手でおさえていると。

 わっ、と。

 人々の歓声が聞こえてきたので、二人揃ってそちらを見やる。人垣の中心で、木製の剣をかざして吼える男と、刃の無い槍を肩に担いでしなを作る女。彼らの足元には、這いつくばって呻く若者が二人。得物の木剣は少し離れた場所に転がっている。

「すげえ、五組連続抜きだ!」

「あいつら強いぞ」

「もうこの二人で決まりだろ」

 観衆が口々に騒いでいる事から、模擬試合の大会なのだという事が知れる。今立っている男女の組み合わせが、優勝候補である事も。

「さあ、『百戦錬磨のドムとジュリー』、今回も勝ち抜いたよ! 挑戦者はいないかい!?」

 倒れ伏した挑戦者達が担架に乗せられ運ばれてゆくと、主催者らしき、道化師の格好をした男が、少々大袈裟な身振り手振りで高々と口上を続ける。

「いなければ、優勝賞金のディール金貨二十枚は、『ドムとジュリー』のもの! 今この二人を破れば、横取り可能だよ! 参加費は一組あたり銀貨四枚! 夢のような戦いに挑む勇者は現れないかな!?」

 参加費に対する賞金の倍率は五十倍。たしかに夢のような額である。だが、美味い話には裏があるのがこの世の常。ユウェインと顔を見合わせ、笑みを交わす。お互い、考えている事は同じのようだ。

「はいはい、もういないかね。では優勝は……」

「挑戦しよう」

 道化師が今にも締め切りそうな時、ユウェインが挙手をした。衆目を一斉に浴びながら、リタは彼と共に人波をかき分ける。

「おやおや、これまた格好良いお兄さんと可愛らしいお嬢さんの組み合わせだね!?」

 道化師は厚化粧を施した顔でにこにこ笑いながら、まるで商人のような揉み手をして二人を出迎えた。

「はい、お代はこちら。武器は得意なものを選んで良いからね」

 ユウェインが渡したディール銀貨四枚を大事に懐に仕舞い込んで、道化師が武器置き場を指し示す。祭の場で真剣は御法度か、どれもこれも刃を潰したり、そもそも刃の無い武器だったりする。その中から、ユウェインは長柄だけの槍を手に取り、リタは武器を選ばないまま、『ドムとジュリー』の前へと進み出た。

「おい、どっちに賭ける!?」

「俺は挑戦者に!」

「オイラはやっぱりドムジュリだなあ」

「いやいや、ここは引き分けという可能性も」

 たちまち観衆達が、どちらが勝利するかの賭けを始め、場はますます盛り上がる。

「何だあ? 素手で戦おうたあ、随分と度胸のあるお嬢ちゃんじゃねえか」

 リタを前に、筋肉隆々、雪焼けで色黒の大柄なドムが髭面を歪めて笑えば。

「あらあ、こっちのお兄さんは、アタシ好み。倒しちゃうのが勿体なあい」

 戦士には似つかわしくない化粧顔と編み込み髪のジュリーが、長い爪のついた指を槍の柄に滑らせて、妖艶な眼差しをユウェインに送る。

「遠慮はしていただかなくて結構」

 だが彼は、動じる事無く淡々と槍を構える。色仕掛けなどこの朴念仁に通用しない事を、リタはよく知っている。こきぽきと拳を鳴らし、ドムの巨体相手に身構える。

 そして。

 しゅっと呼気を吐くと共に一歩を踏み出し、大男の鳩尾に正拳を叩き込む。「ごぽおっ」と吐き出された唾を、右に少しずれる事でかわし、下から拳を突き上げる。全力を込めた一撃は、過たず相手の顎を破壊し、巨体が吹っ飛んで地に叩きつけられ、ドムは白目になって泡を吹きながらぴくぴくと痙攣した。

 もう一方は気にかけるまでも無い。ユウェインが目にも止まらぬ速さで繰り出した槍は、相手の得物をはね飛ばして、喉元に長柄の先を突きつけていた。これに穂先がついていたら、喉笛を斬り裂いている。勝負は明らかだった。

 優勝候補を飛び入りの二人組が撃破した大番狂わせに、会場が先程以上に沸き立つ。

「勝ったけど?」

 汗ひとつかかないけろっとした表情で髪を梳き、リタが振り向くと、道化師は顎が外れそうなほどに口を開け、だらりと手を垂らして、呆然としていた。

「金貨二十枚、いただこうか」

 へなへなとへたり込んでしまうジュリーから武器を引いたユウェインが、武器で肩を叩きながら、鋭い視線を道化師に送る。

「そっ、そんな……絶対負けないはずの二人を雇ったのに……」

「そんな事だろうと思った」

 思わず洩れた本音を聞き逃さず、リタはにやりと笑うと、つかつかと道化師に近づいてゆき。

 ごわし、と。

 右の拳を相手の左頬に叩き込んだ。

「おっひょおおお!」

 情けない悲鳴と何本かの歯を跳ばしながら、道化師の小柄な身体が吹っ飛ぶ。

「おい、八百長だったのかよ!?」

「何が『百戦錬磨のドムとジュリー』だ!」

「金返せ!」

 更に観衆が道化師の元へ押し寄せ、会場は阿鼻叫喚の騒ぎに陥った。

「行くぞ」

 そんな中、リタは武器を放り出して差し出されたユウェインの手を取り、人波に逆行してその場から駆け去る。主催者に怒り心頭の観衆が二人を見咎める事は無く、無事に場を脱する。

 祭の灯りに照らされた中、二人は高い声で笑いながら、走り続ける。

 今はまだ、従姉達のように距離が近くなくても。自分達はこれくらいの関係が丁度良い。ユウェインの笑顔を見て、リタも笑い転げながら、そう思うのであった。

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