第1章:翠の瞳に決意が宿る(7)
かくして解放軍は、首都アーデンに突入した。城下の守備兵はデヴィッドと同じく、僻地に飛ばされた心ある元王国兵がほとんどで、彼が解放軍を招き入れたと知ると、たちまち帝国に反旗を翻し、住民と共に解放軍を歓呼で迎えた。
「エステル様!」「ミスティ様の御子!」「我らに勝利を!」
兵や民の歓声を浴びながら、エステル達は大通りを駆け抜ける。多くの兵が寝返ったといえど、エンゲル将軍を守る帝国兵はいまだいる。向かってくる彼らを斬り倒しながら、解放軍は王城へとなだれ込んだ。
「エンゲル将軍を討てば、戦いは終わります! 戦意の無い相手は殺さずに!」
エステルは指示を送り、中庭へと飛び込む。解放軍の戦士と帝国軍の兵士がぶつかり合い、中庭は激戦の様相を呈していた。
そんな一角で悲鳴があがり、味方が血を噴きながら崩れ落ちる。
「雑魚は要らん!」
血濡れの戦斧を振り回しながら怒鳴る、縦にも横にも大柄な髭面の男。その登場で、にわかに帝国兵の士気が上がった事から、エステルは察した。彼が、エンゲル将軍であると。どんなに腐れた上司であろうと、己の活躍を直に目にしてもらえば、今後の得られる物も大きいという考えなのだろう。
「出てこい、エステル! そっ首もらい受ける!」
また一人、解放軍戦士の胴を薙ぎ払って、エンゲルは怒鳴り声をまき散らした。
「どうした、怖気づいているのか!? 理想を果たせなかった優女王の子は、やはり柔娘か!?」
その言葉に、エステルの中で、かちんとぶつかり合うものがあった。自分自身の事はどう言われようと構わない。だが顔も知らない母であっても、親の事を貶められるのは許せなかった。
「エステル様、愚者の挑発です。乗ってはなりません!」
気づいたアルフレッドがたしなめた時には、エステルは剣を握り直し、翠の瞳に怒りを宿すと、銀髪を翻して、エンゲルの前に飛び出していた。
「良い度胸だ」エステルの姿をみとめたエンゲルが、舌なめずりをする。「さすが魔女の娘」
エンゲルが戦斧を構え直す。エステルも剣を正眼に据え、じりじりと距離を測った。
一声をあげて。エステルが一歩を踏み込む。上段からの一撃は容易く跳ね返され、返す刃で振るわれた斧を、咄嗟に身を引いてかわす。
二合、三合と、武器の打ち合う音が響く。両者の力ははじめこそ拮抗していたが、男女の体力差は顕著である。身軽さを最大の利点にしたエステルと、無精ながらも最低限の訓練はこなして筋肉を保っていたエンゲル。次第にエステルが力に圧されだした。
「反逆者を討った功績があれば、儂は更に出世できる!」
興奮に血走った目をして、エンゲルが戦斧を振り上げる。だが、そこに横様に割って入る人影があった。デヴィッドだ。
「殺らせる訳にはいかんよ、俺達の希望を!」
「デヴィッド、この裏切り者があ!」
エンゲルが激昂し、デヴィッドの繰り出した槍を柄の中ほどから叩き割ると、彼の鳩尾に蹴りをくれる。デヴィッドが呻いてうずくまるが、エンゲルの注意が彼に向いた事で、エステルに大きな好機を与えてくれた。
地を蹴り、がら空きの左脇腹へ、渾身の一撃を叩き込む。勢い良く振り抜けば、血の花が咲く。
エンゲルは、この致命傷を、目を見開いてどこか他人事のように見下ろしていたが、やがて、血を吐きぐらり傾ぐと、どうと横様に地面に倒れて動かなくなった。
解放軍から歓声があがる。指揮官を失った帝国兵はたちまち戦意を喪失し、解放軍の戦士に刃を突きつけられると、武器を捨て両手を挙げて、降伏した。
「ありがとうございました、デヴィッド殿」
エステルは剣を鞘に収め、地面にへたり込んだままのデヴィッドに手を差し伸べる。
「貴女が、俺に夢を見せてくれたんだ」
デヴィッドが、蹴られた痛みをこらえながらも、笑みを閃かせる。
「もう一度、俺が憧れたグランディアを取り戻してくれる、という夢を」
一回り大きながっしりとした手が、エステルの手を握る。分厚い鎧をまとった彼の身体は、引き上げて立たせるにはなかなかに重かったが、その重さに込められた感謝の想いを、エステルはひしひしと感じ取っていた。
エンゲル将軍が倒れ、ムスペルヘイムは長の圧政から解放された。
本来の主であるメリアイ女王は既に亡くなってしまったが、自由を取り戻したアーデン城の一室で、エステルはテーブルの上に大陸地図を広げ、アルフレッドに問いかけていた。
「ムスペルヘイムを解放する、という最初の目的は果たしました。叔父様、私はこれからどうすれば良いのでしょうか」
「まずは、戦力を集める事です」
アルフレッドの指が、ムスペルヘイムから南に降り、大陸南方をなぞってゆく。
「アルフヘイム、ヨーツンヘイム、ガルド。かつての名だたる国は、いまだ帝国の暴虐にあえいでいます。そういった国々を解放し、信頼を得る事で兵を増やし、最終的には」
その指が、大陸中心に位置する、最も版図の大きな国を指し示した。
「グランディアへ乗り込み、ヴォルツ皇帝を討って、帝国を打倒いたしましょう」
今はまだ実感が湧かない。自分が大陸最大国の王女だという事も。帝国を倒すという目標も。それどころか、兵を率いて今日の勝利を得た事さえ、まだ、どこか遠い夢物語のようにふわふわとした感覚を覚える。
「今は、戸惑われるのも無理はありません」
そんな姪の胸中を聡く感じ取ったのだろう。アルフレッドが地図から顔を上げ、まっすぐにエステルを見つめる。
「ですが、いつか必ずエステル様の名に、大陸の状況が伴ってきます。その時まで、いえ、その後も、私は貴女のお傍で守り続けます」
そう言って深々と頭を下げる叔父の姿を見、エステルの胸がとくん、と脈打つ。幼い頃から見守り、身を守り続けてくれた彼が傍にいてくれるならば、こんなにも心強い事は無い。知らず知らずのうちに口元がほころびかけた、その時。
「エステル! アルフさん! 来てくれ!」
「すごいよ、エステル! 早く来いよ!」
クレテスとリタがひどく急いた様子で駆け込んできた。すわ新たな敵襲かと身を固くしたが、二人の顔には嬉しそうな興奮が浮かんでいて、待つのももどかしいとばかりに、エステルの手を引いてゆく。
廊下を駆けて導かれた先は、城の前庭を臨むバルコニーだった。そこに出た途端、エステルは驚きに目をみはり、思わず手すりにすがりついて身を乗り出していた。
「エステル! エステル王女!」
「我らが救世主!」
「希望を我らに!」
デヴィッドら兵だけではない。アーデン城下の人々が城の前につめかけ、口々にエステルを讃えて拳を突き上げていたのである。
戸惑いながら、背後にやってきていた叔父を振り返る。彼は口元をゆるめて、大きくうなずいた。
「どうかお手を振ってお応えください。解放の証に」
言われて、エステルはぎこちなく民衆を見下ろし、おずおずと、手を振る。だが、彼らにはそれだけで充分だった。
わっと歓声が一際高くなり、新たな時代を切り拓く救い主を迎えた人々の声は蒼天を叩いて、いつ果てるともなく続いていた。
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