第4章:緋翼(9)
ファティマ救出作戦が無事成功した朝、テュアン率いる別働隊からの早馬が到着し、「『青矛隊』撃破」の報が届けられた。テュアンは、できるだけ犠牲を出したくないエステルの意を汲んでくれたのか、向かってくる必要最低限の敵だけを討ち、撤退を図ったエルネスト将軍を追撃する事は無かったという。
アルフォンスが解放軍に参加するに当たって、彼は部下達に選択権を与えた。
「これからは、カレドニア軍との戦いになる。兵の中に親しい相手がいる者も、故郷に大切な人を残してきた者もいるだろう。僕の一存で皆を巻き込む訳にはいかない。ここで離れても、僕は一切咎めない」
彼はそう言ったのだが、異論を唱える者は一人もいなかった。それが、アルフォンスの部下の誰もが、カレドニアの現状を憂いているという証拠であり、また、年若い上官を信頼している証左でもあった。
頼もしい部下達に深々と頭を下げる弟の様子を、エステルはアルフレッドと共に見守る。
「やはりカレドニアにも、言葉を交わせば通じ合う人はいるのです」
かつてバルトレット王との対話の願望をばっさり切り捨てられた事を思い出しながら、叔父の顔を見上げる。アルフレッドも、姪が珍しく言葉の反撃をしてきた事に、一瞬目をみはったが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻すと、微苦笑を浮かべた。
「アルフォンス様の存在を隠し通してきた後ろめたさもあります。それに、この軍の盟主はエステル様です。どうか、貴女のお望みのままに」
肯定を得られた事で、エステルの心に希望の花が咲く。叔父のお墨付きをもらったのだ。今度こそ、話し合いでカレドニアとの衝突を避けたい。その為には、アルフォンスにも一筆添えてもらうのが効果的だろう。
希望的観測を巡らせるエステルのもとに、部下達への鼓舞を終えたアルフォンスがファティマを伴ってやってきた。
「エステル、『銀鳥隊』の生き残りは、全て解放軍傘下に入る。数は少ないけれど、皆、戦い慣れた
昨日の戦いで数を減らしたといえど、数十という飛行戦士の加入は、かなりの戦力増強だ。「ありがとう」と頭を下げるエステルに、アルフォンスは微笑を投げかけて、それから、アルフレッドの方に向き直った。
「叔父上には、多大なご迷惑とご心痛をおかけしました。本当に申し訳ございません」
「アルフォンス様、私は一家臣に過ぎません。どうかこのような場所で頭をお下げにならないでください」
深々と低頭する甥に困り切った表情を向けたアルフレッドは、アルフォンスが顔を上げると、胸に手を当て、今度は自分が面を伏せる。
「十七年間、御身をお守りできずにいた事、心よりお詫び申し上げます」
「そんな」
アルフォンスが慌てきった様子で両手を横に振る。
「貴方はエステルを守ってくださった。それに、僕はリードリンガーの子として育てられて、決して不幸ではありませんでした。叔父上が気に病む事ではないです」
「……ロベルト殿は、貴方を息子として愛してくださったのですね」
その言葉にアルフォンスはうなずき、傍らの義妹に視線を向ける。そして、不意に顔に驚きの表情を満たした。
ファティマはまっすぐにアルフレッドを見つめている。その顔色は青白く、薄い唇がふるふると震えているのがわかる。
「ファティマ様」
それに気づいているのかいないのか、面を上げたアルフレッドが彼女に向けて右手を差し出す。
「アルフォンス様の妹君ならば、私にとって姪も同然。おこがましいとは思いますが、どうか身内と思って気軽に接してください」
「は……い」
少女がおずおずと、差し出された手を握る。菫色の瞳が揺れているのを見て、そして義妹を見下ろすアルフォンスの表情が凍りついているのを見て、エステルはただ首を傾げるばかりであった。
十月も半ばを過ぎれば、カレドニアの地には、険しいアイシア山脈から吹き下ろす風で、早い冬が来る。雪に埋もれて行軍がままならなくなる前に、落としどころを見つけるべきだ。そう考えたエステルは、一旦軍をカルミナまで
だが、数日後、解放軍に届いたのは、破り捨てられた手紙と、物言わぬ使者の首であった。
「これが、バルトレット陛下という人の気質だよ」
死者となった使者を前に絶句するエステルの肩を、アルフォンスがなだめるように軽く叩く。
「傾きかけていたカレドニアの国力を、一代で立て直した
そんな王に諫言をし続けて、アルフォンスはよくも始末されなかったものだ。そこを安心して良いのかはわからないが、希望の道がこうも容易く断ち切られた事に、エステルは衝撃を抑えきれず、ぞくりと身を震わせた。
と、手紙の残骸を眺めていたアルフォンスが、弾かれたように、その中から一枚の紙片を拾い上げた。巧妙に破り痕があって一見気づかないが、使っている紙が、エステル達が出したものと違う。
「サムリア……」
書いてある文字はシャングリア公用語ではなく、エステルには読めない。だが、アルフォンスは、記された伝言を正確に読み取ったようだ。「エステル」とこちらを振り向く。
「ウルザンブルン語で『例年の初雪の前日にサムリアの街で待っている』と書かれている。カレドニアの将でウルザンブルン語を操れるのは、ジャンヌ王女だけだ」
その言葉に、どきりと胸が高鳴った。騎士アレサを介して、アルフォンスとの戦いを回避するよう手を尽くしてくれたカレドニア王女。彼女が、直接会おうと提案してきてくれている。解放軍の皆に言えば、「今度こそ罠ではないか」と声高に主張する者も現れるだろう。だが、父王に勘づかれる危険性も顧みずに、伝言を忍ばせてくれた王女の覚悟を、エステルはまた信じたいと思った。
「カレドニアの、例年の初雪の日は?」
問いかければ、弟はエステルの決心を感じ取ってくれたのだろう。
「五日後だ」
力強くうなずいて、はっきりと言い切る。それに気を取られて、エステルは、弟もウルザンブルン語を読めるのは何故か、聞き損ねてしまった。
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