第4章:緋翼(1)
解放軍がガルド王国首都ウルズに到着したとの報を受けた、カレドニア国王バルトレット・ベルガー・フォン・カレドニアは、『反乱軍が侵略行為を犯そうとしている』と烈火のごとき怒りをまき散らし、即刻報復に出る為、有力な部下に召集をかけた。
『青の矛先』エルネスト・ザーウェン、『緑の楯』グリッド・ヒギンス、『銀の鳥』アルフォンス・リードリンガー、そして娘の第一王女である『
「ウルズが反乱軍によって制圧された」
と地を這うような低い声を放った。
「奴らはガルドを後ろ盾に、我が国にも攻め込んでくるだろう。貴様らは早急に軍を準備して、先制攻撃を仕掛けろ」
その言葉に、エルネスト、グリッド、ジャンヌは、胸に手を当て低頭する。しかし。
「お待ちください、陛下」
一人凛と顔を上げたまま王を見すえ、意見を発したのは、一番歳若いアルフォンスだった。
「解放軍はカレドニアの侵略など考えておりません。少なくとも、盟主のエステル王女がそのような人物ではありません」
数ヶ月前、ラドロアで出会った少女の真摯な瞳を思い出しながら、アルフォンスは一層声を張り上げる。
「解放軍とは協力し合えるはずです。どうか今こそ帝国の支配を断ち切って、ガルディア半島の因習からカレドニアとガルド両国を解き放つ時ではありませんか」
その言葉に、エルネストとグリッドは頭を下げたまま顔を見合わせ、「これだから若造は」と、嘲笑を交わす。それが証拠に、バルトレットの表情が、一瞬にして険しくなった。
「寝言は寝て言え、アルフォンス」
憎々しげに顔を歪め、びしりとアルフォンスを指差して、王は吐き捨てるように叫ぶ。
「奴らはガルドと結託したのだ! 先に剣を抜いて突きつけてきたのは向こうだ、そこにのこのこ握手しにゆけと? ふざけるのも大概にしろ!」
凄まじい剣幕で怒鳴られ、アルフォンスは返す言葉に詰まる。ラドロアの戦いで多くの部下を失い、オットーも死亡させて帰還した幻鳥騎士に、国王は『国の恥』と罵声を浴びせ、一ヶ月の謹慎を言い渡した。
今回も、アルフォンスが再び将としてこの場に召喚されたのは、挽回の機会を与えようというバルトレットの温情ではない。別の思惑が存在しての事なのだ。
「アルフォンス、貴様は随分と反乱軍を買いかぶっているようだな。あのエステルとかいう小娘が、そんなに気になるか」
他意を含んでにやりと笑う国王を前に、アルフォンスはぐっと拳を握り込んで、唇を噛み締めるしかできない。
図星なのだ、バルトレットの言う事は。あの、凜とした決意を曲げない翠の瞳を思い出す度に、望まぬまま帝国の手先として戦うしか無い己が身を、もどかしく思い続けたのだ。
そんなアルフォンスの心中も見透かした様子で、バルトレットはにやりと唇を歪める。
「どうも貴様の反抗的な態度は癪に障るな。反乱軍と手を組んで、カレドニアを乗っ取ろうとでも考えているのではないか?」
流石にそれには、かっと頭に血が上った。
「陛下! 私の事をそこまで疑われますか!?」
思わず立ち上がり、一歩を踏み出した瞬間、王の衛兵が即座に動き、アルフォンスを両脇からがっちりと拘束する。その様を見て、バルトレットは膝を叩きながら呵々大笑までしてみせるのだ。
「本当にその気が無いのなら、そこまでむきになる必要はあるまい? やはり貴様は信用ならぬな」
ぎょろりとした目で嫌味なほどにアルフォンスを
「まあいい。身も心も冷えれば頭まで冷えよう。牢にぶち込んでおけ!」
「陛下!」
アルフォンスは再度切願するように声を放つ。だが、主君は最早こちらに興味を失ったかのように目もくれず、残る将達に指示を下すばかり。「良い気味だ」「子供は子供らしく大人に従っておれば、目の敵にされぬものを」エルネストとグリッドがくつくつとほくそ笑んで、聞こえよがしに囁き交わす。
自然、瞳は残る一人に向いた。王に最も近しく、そして唯一、王に対等に意見を放てるだろう相手へと。
だが、頼れるべき一人であるジャンヌ王女は、憐れむような視線を一瞬こちらに投げかけたものの、済まなそうに睫毛を伏せがちにし、すぐに背を向けるばかりであった。
衛兵達に連行され、地下牢に押し込められて、どれくらいの時間が過ぎただろうか。国土の大半を占める不毛の山肌を穿つように建設されたカレドニア首都ノーデの城は、夏は酷く暑く、それ以外の季節は極端に寒い。温まる食事どころか毛布一枚与えられず、ぴちゃん、ぴちゃん、と、どこかから雨漏りする牢内は冷え込み、喉が渇いて、アルフォンスからまともに思考する能力を奪ってゆく。
だが、心が折れ、唯々諾々と従う人形に成り果てる。それこそが主君の狙いだと気づけば、ここで屈する訳にはいかないと、彼は湿った壁をじっと見つめ、思案を巡らせる事を諦めなかった。
解放軍はまず、『
何とか。何とか、エステル王女に知らせる方法は無いだろうか。ラドロアで見た、あの純粋で真剣な翠の瞳は、この数ヶ月、アルフォンスの脳裏に焼き付けられ、まなうらを
ここまで彼女に肩入れするのだ、バルトレットに忠義を疑われても仕方が無い。それでも、アルフォンスの心の
だが、運命はそんな彼を冷淡に
「出ろ、アルフォンス・リードリンガー。陛下がお呼びだ」
先程自分を連行した衛兵が、居丈高に告げながら牢の鍵を開けた。あの頑固な国王が、一体どういう心境の変化か。疑問に思いながらも、「ぐずぐずするな!」と、衛兵に鞘に収まった剣で強く背中を叩かれ、ひりひりとした痛みを抱えて、先程連れ出された謁見の間へと戻る。
そこにいた人物に、アルフォンスは心臓を鷲掴みにされるような驚きのあまり、目を見開いて入口で硬直してしまった。
玉座にかけるバルトレット。かしこまる将三人は変わらない。だが新たに現れた一人は、あまりにも戦事の話にそぐわぬ、たおやかな雰囲気をまとっていた。
小柄で華奢な身体。腰まで流れる薄緑の髪。カレドニアには咲かぬ菫を思わせる瞳は、髪と同じ色をした長い睫毛に縁取られて、まっすぐにアルフォンスを見つめている。その人物は。
「ファティマ……!?」
我が家で自分の帰りを待っているはずの妹であった。
「貴様の帰りが遅いと心配して、単身乗り込んできおった」
唖然とするアルフォンスの耳に、バルトレットの失笑が滑り込んでくる。
「事情を聞いたら、自分が身代わりになる故、兄を解放しろと抜かしおったわ! 脆弱そうに見えて、心根の頑固さは流石
王が、さも可笑しそうに玉座の肘掛けを平手で叩く。だが、違うのだ。この妹が、兄の危機を察して駆けつけたのには、迂闊に人には言えない別の要因がある。
「ファティマ」
よろよろと。ふらつきながら妹のもとへ歩み寄り、二人の間にしか聞こえない声量で問いかける。
「『視た』のか」
その質問に、頭半分小さい妹は、菫色の視線をしっかりと兄に向け、今にも散りそうな花のごとき儚い笑みを浮かべてみせる。それが、兄妹の間で何度も交わした符丁であり、全ての答えだ。
「貴様の妹はグリッドに預ける。貴様は部下を率いて先鋒を務めろ」
追い打ちをかけるがごとく、国王の命令が無慈悲に下される。自分が迷夢にとらわれている間に、誰よりも大事な妹を巻き込んでしまった。激しい後悔が訪れるが、決まってしまった事態を巻き戻してやり直す事は、神格化された聖王ヨシュアでもできない。彼さえも、三百年前の聖戦の折には、数多の仲間の屍を乗り越えた末に、魔王イーガン・マグハルトを討ち果たしたというのだから。
吟遊詩人は英雄の活躍を綺麗事のように謡う。しかし、その裏には、闇に葬りきれない悪意と陰謀と愛憎が渦巻いているのだ。聖王が隠しきれなかった暗黒を、一介の騎士に過ぎない自分が払う事など、到底できない。顔をうつぶせ、歯噛みをすると。
「アルフォンス兄様」
鈴の鳴るような誰よりも愛おしい声が、アルフォンスを現実に引き戻した。ひんやりとした小さな手が頬に触れ、菫色の瞳が優しげに細められる。
「わたしは大丈夫です。心配はありません」
『大丈夫』
頼り無げな外見と、その身に秘めた力故に、幼い頃から虐げられる事の多かった妹。そんな彼女がいつからか、兄を安心させる為に放つようになった言葉を、呪詛のように噛み締める。
「さあ、さっさと行け」
感傷に浸る時間は終わりだとばかりに、バルトレットの嘲笑を交えた声が鼓膜を叩きつける。
「貴様の忠誠を見せろ。最後の一兵まで退く事を許さん」
それは死んでこい、と同義だ。どんなに理不尽な命令を浴びても、己より大切な妹の生命がかかっているのだ。逆らう事などどうしてできようか。
「……かしこまりました」
かろうじてそれだけを絞り出す。衛兵が兄妹を引き離し、ファティマの小さな手が名残惜しそうに遠ざかってゆく。
エステルを殺すか。彼女に殺されるか。
それ以外の選択肢は、最早アルフォンスには残されていなかった。
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