第4章:緋翼(10)

 十月十日。ジャンヌ王女の言伝を頼りに、カルミナからそう遠くないサムリアの街へと、馬を走らせる。数日の間に急速に寒さが増し、初雪が降るのはあながち間違いではないのだと感じさせる。

 エステルと、ガルーダを置いて乗馬に切り替えたアルフォンス。そして護衛にアルフレッドとクレテスがついた四人は、曇天の下、サムリアに辿り着いた。

 街の入口で馬を預け、大通りに入る。冬支度が差し迫っているせいか、人出が多く、たっぷりの買い物をした篭を背負っている人々をよく見かける。

「このどこに行けばいいんだよ」

 人波を見渡しながらクレテスがぼやく。王女からの符丁は、ただ「サムリアの街で」だった。具体的に落ち合う場所はわからない。

 すると、外套のフードを深くかぶった人物が、いつの間にかエステルの横に並び、囁きかけてきた。

「ついてきてください」

 その声に聞き覚えがあって、視線を横に滑らせる。相手が少しフードを持ち上げると、ジャンヌ王女の遣いとして出会った、アレサ・セディエルが薄い笑みを浮かべるのが見えた。

「この街に間者はいないと思いますが、念の為、自然に」

 彼女の案内なら、信じて大丈夫だろう。軽くうなずき返して、エステルはアルフォンスらと共に彼女の後を、不自然な早足にならないように追った。

 アレサはこの街に慣れているのだろうか、すいすいと先へ進んでゆく。そして、大通りから一本外れた道にある食堂の扉を開き、「どうぞ」とエステル達を招き入れる。全員が扉をくぐると、彼女も滑り込むように店内に入り、扉を閉めた。

 ごくごく小さな食堂だった。四人がけのテーブル席が二つと、カウンター席が四つ。それだけで満員になる。老境に差し掛かった店の主人は、カウンター向かいの厨房で忙しそうに立ち回っているが、先客は一人だけだ。

「ジャンヌ王女……」

 アルフォンスが唖然と洩らすのにつられて、エステルも先客をまじまじと見つめる。エステルより三、四歳は年上だろうという女性だ。今は平民の服装をしているが、艶のある髪、泣き黒子が印象的な凜々しい顔は、持って生まれた優美さを隠し切るには至らない。

「はじめまして、エステル王女。それに久しぶりね、アルフォンス将軍」

 彼女が立ち上がり、背筋の伸びた綺麗な礼をする。短めな杏子色の髪がさらりと揺れ、カレドニアでは贅沢品だろう紅を薄く塗った唇が、鮮やかな弧を描いた。

「僕はもう、カレドニアの将ではありません」

 アルフォンスが憮然と言い返すと、「そうだったわね」とジャンヌ王女は少女のようにころころと笑い、双子に自分の向かいの席を示す。ごく当たり前のようにアルフレッドとクレテスは、アレサと共に壁際に立ち、王族だけが席に座る状態になった。

 こんな場所に王位継承者が軽々しくやってきて大丈夫なのだろうか。エステルが、厨房をくるくる巡る主人にちらりと目をやると、「大丈夫」とジャンヌ王女が笑みを零して、頬杖をついてみせた。

「母が生きていた子供の頃から、サムリアへはよく遊びにきていたの。その度にこの店に世話になっていたから、私の秘密で彼が知らない事は無いし、口の固さも折り紙付きだわ」

 つまりここでの出来事を吹聴する者は一人もいないという事か。納得しながら、少しがたついた椅子を軽く叩いていると、主人が無言で食事を運んできた。

 麦を混ぜた米飯にとろとろのオムレツを乗せ、数種類の茸とホワイトソースをかけた、今までに見た事の無いメニューだ。カレドニアの食事情は把握していたつもりだが、場末の食堂に似合わぬ立派な料理にエステルが目をみはると、ジャンヌ王女がくすくすと笑った。

「オムライス。これがここの売りなんだけど、ご主人の売り込みが下手でね。知る人ぞ知る、穴場も穴場になってしまっているの」

 手紙の律儀そうな文面からは想像できない、意外と砕けた態度を取る、庶民的な王女だ。それによく笑う。その笑顔も一切嫌味を与えるものではない。相手を安心させる温かさに満ちている。それが、アレサのように部下にも信頼される証なのだろうと考えながら、エステルはスプーンを取り、オムライスを一口分すくって口に運ぶ。たちまち、玉子のとろみと、ホワイトソースと茸の甘さ、ご飯のもちもちした感触が口内に満ちた。

「美味しい!」

 感想は、思わず口を衝いて出ていた。アルフォンスが隣で吃驚びっくりした表情を見せ、ジャンヌ王女は自分が作ったかのように満足げな顔をする。

 しばらく無言で食事を摂り、オムライスをすっかり食べ尽くして、最近は舌にも慣れた根菜茶が出てきたところで、「それで」とアルフォンスが話の口火を切った。

「わざわざ思い出の味を食べさせる為だけに、陛下の逆鱗に触れる危険性もありながら、僕達を呼び出した訳ではないですよね」

「相変わらず優秀」

 ジャンヌが微笑みながら茶を一口含み、よく味わって飲み下した後で、居住まいを正し、表情を引き締める。

「エルネスト将軍とグリッド将軍が処刑されたわ。首は城門前に晒された」

 それまで和やかな印象を与えていた唇から、残酷な事実が告げられる。言葉を失う双子の前で、ジャンヌは話を続けた。

「理由は簡単。貴女達に負けたから。敗戦の将に再起の機会を与える余裕なんて、今の父には無い」

 それしか道を開く方法は無かったとはいえ、見逃した相手を結果的により無惨な死へと追いやってしまった事に、エステルは深い溜息をつく。根菜茶を一口飲む事で、心を刺す痛みを何とか押し流そうとした。

「父は私が『緋翼隊』を動かさなかった事にも腹を立てているわ。次に出撃があるとしたら、私が最前線ね」

「実の娘にまで『死ね』とおっしゃるのですか、陛下は!?」

 アルフォンスが立ち上がらん勢いで身を乗り出す。カレドニア騎士だった彼にとって、離反したとはいえ、国王は今も絶対の存在なのだろう。その王の狂気に衝撃を受けないはずが無い。

「……何とか」

 ここで動かねば、解放軍の旗頭たる資格は無い。エステルは膝の上で両の拳を握り締め、言葉を絞り出す。

「何とか、手を組めませんか、ジャンヌ王女。バルトレット陛下を諫めて、カレドニアと解放軍が戦わずに済む道を、共に探る事は」

「それをお願いしたくて、貴女達と直に会いたかったのよ」

 ジャンヌはテーブルの上で手を組み、顎を乗せる。店内の灯りの加減によっては薄くなるはしばみ色の瞳にまっすぐ見つめられると、何だか心の奥を見透かされているようで、落ち着かなくなる。

「では」

「表立っては協力体制を取れないわ。そうすれば、父は激怒して私を処刑し、全軍を解放軍に仕掛けてくる」

 急き込むアルフォンスに、待て、を示す為に掌を見せて、「だから」と王女は続ける。

「十日後。アイシアの山麓沿いに兵を進めて、十日後に首都ノーデに辿り着くようにして。その時には、貴女達に事態が有利に運ぶように事を進めておくわ」

 十日後。エステルは口の中で反芻する。ちらりと壁際に視線を送れば、アレサと共に並ぶ護衛の内、アルフレッドは不審そうな表情をしていたが、クレテスと目が合うと、彼は唇を引き結んで、軽くうなずいた。

 彼が自分の決断を支持してくれる。それでエステルの肝も据わった。

「わかりました。貴女のお言葉を、信じます」

 ジャンヌ王女に向き直り、しっかりと首肯して、右手を差し出す。

「その生真面目なところ。本当に、アルフォンスと双子なのね」

 王女はまたもくすりと笑みを洩らし、その手を握り返してくれる。

「貴女のまっすぐさは、きっとこの大陸を救うわ。何があっても、くじけないで」

 ジャンヌの手は、それまで茶の器を持っていたせいか、少し熱を帯びている。それが彼女の心に宿る決意の炎を示すかのようだ。この手に応えたい。共に並び立って、帝国を撃破する僚友として戦いたい。その為に今は、彼女を信じるべきだ。

「お嬢」それまで黙っていた店主が、しゃがれた声をかけてくる。「そろそろお時間です」

「そうね、ありがとう」

 ジャンヌは彼に微笑み返し、小さな革袋を放る。店主が受け取った時にじゃらりと音がしたので、中に何が入っているかは想像に難くなかった。

「それではね、ごきげんよう、エステル王女、アルフォンス」

 王女が席を立ち、アレサの手伝いで外套を羽織ってフードを目深にかぶると、副官と共に店を出てゆく。

 きっと彼女と正式に握手をできる日が来る。手に残る温かさを感じながら、エステルはそう信じていた。

 相手が胸の内に秘めた、本当の意志に、気づく由も無く。

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