第3章:脅威潜む銀炎(1)

 覚えているのは、春の日差しの下、しめやかに行われる葬儀。黒い喪服に身を包んだ参列者達は、亡くなった貴族の棺ではなく、喪主を務める少年の隣で、微動だにせずたたずむ自分をちらちらと見ていた。

『こりゃまた、そっくりじゃないか。父親にもお兄さんにも』

『マリオス家のご当主も、厄介な落とし胤を遺したもんだ』

 囁き合いと好奇の視線には、勿論気づいている。だが、自分は無関心を装い、無表情を崩さなかった。

 上級貴族の家柄にありながら、怠惰で色欲に溺れた父親は、手当たり次第に女を抱いてはごみのように捨てる男であった。その家に下働きとして仕えていた自分の母親も、たまたまそんな女性の一人にあっただけだ。

 王国の暗部とも言うべき最下層で、女手一つで息子を育てた無理がたたって、母は早くに亡くなった。城下街の孤児院に引き取られて、数年経ったある日、『兄』を名乗る少年が、自分を迎えにきた。父が死んだから、と。

『君の母上と僕の母は旧い友人で、僕も彼女にはよくしてもらった。父が生きているうちは何も出来なかったけれど、僕は彼女に恩返しをしたいと、ずっと思っていたんだ』

 父親が認知しなかった故、『弟』として迎える事は出来ないが、『養子』として引き取れば、同じ姓を名乗る事が出来る。それが、十四歳の少年が、『弟』の為に必死で考えた策だった。

 だが、兄の心遣いへの感謝も、貴族の家柄に入る事が出来た喜びも、その時の自分には湧いてこなかった。

 母を苦しめた男がこの世からいなくなった。その安堵感を胸に満たしながら、傲慢な男の遺体が納められた棺が運ばれてゆくのを、白けた目で見送っていた。

 と。

 不意に周囲の人間の姿がかき消えた。葬儀場の光景が去って真っ黒の世界になり、そこに、自分と棺だけが残される。

 ごとり、と。

 重たい音を立てて、中から動くはずの無い棺の蓋が開けられて、透き通りそうなほどに白い腕がのぞき、ゆっくりと、起き上がる影がある。そんなはずは無い。この人が、この棺の中にいるはずが無い。心臓が逸り、脈拍音は耳の奥で激しく響いている。

 水色がかった銀髪。細い肢体。その全てが今、赤いもので染まっている。翠の瞳が、ぎょろりとこちらを向く。

『ねえ、どうして? ――――――』

 目を逸らしたいのに、全身が氷で覆われたように硬直して、息をする事さえ難しい。その間にも、その人は棺を抜け出し、血濡れの素足で、黒い世界に赤の足跡を刻みながら、こちらに向かってくる。

『必ず助けにくるって、約束してくれたのに。どうして守ってくれなかったの?』

 瞳の奥には空虚が宿っている。到底生きているとは思えない、冷たすぎる手が頬を撫ぜて、ぬるりとした感触を塗りつける。

『嘘つき』

 忌々しそうに。紫色をした唇が歪む。

『貴方は嘘つき。貴方は、誰も助けてくれなかった』

 接吻出来そうな距離に虚無が近づいて、唇の歪みは、狂気を孕んだ笑みに豹変する。

『貴方は、誰も守れやしないのね』

 彼女は、呪詛のように繰り返す。

『嘘つきさんは、いなくなってもいいわよね』

 冷たい指が、こちらの首にかかって――


 は! と。

 大きな息を吐き出しながら、アルフレッドは覚醒した。心臓がばくばく言って、呼吸が上手く出来ない。

 しばらくの間、ここが夢か現か認識出来ないまま、意識を彷徨わせ、まだ荒い息のまま、視線を巡らせる。砦の個室を使わせてもらっているおかげで、誰にも醜態を見とがめられなかったのは幸いだ。

 のろのろと、ベッドの上に身を起こし、首をさする。そこに指の痕など無い事はわかっていたが、夢の中で触れた冷たい感触が生々しい。

 そう、あれは夢だ。過去と入り混じった、今までに何度となく見ては、罪悪感にとらわれた夢だ。

 騎士になれなかった私生児。兄に恩返しを出来なかった弟。主を見捨てて逃げ出した聖剣士。約束を守れなかった男。

 幾つもの汚名は、夢という形を取って、今も自分を追いかけてくる。

 トルヴェールを発ってからこちら、戦いの日々で気分が昂揚しているせいか見なかった悪夢が、久しぶりに蘇ったのは、先日の戦で、逆鱗とも言える部分に言及されたからだろうか。

 ゆっくりと窓の外を見やれば、既に仄明るい。夜明けは近いだろう。

 アルフレッドの心が闇に沈んでゆく事など、空は考慮もしないまま、今日も太陽が昇るのだ。


 エステルのもとへ、セティエに連れられたティムが、詫びの挨拶に来たのは、ギャラルン大橋での戦いが終わり、崩落に巻き込まれた戦士の捜索が打ち切られて、混乱が落ち着いた、数日後であった。

「エステル様、ごめんなさい。僕が不甲斐無かったせいで、多くの人に迷惑をかけてしまいました。謝って、死んだ人達が帰ってくる訳ではないけれど、本当にごめんなさい」

 十三歳とは思えないしっかりした態度で深々と頭を下げるティムに、エステルは近づき、その手をそっと取った。

「どうか顔を上げてください、ティム」

 のろのろとおもてを上げる少年に、エステルは柔らかく笑みかける。

「たしかに悲しい事もありましたが、セティエにとって大切な貴方が無事だっただけでも、何よりです。身近な人を失う事ほど、辛い事はありませんから」

 ティムが途端に、青緑の目をみはる。そう、トルヴェールにいた頃にも、ここに来るまでの道程でも、多くの人が帝国の暴虐の前に命を奪われた。そこには、エステルが顔と名前を知っている人物も、そうではない人物もいる。

 知らない。だからといって、「痛手ではなかった」と割り切る事も出来ない。彼らは、エステルがこの暗黒時代から自分達を救ってくれると、最期まで信じてくれた者達なのだから。

 だから、初めて言葉を交わすこの少年が、無事に家族に再会出来た事だけでも、今は喜ぶべきなのだ。

「それに、貴方の実力のほどは、先日しっかりと目の当たりにしました。どうかこれからは、セティエと共に、解放軍の一員として戦ってくださいませんか。強力な魔道士が増える事は、とても心強いです」

 ティムはさらに目をみはり、傍らの姉を見る。セティエが無言でうなずき返すと、少年は再びエステルに向き直り、

「わかりました」

 と、またも低頭する。

「失われた人達への償いの為にも、僕は、僕の出来る限りの事をします」

 そうして彼は顔を上げ、エステルが手を離すのを見届けると、「まずは」と、窓の外に見える、崩れ落ちた橋を指差した。

「僕は操られている間も、周りが話していた事は記憶に残っているので、お話しします。ジョルツは橋を落とした後、六月に入ってギャラルン河の水が引き、人や馬でも渡れるような浅さになってから、解放軍の残存勢力を叩く、そのつもりでいたようです」

 成程、橋を破壊したのは、進路を塞いだまま解放軍を潰す算段が、ジョルツの中にあったからか。そして修復する気配が無いのは、そのジョルツが死に、現状以上の指示を下す者がいないからだろう。エステルは納得する。

 六月になればギャラルン河は干上がり、再び帝国軍が攻めてくる。その時までには、新たな将もやってくるだろう。逆を返せば、その時まで向こうも何も手が出せない状態なのだから、ゆっくりと戦支度を整えていれば良い。

「ありがとう、ティム。とても参考になりました」

 エステルが礼を述べると、ティムは少しだけ頬を紅潮させ、もじもじしていたが、不意に気を取り直すと、思い出したように、「そういえば」と切り出した。

「ジョルツが闇魔法や禁呪を使えたのは、生まれつきではないようです。帝国の中心にいる、魔族が与えたもののようでした」

 魔族。かつてこの大陸を掌握していた種族の存在に、エステルの表情は、自然と固くなる。

「顔まではわからないのですが、『怒りに燃えてうずくまる者(ニードヘグ)』と名乗っていたのはたしかです」

 魔族のくせに、神代の伝承に記される竜の名を名乗るなど、一筋縄ではいかない相手のようだ。人間にあれだけの魔力を分け与えるとは、本人はどれだけの力を持っているか、わかったものではない。だが、いずれ向き合う相手だと認識しておかねばならないだろう。

「わかりました、覚えておきます。ありがとうございます」

 ティムに頭を下げながら、エステルの手は小さく震えていた。今回のジョルツの策を見破れなかった程度の力しか持たない自分が、彼を上回る実力を持つ敵と対峙した時、果たして打ち破る事が出来るのだろうか。その不安が、心を苛む。

 だが、それこそがきっと、彼らがエステルに与えようとしているものなのだろう。畏怖と恐れは、剣を握る手を鈍らせる。人を動かす判断力を削ぐ。それに負けてはならない。エステルは、ぐっと拳を握り込み、歯を食いしばった。


「そうだ、お姉ちゃん」

 エステルのもとを辞して廊下を歩いている時、不意に弟に呼びかけられて、セティエは足を止めた。何事かと向き直れば、ティムは腰に帯びたポーチから、片手で握り込める赤い球体を取り出した。その中心で、紅の光がゆらゆらと揺れている。それがただの宝石などではない事は、感知できる魔力の強さから察する事が出来た。

「『メギドフレイム』。お祖父(じい)さんが、僕に『ヴォルテクス』をくれたように、お姉ちゃんの為に遺した、炎魔法です。これを渡したくてお姉ちゃんを探していたんですが、途中でジョルツに捕まってしまいました」

 遺した、という言い方に、セティエはふっと溜息を洩らす。

「そう、やっぱり、お祖父様は亡くなったのね」

 セティエが旅に出る前、姉弟を育ててくれた祖父は病床にあった。彼女が放浪していたのは、帝国に対抗し得る勢力を見出す為だったが、祖父の病を治す手段を求める為でもあったのだ。間に合わなかったのか、という後悔の波が、胸に訪れる。

「お姉ちゃん、どうか落ち込まないでください」

 ふっとうつむき睫毛を伏せるセティエの手を、同じくらいの大きさの弟の手が包み込んだ。

「お祖父さんは言いました。この大陸の未来を憂う者が、変革の戦いに身を投じてゆくのは当然だ、と。お祖父さんは最期まで、お姉ちゃんを誇りに思っていました。だから僕も、エステル様のお役に立てるように、精一杯一緒に戦います」

「お祖父様が、そんな事を……」

 眠る前の布団の中で、幼い姉弟に『優女王』ミスティの物語を聞かせてくれた祖父の、優しげな横顔が脳裏に蘇る。魔道士としては厳格に二人を教育した師匠だったが、家族としての顔は、果てしなく温かい人だった。

 その気遣いに感謝しながら、弟が掌に握り込ませてくれた『メギドフレイム』の光球を胸に押し当てる。途端、光球が、込められた魔力の継承者を認め、穏やかな光を放って、封じられた魔法を解放する。新たな力と、家族の愛を感じ取って、セティエのまなじりがしっとりと濡れた。

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