第2章:暗黒の侵食(8)

 アルフレッドが同志から受け取った情報によると、ラドロアには、魔物キマイラの他に、同盟国であるカレドニアの魔獣騎士グリフォンナイト数十が加わっているとの事であった。魔物は出てくるだろうとは思われていたが、カレドニアまで入ってくるとは思わず、作戦会議の場には重苦しい空気が満ちる。

「せめて、カレドニア軍との戦いを避ける事は出来ないでしょうか」

 エステルは、先日出会ったアルフォンスというカレドニア騎士の事を思いながら、ぽつりと洩らす。彼の真摯な瞳を思い返すと、敵の中にも心ある者はいて、全てを討つ事が正しいとは思えなくなっていたのだ。

 だが、エステルの呟きに、いつもなら返事をしてくれる声が無い。訝しげに視線をやれば、アルフレッドが顎に手を当て、何か深刻な様子で考え込んでいた。

「叔父様?」

 声をかけると、アルフレッドは、今しがた気づいたかのように、はっと顔を上げる。

「あ、ああ、申し訳ございません、エステル様。気が散っておりました」

 気が散っていたというよりは、何か他の一つ事に気を取られて、物思いに耽っていたように見える。しかしそれが何なのかわからなくて、エステルは小首を傾げた。

「何にせよ、カレドニア兵だけ見逃すっていうのは、無理さね」

 地図を広げたテーブルの向かいに立っていたテュアンが、深々と溜息をついて、両肩をすくめる。

「カレドニアは、軍事大国ではあるが、土地事情が厳しくて、国内での産業が成り立たない国だ。今は帝国の傭兵をする事で、何とか経済を回してる。そんな国の兵が、退いてくれと言われて素直に剣を納めるはずが無いさ」

 それに、と彼女は続ける。

「カレドニアの魔獣騎士は、獰猛かつ容赦が無い事で有名だ。戦場で落とさずに見逃せ、ってのは、味方に大損害を出せ、最悪全滅しろ、って言っているようなもんだよ」

 正論をぶつけられれば、エステルに反駁の余地は無い。

「……わかりました」

 テーブル下の、誰にも見えないところで両の拳をぐっと握り締め、エステルは再び口を開く。

「弓兵を中心に、まずはカレドニア軍を落とします。帝国兵とぶつかるのは、それからで」

 そうして、目をつむる。

 まぶたの裏で、自分と似た顔をした少年の青の瞳が、まっすぐにこちらを見すえている。彼も撃ち落とさねばならないのだろうかという思いに、エステルの胸は刃で斬り裂かれたかのようにじくじくと痛んだ。


 ラドロア砦攻略戦は、昼過ぎに幕を開けた。

 カレドニアの、魔獣グリフォンを駆る騎士達が上空に飛び立つ様は壮観で、敵ながら、見惚れるほどに圧倒されてしまう。

 だが、怯んでいる場合ではない。エステルが号令を送ると、弓兵が歩兵に守られながら前線へと踏み出した。

 飛行戦士の最大の弱点は、飛び道具だ。剣や槍は上空に届かないが、矢や魔法は的確に跳んでくる。それに乗騎の翼を、あるいは乗り手自身を貫かれれば、強靭を誇る魔獣騎士でもひとたまりも無い。

 弓兵が次々と矢を放ち、魔獣騎士を撃ち落としてゆく。だが、敵もさるもので、槍を振りかざして急降下し、弓兵や、それを守る歩兵を討ち取っては上空に去るという、一撃離脱の戦法を取る。混戦に陥ったところへ、帝国兵が騎馬を進めてきて、戦場は瞬く間に血の色に染まった。

「エステル様!」

 上空からの戦場偵察を行っていたラケが、エステルのもとに魔鳥を飛ばしてきたのは、カレドニア兵がその数を半分に減らし、帝国兵本隊との戦いに移行してしばらく経った時だった。

「敵兵の一部が、近隣の村を襲っています。北には私とケヒトで向かいますので、南方の対応をお願いいたします」

「わかりました。私が行きます」

 エステルはうなずき、馬の腹を蹴って走り出す。それに気づいたクレテスが、即座に近くの馬に飛び乗って後を追ってくるのを、気配で感じた。


(この戦は負ける)

 ガルーダの背に乗り槍を振るいながら、アルフォンスはそう確信していた。

 オットーはラドロア砦内に、主だった側近達と共に居座り、動こうとしない。出てきた兵は、盗賊崩れの部下達と、残されたキマイラ二頭だ。そのどちらもが、今までの戦いを経て熟練してきた解放軍の戦士達の相手としては、圧倒的に力量不足である。

 更に、飛行戦士は、地上部隊の援護を得てこそ真価を発揮する兵種だ。それが無い現状、魔獣騎士は撃ち落とされるだけの恰好の的となる。部下が次々と墜落してゆく様を、アルフォンスは苦々しい思いで見下ろしていた。

 それでも、退く訳にはいかない。自分は、カレドニア王バルトレットの信用を背負って、この戦場を舞っている。許可無き撤退は、バルトレットの意に背き、カレドニアの名を貶める事になる。

 嘆息し、空高く舞い上がった時、アルフォンスの視界に、前線を離脱して南方へ向かう人馬が二騎、映り込んだ。一人は昨日、町の軽食店で見た金髪の少年だ。そしてもう一人は銀髪を翻す少女。それが誰であるか、答えはひとつしか無い。

 二人が向かう先には、オットーの手下の略奪に遭って、煙をあげる村がある。アルフォンスはまたひとつ、一際大きく息をついた。

(ここで見逃せば、またオットーに要らぬ因縁をつけられる理由を作る。可哀想だが……)

 槍を握り直し、青の瞳を細めると、アルフォンスは鐙で相棒の幻鳥に合図し、二人の後を追った。


「エステル、カレドニア兵が来る!」

 燃え盛る村へ向けて馬をひた走らせるエステルの耳に、クレテスの注意喚起が飛び込んできた。

「何だあれ、グリフォンじゃないのか?」

 彼の呟きを受けて、馬の速度を下げぬまま振り返る。迫ってくるのは、銀色の体毛を持つ、アルシオンより一回り大きい魔鳥であった。そして距離が近づいて、その背に乗る相手の顔が見えた時、エステルは驚きに息を呑んだ。

 昨日出会った、アルフォンスというカレドニア騎士だ。彼がこの戦場に出てくる可能性はずっと考えていたが、まさか直接対面する羽目になろうとは。

 戦場でない場所での諍いを収めてくれた彼ならば、話が通じるのではないかと、わずかな望みを抱いていた。だが、現実は非情で、彼は昨日の穏やかな表情が嘘のように、れっきとした戦士の顔をして、ぐんぐん距離を詰めてくる。槍の穂先がぎらりと光って、彼の胸中に秘めた戦意を表しているかのようだ。対話に応じてくれるはずも無いだろう。

 クレテスが馬を止め、剣を抜いてアルフォンスを待ち構える。すれ違いざま、剣と槍がぶつかり合い、甲高い音と火花を空中に散らす。幻鳥の飛行の勢いが加わった相手の力が強かったか、一撃を弾かれてのけぞるクレテスの鳩尾に、再度降下してきた敵の、槍の石突が叩き込まれる。彼は落馬して、身体を強く地面に打ちつけ、嫌な音がした。

「クレテス!」

 エステルは悲鳴じみた声をあげる。クレテスの右足があらぬ方向へ曲がっている。落馬の衝撃で折ったに違いない。

 その間にも、敵は再び舞い上がり、クレテス目がけて急降下してくる。このままでは幼馴染の命が危ない。エステルは意を決すると、馬の手綱を操って、クレテスと敵兵の間に割って入った。すると。

「――と、止まれ、シーバ!」

 アルフォンスの焦り切った声が、耳を貫いた。


「――と、止まれ、シーバ!」

 相棒に悲鳴じみた声を浴びせて、咄嗟に手綱を引くと、幻鳥は即座に主の命に従い、地面すれすれで敵に突っ込む事を止め、再度上空へと浮かび上がった。

 肝が冷える思いに、嫌な汗がだらだらと背中を伝い落ちる。まさか、エステル王女自身が楯になろうと飛び込んでくるとは。

「エステル、おれの事はいい! 村を守りに行け!」

 負傷した少年兵が、骨折で血の気の引いた顔をしながらも、怒鳴っている。しかしエステルは、ぶんぶんと首を横に振り、「駄目です!」と声を張り上げた。

「村を守る事も大事だけれど、私には、クレテスを見捨ててこの場を離れる事も出来ません!」

 その言葉は、大きな衝撃として、アルフォンスの脳を殴りつけた。解放軍の盟主ともあろう少女が、たった一人の兵の為に、自らの命を張るのか。

 見下ろすエステルは、その愛らしげな顔に緊張を満たし、こちらがいつ降下してきても対処出来るように、剣を構えてじっとこちらを睨みつけている。

 愚かだ、と思う。自分の命と、一兵の命。どちらに重きがあるかなど、一目瞭然だというのに、彼女は、それを同等に扱うのだ。

 だが同時に、愚かなのは誰か、とも考える。王の為、国の名誉の為、と言い訳をして、帝国の悪逆行為を助長する自分の方が、遙かに愚かで、みっともない。

 ぎり、と唇を噛み締めると、アルフォンスは幻鳥に合図を送った。エステルが更に強張った表情を見せて剣を握り直すが、彼はその頭上を滑るように通過すると、南方の村へと向かった。

「エステル様! クレテス!」

 アルフレッドといったか、聖剣士が馬を走らせてくる音が背中を叩いたが、アルフォンスは振り返る事は無かった。


「くそっ、アルフォンスは一体何をしているのだ!?」

 ラドロア砦の一室で、続々入ってくる芳しくない戦況に、オットーは苛ついて腕を振り回し、傍にあった花瓶を派手に床に落として、欠片と水と花をまき散らした。

 部下もキマイラも討ち取られ、カレドニア兵も壊滅状態だという。戦のどさくさに紛れて、部下に近隣の集落を襲わせたが、彼らも帰ってこない。思い通りにならない状態に、ほぞを噛む思いで苦々しく舌打ちした時。

「将が奥に隠れて出てこないとは、帝国軍は本当に屑だね」

 心底呆れた、という声と共に、抜き身の剣を手にした女剣士と、槍斧を担いだ巨漢の騎士が、室内に入り込んできた。彼らの武器が血に濡れている事から、ここまでに配置した兵がどういう末路を辿ったか、想像には難くなかった。

「さて、下種はどう料理してやろうかね」

「楽しそうっすね、テュアン様」

 女剣士はにやりと笑い、騎士が少々呆れた様子で槍斧を構える。オットーのこめかみを、つうっと冷たい汗が伝い落ちていった。

「ゆ、許してくれ!」

 なりふり構わず床に這いつくばり、頭をこすりつける。

「儂はジョルツ将軍の命でここを守っていただけだ! 略奪は部下が勝手に行った事だ! 儂は知らなかったんだ!」

「ふうん?」

 女剣士が興味深そうに口元をつり上げた。

「あんた。あたしは略奪の事なんか一言も触れずに、ただ下種と言っただけなのに、何で、知ってる?」

 しまった、とオットーは口をおさえる。乗せられたのだと気づいたが、自分の失言を引っ込めるには遅きに過ぎた。

 ぶるぶると全身が震える。オットーは自棄になって、腰に帯びた剣を抜くと、めちゃくちゃにわめきながら女剣士目がけて斬りかかる。しかし、その間に騎士が無言で割り込んだかと思うと、オットーの顔面を鋭い一撃が襲った。槍斧の柄で思い切り殴られ、鼻血を噴いてひっくり返るところに、女剣士が踏み込んでくる。肩から袈裟懸けにされて、オットーは剣を取り落とし、あおのけに床に倒れ込んだ。

「ったく、別に助けてくれなくても、あたし一人で充分だったのに」

「ええー、テュアン様も歳を考えてくださいよ」

 二人が軽口を叩き合うのを遠く聞きながら、オットーの意識は永遠の闇へと沈んでいった。


 怪我を負ったクレテスに応急処置を施し、気遣いながら、集落に辿り着いたエステル達を待っていたのは、略奪者がすっかり逃げ去り、家々の消火にあたる村人達の姿であった。

「あの、これは一体どういう事ですか」

 エステルが傍を通った女性に声をかけると、彼女は「ああ」とふくよかな身体を揺らして答えた。

「帝国兵がやってきて、もう駄目かと思ったんだけどねえ。いきなり現れた、銀色の魔鳥に乗る騎士様が、奴らをみいんな追っ払ってくれたのさ」

 そりゃあ格好良かったよ、と歯を見せて笑う女性とは対照的に、エステルは疑念に愁眉を曇らせる。

 彼はカレドニア騎士として、帝国に与していたはずだ。実際、村を救いにゆこうとしたエステル達を追って、クレテスを敗北寸前まで追い詰めたのだ。それが一体どういう了見だろうか。問いかけようと、傍らに立つアルフレッドを見上げる。だが、叔父は唖然とした表情のまま、「銀色の魔鳥……ガルーダ……」と呟いている。

「叔父様?」

 声をかけると、彼は弾かれたようにこちらを向き、

「あ、ああ、申し訳ありません、エステル様」

 と苦笑を見せた。

「少々考え事をしておりました。どうか、お気になさらず」

 そうは言うものの、昨日の軽食店での反応といい、会議中の物思いといい、叔父の様子はどこかおかしい。あのアルフォンスという少年に、気を奪われているようだ。それが一体何故なのか。今のエステルにはかり知る事は出来なかった。


 夕陽沈みゆく中、ラドロアが遠ざかる。砦の屋上の帝国旗が引きずり降ろされた事から、部下は全滅し、オットーも討たれただろう事は容易にうかがえた。

 ただ一騎、幻鳥を飛ばしながら、アルフォンスは独白する。

(やはり、これ以上解放軍との戦いを続けるのは無意味だ。本国に戻ったら、バルトレット王に進言しよう)

 あの気性の激しい王の事だ。諫言をしようものなら、怒り狂って、こちらの首を落とせと簡単に部下に命じるかもしれない。

 それでも、アルフォンスの心の中の思いは、確固たる形を成していた。

(エステル、貴女は貴女の信じる道を行けばいい。僕は僕にできる事をしよう)

 西に傾いた夕陽に照らされて、幻鳥の翼は、赤銀に染まっていた。

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