第3章:脅威潜む銀炎(7)

 ヨーツンヘイムを攻略した解放軍は、ギャラルン大橋西側を渡り、ガルディア半島へと進軍した。

 ガルディアはシャングリア大陸南方を占める半島であり、東側に緑豊かなガルド王国、西側に険しい山々に囲まれたカレドニア王国の二国が存在する。

 国土の様相が異なるように、グランディア帝国発足後に両国が辿った道は正反対で、カレドニアのバルトレット王は、自国が抱える屈強な魔獣騎士グリフォンナイトを率いて帝国に徹底抗戦した。が、ある時期から突如帝国に恭順の意を示し、以降、帝国の尖兵として、各地でその戦力の脅威を見せつけるようになった。

 一方、ガルドのティファ女王は、国民が危機にさらされる事を憂いて、早々に帝国の威光の前に屈する道を選んだ。が、それを弱気な姿勢ととらえた宰相トレヴィクによって、女王は幽閉され、国政を掌握して帝国に従ったトレヴィクのもと、民は圧政に喘ぐ羽目になった。

 選択が完全に裏目に出たティファ女王を、それでも民衆は慕い、何とかトレヴィクの魔の手から救い出せぬかと手を尽くしたが、狡猾さに長けたトレヴィクは、敢えてティファ女王を敬愛する兵士を傍に置く事で、彼らに対して女王を、女王に対して兵士らを人質とする事で、誰も手出しが出来ないように仕組んだのである。

「何て卑劣な……」

 ガルド国内を進み、王都ウルズに近いペレスタ砦で全軍を休ませた時、クリフが近くの街の住民達からかき集めてきた情報を聞いて、エステルの口から最初に洩れたのは、その言葉だった。

 これまでの敵は、帝国軍か、それに属する勢力が主体だった。だが今度は、帝国に媚びへつらっているとはいえ、救おうとしている国の家臣が首魁なのだ。

「ティファ女王は、ミスティ様とも親交を交わし、語り合いによる大陸の平和という、ミスティ様の理想に賛同しておりました。そこをつけ込まれたのでしょう」

 エステルの隣でクリフの報告を聞いていたアルフレッドが、不快感を隠さずに眉間に皺を寄せる。クレテスと仲直りした後、エステルは今まで通りに叔父と接する事が出来た。彼が今でも母を一番に想っている、という痛みは小さく心に残ったが、それを思い知った時の衝撃は、最早消え去っていた。

 アルフレッド自身も、自分が夢現で何をしたかは記憶に無いらしく、エステルに対して特に何を言う訳でもない。だが、なかなか癒えない傷を負った為に、ここまでの道程で最前線で剣を振るえなかった事、思うように身体を動かせなかった事は、少なからず彼に、自身に対する苛立ちを募らせていたようだ。その口ぶりには、トレヴィクに対する怒り以外にも、自分の不甲斐無さを責める色が乗っていた。

 とにかく、下手にこれ以上王都に近づいては、トレヴィクを刺激し、どんな行動に出させるか、わかったものではない。

「わかりました、しばらく様子を見る事にします。ありがとう、クリフ」

 偵察の礼を述べながらも、エステルの胸には、手詰まり感という重たい鉛の塊が落ち込んだようであった。


 ペレスタに解放軍が到達した事を知ると、近隣住民は、食料や日用品、武器を携えて砦にやってきた。解放軍に参加しようとする熱意ある者、英雄エステル王女の助けにと貢ごうとする者もいるが、中には、しっかりと代金をもらって商売を成り立たせようとするちゃっかり者もいる。

 とはいえ、彼らにも彼らの生活があるゆえ、全て無償で提供、という善意だけでは祖国が解放されてもその後の人生が成り立たない。それを解放軍の戦士達も承知の上で、金を払って食料を得、古びてきた剣を下取りしてもらって、安く新しい武器を手に入れたりした。

 そんなガルドの民と戦士達のやりとりの場をぶらぶらと歩いていたラケとリタは、炊き出しをしている女性達の中に、とても見覚えのある顔を見つけて、そのまま過ぎ去ろうとした足を止め、ぎょっと振り返った。

 すると、相手も気づいたらしい。赤紫色の短髪と瞳を持つ小柄な少女は、二人の姿をみとめると、「げっ!」と、潰れた蛙のような声をあげて顔をしかめ、手にしたおたまと椀を慌てて隣の少女に託して、その場を逃げ出そうとした。

 が、格闘術で足腰をひたすらに鍛えているリタから逃げようというのは、狙いを定めた肉食獣の群から子牛が逃れようとするくらい不可能な事である。たちまち追いつかれ、襟首をつかまれると、ずるずる引きずられて、砦のベランダへと連れ出された。

「何やってるのよ、パロマ!」

 ムスペルヘイム一の魔鳥騎士姉妹と謳われた、ユシャナハ三姉妹の末妹、レディ・ユシャナハの娘にして、ラケとリタの従妹パロマ・ユシャナハは、ラケにどやされて、十六という年齢に相応しい愛らしい顔を、相応しくなく歪めてみせた。

「何って、暮らしてたのよ、ガルドで」

 まさかラケ姉達と出くわすとは思わないじゃない、と、少女は唇を尖らせる。

「生活はどうしていたの」

「ここの近くの街の、宿で働かせてもらってた」

 宿と聞いて、ラケとリタが良からぬ想像を巡らせた事を見抜いたらしい。

「心配無いわよ、普通の旅人の宿だってば」

 誤解しないでよね、とパロマは眉根を寄せた。

「どうして帰ってこなかったんだよ。エステルが挙兵した事は知ってたんだろう」

「宿の跡継ぎに見初められて、離れがたかったのよ。それに、アタシがいなくたって困らないでしょ。解放軍には、騎士に相応しい人間がいればいいじゃない。ラケ姉とか、レナード兄とか」

 リタが詰め寄ると、パロマは厭わしそうに目を細めてうつむき、首の後ろをかきながら吐き捨てた。が。

「レナードは死んだわ」

 レナードの名を出した途端、すっと顔から感情を消してラケが紡ぎ出した言葉に、パロマはこちらに顔を向ける。言っている事が理解出来ないとばかりに目を見開いていた。

「冗談」

「ラケ姉がレナード兄の事で冗談言うかよ」

 無理に笑ってみせようとする従妹に、リタが真剣な表情で言葉を継ぐ。

「リヴェールの魔鳥騎士団は壊滅した。知らなかったのか」

「全然……」

 たちまちパロマの顔から血の気が引いて、唇が細かく震える。この反応は、本当に知らなかったのだろう。ガルドには、解放軍の快進撃の報だけが届き、痛手を被った話は伝播しなかったに違いない。

『騎士として生きる誇りと覚悟が無いなら、トルヴェールにいなくていい!』

 それが、亡き母のあとを継いで魔鳥騎士になる道を選ばず、のんべんぐらりとした毎日を送っていたパロマが、トルヴェールを飛び出してゆく決定打になった、兄レナードの言葉だった。和解も出来ないまま、兄妹は永遠に別れてしまったのである。

「ムスペルヘイムの騎士は、もうあたし達だけだ」

 そう言いながら、リタはベランダへ出る大窓の陰をちらりと見やった。背も手足もひょろ長い、少し気弱そうな癖っ毛の青年が、不安げにこちらの様子を窺っている。彼がパロマの言っていた、宿の跡継ぎだろう。恋人を案じて、後をつけてきたに違いない。彼にも聴こえるように、リタは一際声量を上げる。

「騎士であるかどうかなんて、血筋や身分で決まるものじゃない。ここで」

 ぎゅっと拳を作って、心臓の位置に押し当てる。

「心で、決まるんだ」

 剣を振るわなくても、戦場で馬を器用に乗りこなせなくとも、志さえ持っていれば、騎士である事に変わりはない。それは、立派な魔鳥騎士になれと言う母に反発して、格闘術ばかりを磨き続けた、リタ自身が導き出した答えでもあった。

 返す言葉を見失っているのだろう。うつむいて、どんな目をしているのかわからないパロマに、ラケが声をかける。

「私達はエステル様について、グランディアまで行くわ。貴女に、無理についてこいとは言わない。貴女の今の生活にどうこう口出しもしない。でも、もしその気があるなら、解放軍が砦を離れる時までに、考えておいて」

 そうして、ラケとリタは踵を返して従妹に背を向け、その場を立ち去る。青年とすれ違った際、彼は二人に軽く会釈をし、恋人のもとへ駆け寄っていったが、何と声をかけたのか、リタ達には聞こえなかった。


 砦の屋上へ登れば、宵を迎えて紫紺に彩られた空に、三日月が浮かび、大小様々な星が輝く光景がエステルを出迎えた。平時ならば美しいと見入るものも、進軍が手詰まりになり打開策が浮かばない今は、星はちらちら視界を邪魔する光でしかなく、月は自分を嘲笑っているようにしか見えない。

 焦りで気が立っているのだ、とはわかっていても、それを静める方策も思いつかない。目を閉じ眉間に皺を刻んで、深々と溜息をついた時。

 風に乗って耳に入り込んできた音に、エステルははっと目を開いて、そちらを向いた。


 迷い子 迷子 何処へ征く

 恋に 生き死に 惑いしか

 打ち破る 術を 求めしか

 さあれば 立てよ 愛し子よ

 焦慮は 刃 右の手に

 涙は 盾と 左手に

 意志の 鎧を 纏い着て

 進めや 進め 道行を

 正と 信じた 道程を


 決して高すぎず低すぎない、性別のわからない声だった。しかし、空気を叩くような強い音と、迷える今のエステルを鼓舞するかのような歌詞に、ぼうっと聴き入ってしまった。

 ふっと音が去った事で、歌が終わったのだと気づき、エステルは思わず拍手を送る。すると、屋上の手すりに手をかけて立っていた歌い手が、ゆっくりとこちらを振り返った。

 エステルと同い年くらいの若者に見えた。銀に近い長い薄紫の髪を左右に結わいている。瞳は右が青、左が紅のオッド・アイで、身体はすとんと細く、顔立ちからも性の区別がつかない。

「素敵でした」

 エステルが思わず笑顔をほころばせると、相手はきょとんと目をみはった後、にっと唇が上弦の弧を描いて、

「それはどうも」

 と、やはり歌声と同じ、男女どちらかわからない声で返してきた。

「でも、いいのかな。解放軍の大将殿が一人でこんな場所をふらふらしていて。敵が民衆に紛れ込んでいる可能性を考えないのかい?」

 痛いところを突かれた。たしかに、今のペレスタは、簡単に外部の人間が入り込める状態になっている。守り役をつけずに出歩いて、結果不審者に襲われては、迂闊も何もあったものではない。

 だが、エステルは、不敵に笑み返してみせるのだ。

「もしあなたが本当に帝国の手の者だったら、私があなたの歌に聴き入っている内に、命を奪っていたでしょう?」

 そう、目の前の若者から、殺気や悪意の類は一切感じない。魔術に操られている状態以外で、純粋にこちらを害そうとする人間には、少なからずその気配を発する事を、エステルもここまでの戦いで学んできたのだ。

 それを聞いた若者は、色の違う瞳を軽い驚きに見開いた。しかしすぐにそれを消すと、「上出来」と、人好きのする笑顔を返しながら、歩み寄ってくる。

「気に入ったよ。ボクも君に協力してあげる」

「協力?」

 エステルは小首を傾げた。この状況で協力と言うからには、解放軍に加わってくれるという事だろう。だが見たところ、若者はどこにも武器を帯びていないし、魔法を使うようでもない。歌で味方を鼓舞するとでも言いたいのだろうか。

「あの、お気持ちは嬉しいのですが、我が軍に吟遊詩人は……」

 すると、若者はくすりと笑って、顔の前に指を一本立ててみせた。

「大丈夫大丈夫。きちんと戦いで役に立つから、まあ期待してておくれよ」

 そこまで言われては、厚意を要らぬと突っぱねる訳にもいかない。

「わかりました」

「決まりだね」

 エステルがおずおずと頷くと、若者は両眼を細めて右手を差し出した。

「ボクはエシャラ・レイ。エシャって呼んでよ」

 一人称が「ボク」なので、ますます男なのか女なのか判然としない。戸惑いつつも手を握り返すと、エシャは握った手をぶんぶんと上下に振り、そして目を輝かせて問いかけてきた。

「ところで、ご飯はどこで食べられるかな? もうお腹ぺっこぺこでさ。何でもいいからありつきたい」

「ええと、たしか中庭で炊き出しが」

「ありがとう!」

 歓喜の声と共に、ばしいん! と、結構強い力で肩を叩かれ、エステルは思わず、塩の塊を口に含んでしまったような顔をする。しかしエシャはそれも些細な事とばかりに、

「いやあ、飯の食い扶持がついて嬉しいよ! よろしくね!」

 と、もう一度握手した手を勢いよく振り、その手を離して、スキップするような足取りで鼻歌を歌いながら屋上を去る。

 あからさまに怪しげな人物を仲間にしてしまった。だが、しかし。

(悪いひとでは、ないですよね)

 エステルは、そんな己の直感を信じる事にした。

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