第2章:暗黒の侵食(3)

 魔鳥騎士団を救えなかったエステルは、心ある町人にルディを任せ、再建の為、経営が得意な幾人かを残して、リヴェールを発った。最早トルヴェールを出た時の、解放の徒というだけの昂揚感は消え失せ、この先の戦いへの緊張感に満ちている。

 それは、共に育った幼馴染達へも伝播していた。

 恋い慕う従兄を失ったラケは、明らかに今までの朗らかさを失い、ひどく沈んだ表情をして、一人魔鳥で上空を行く事が多くなった。元気が取り柄のリタも闊達さを失くし、物思いにふけりながら馬を進めていた。

 それでも、解放軍に期待をかける者がいなくなった訳ではなく、むしろその数を増している。行く先々の街で、エステル達は歓待され、自分も共に戦いたいと戦列に加わる者は後を絶たない。

 それだけ各地が帝国に対して不満を抱えている証である事と、それに立ち向かう為に民を巻き込む心苦しさに、心が痛まない訳ではなかった。だが、今は前に進むしか無い。血をかぶってでも、母の理想とした世界を取り戻すと決めたのだから。そう言い聞かせて、エステルは戦いの前線に立って剣を振るった。

 そして四月の終わり、解放軍はイーグリース平原に到達した。

 三百年前、聖王ヨシュアをはじめとする四英雄が邂逅を果たし、魔王イーガン・マグハルトへの反旗を翻す一軍となって、魔王軍に大打撃を与えた『イーグリース会戦』が行われた、聖地である。だが、その聖地も、時の流れと共に神聖性を失い、そこに眠る金鉱脈を求める人間の欲によって掘り返されて、神戦の跡は踏みにじられ、見るべくもない。

 そして、伝説の地でも、帝国兵の暴虐は絶える事無く、今日も血が流れるのであった。


「エステル様」

 行軍の休憩中、馬を休ませたその傍らで、友人らと共に紅茶を飲んでいたエステルのもとに、アルフレッドが急いた様子で駆けてきた。

「斥候に向かわせていたクリフからの報告です」

 はじめこそ『盗賊崩れ』とクリフを敬遠していたアルフレッドだが、少年の腕前は信用に値すると判断したらしい。そして、評価を与えた人間に対する叔父の信頼感には間違いが無いのだ。何か深刻な話だろうと、エステルは地面にカップを置いて叔父の言葉の続きを待つ。

「ここから一刻ほど南の集落を、帝国兵が襲っているそうです。二人の戦士が応戦しているとの事ですが、その背格好が」

 そこまでで、エステルは即座に理解する。

「テュアンとリカルドなのですね?」

「……はい」

 アルフレッドが軽い驚きに目をみはった後、深くうなずく。

「全軍を動かしていては救出に間に合いません。今すぐ動ける者だけで馬を走らせましょう」

 たちまち、エステルと共に休息を取っていた者達が、武器を手に立ち上がる。

「おれは行くぞ」「あたしもすぐ出られる」「私もまいります」

 クレテス、リタ、セティエが反応し。

「私も行きます」「俺も」

 ラケとケヒトもそれぞれの愛騎にまたがる。

「わかりました。ではあとは、私と叔父様とクリフで」

 そうして八人は、南へ向けて馬を走らせた。

 エステルは願う。テュアン達の無事を。もう、手の届かないところで大切な人達の命を失わせたくはないのだ。


 ボードーは帝国兵になって三年の将だ。一軍を任されているとはいえ、アルフヘイムなどという辺境の、更にはイーグリース平原などという、富の掘り尽くされた辺境の辺境もいい、王国でもなかった地に飛ばされて、目ぼしい任務も与えられずにのんべんぐらりと過ごしていた。

 帝国にそういう将は多い。帝国に恭順すればそれなりの階位と収入を得られるとの噂が出回って、名乗りをあげる傭兵や賊あがりは多い。結果、人数を持て余した帝国から、僻地の監視という名の閑職を与えられ、明らかな指示も無いままの日々を送るのだ。

 得るものは少なく、部下の面倒見の為に費やす物だけはきっちり出ていって、安酒と賭けチェスで暇を潰す。それに飽いた彼らが思いつくのは、兵を率いて近隣の集落を襲い、金目の物を奪い、女をさらって、子供を売り払い、得た金品で束の間の贅を尽くす事だった。

 だが、辺境の集落の蓄えなどたかが知れている。金は瞬く間に底を尽き、女も皆で回せばすぐに壊れてしまう。もっと、もっとと欲は絶えず、新たな集落を見つければ嬉々として兵を差し向ける。ボードーも、そんな典型的な腐れた将の一人だった。

 だが、今日も今日とて新たな集落を見つけて襲撃をかけた時、想定外の事態が起きた。丁度滞在していた剣士と槍斧使いが、村を守るべく討って出てきたのだ。

 こちらは四十人。相手は壮年の女と若い男の二人きり。せいぜい十分程度で押しきれると思っていたのだが、次々と兵を斬り捨てて、粘る粘る。

「馬鹿野郎! 数ではこっちが圧倒的に勝ってるんだ、ごり押ししろ!」

 敵の気迫に圧されて怖気づく部下の背中を蹴り飛ばして、ボードーは自らも大剣を手に進み出る。

 と、敵の女剣士がこちらを向いた。とっくに盛りは過ぎているが、なかなかどうして、顔の好い女だ。生かしたまま捕らえてゆっくり味わいたいという欲が、ボードーの胸に湧き上がる。

「囲め囲め! 体力を削り取れ!」

 実際、相手は帝国兵十人ほどを斬ったところで、退いては寄せるこちらの戦法に、相手は疲れを見せ始めていた。肩で息をする姿もそそる。もっと喘がせてみたくなるではないか。色欲に溺れた男らしい考えが浮かぶ。

 しかし、ボードーは、蛮族まがいの行為については本家をもしのぐ能力を遺憾無く発揮したが、兵を率いる将としては非常に無能だった。

「ボードー様!」

 兵の一人が慌てふためいた様子で駆けてくる。

「新手です! 恐らく反乱軍……」

 わめくように報告する部下の首に、ひゅっと風を切る音と共に矢が突き立てられた。部下は白目をむいてそのまま横様に倒れ、動かなくなる。かと思えば、一角でぎゃあっと悲鳴があがった。明らかに自然のものではない炎に包まれて、兵が倒れてゆく。

 何だ。何が起こっている。脂汗がボードーのこめかみを伝う。

 立ち尽くす彼の頭上がふっとかげる。混乱する頭で見上げた彼の視界に最期に映ったのは、魔鳥アルシオンと、その背にまたがってぎらぎらとした怒りを瞳に燃やし、槍を突き出す少女の姿であった。


「姐さん、やるう」

 炎魔法の一撃で複数の敵を屠ったセティエの実力に、クリフがぴょうと口笛を吹いた。

「軽口叩いていないで、貴方も戦いなさいな」

 彼女にじとりとした視線を向けられても、少年は肩をすくめるばかり。

「オレは偵察特化なの。戦いはそんなに向いてねえよ」

「じゃあ何でついてきたんだよ」

 クレテスが呆れ気味にぼやきながら、向かってきた敵を斬り伏せる。

「まあ、全く戦えない訳じゃなし」クリフはそう言うと、腰のダガーを抜き放つ。「お手並み拝見してくださいよ、っと」

 直後、彼は馬の腹を蹴り、敵の集団へと突っ込んでゆく。足だけで馬を操りながら相手を撹乱し、的確に四肢を狙って斬りつけ、袖に忍ばせた暗器を撃って、次々と動きを封じる様は、たしかに致命傷には至らないが、仲間の支援をするには最適だ。動けなくなった敵にエステルやクレテス、アルフレッドが斬りかかり、馬の背を蹴って軽やかに跳んだリタが、ナックルをはめた拳で敵を打ちのめし、蹴りを叩き込んで、戦闘不能にしてゆく。

 先行していたケヒトとラケも、ケヒトは弓で、ラケは槍で、次々と帝国兵を葬ってゆく。

 エステル達には将が誰かもわからぬまま、帝国兵はものの十数分もせずに壊滅した。

「テュアン! リカルド!」

 戦場が落ち着いて、集落の入口を見た時、予想通りの人物がいた事に気づいたエステルは、馬を降りて女剣士達のもとへと駆け寄ってゆく。

「テュアン、無事で良かったです」

「悪かったな、エステル。厄介事に巻き込んでしまって」

 エステルが安堵の吐息をつくと、テュアンは剣を振って血を払い、静かに納刀する。

「リヴェールの事はあたしも噂に聞いた。残念だ。だからこそ、一刻も早くお前のもとへ戻らねばならないと思っていたんだが」

 一瞬、痛ましげに目を伏せた後、彼女は周囲の帝国兵の死体を見渡して、舌打ちした。

「どこにでも、下種ははびこっているんだな」

「それを少しでも減らす為に、これからは、テュアンも一緒に戦ってくれますか」

 エステルが上目遣いにおずおずと訊ねると、「任せろ」と女剣士は胸を張った。

「あたしも歳はくったが、まだ若い連中に後れを取りはしないさ」

「ええー。テュアン様、こないだも寝すぎて腰が痛いとか言ってたじゃないすか。無茶しないでくださいよ」

 傍らのリカルドが茶化すように口を挟むと、「うるさい」という一声と共に平手で後頭部がはたかれた。テュアンの平手打ちは効くだろう。エステルが半笑いを浮かべていると。

「無事で何よりだ」「まあね」

 エステルの隣にアルフレッドがやってきて、テュアンと笑顔を交わした。

 この叔父と女剣士は幼馴染で、長い付き合いだと聞く。彼女に接する時だけ、アルフレッドは素の喋り方をするのだ。それがエステルには少々羨ましく感じる時がある。

「また、お前と肩を並べて戦えるな」「ああ、ミスティ様と兄さんがいらした、あの頃のように」

 二人が高く掲げた手を打ち合わせる。自分の知らない叔父を知っている人がそこにいる。その事実に、エステルの胸に、小さな痛みが走った。

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