#57 聖女も走れば犬に当たる
アイレンは走る。町の喧騒のなかを。
まっていてくださいね、シュウトさん。すぐにお薬の材料を採ってきますから。
先ほどまで男を抱えて走っていたにもかかわらず、アイレンの走るペースは一向に落ちる気配がなかった。シュウトを助けたい、という気持ちが彼女に疲れを忘れさせているのだろう。
「お、アイレンじゃん。おーい、なにしてんだー」
以前にボロアパートに遊びに来ていた姉弟が通りがかり、弟のウッツが手を振って声をかけてきた。
「すみません、急いでますので!」
ビュン、っとアイレンは猛スピードでふたりのまえを通りすぎていった。
ウッツはあげていた手をすっとおろし、姉のヒリゥと顔を見合わせる。
「あいかわらず走るのはえーな、アイレンのやつ」
「無敗の鬼って呼ばれていたからね。鬼ごっこでアイレンお姉さんに勝てる人は、だれもいなかったよ」
「一回でいいからつかまえてやりたかったぜー」
「あの様子だと、いま勝負してもやっぱり勝てないね。きっと」
「くやしーけど、そーだろうな」
ふたりはアイレンの背中を探すが、すでに影も形も残っていなかった。
アイレンは走る。人のあいだを縫うように。
もうすこしの辛抱ですからね、シュウトさん。お薬さえできれば、もとのシュウトさんにもどれるはずですから。
仮にランニングに法定速度があるとすれば彼女はあきらかにスピード違反をしていることになるが、けっして人にぶつかることはなかった。人助けの最中に別のだれかにケガをさせてしまっては本末転倒である。
とそのとき、予期せぬなにかがアイレンの目のまえに飛んできた。
「しゅわっち!」
「きゃっ!」
短い悲鳴をあげ、アイレンは回避できずに飛んできたなにかと正面衝突した。
アイレンは恐るおそる目をあける。勢いよくぶつかったわりにはあんがい平気だった。自分にケガはなさそうだ。
「いまのはいったい……あっ!」
数メートルさきの地面に転がっている生き物を見つける。手足をぴくぴくさせているそれには見覚えがあった。茶色と白の短めの体毛に、くるんとしたシッポ。シュウト家で飼われているなぞのペット、ずたろうだった。
「ペットじゃないやい!」
突然、倒れていたずたろうが大声を出してがばっと飛び起きた。
「ずたろうちゃん! 大丈夫ですか?」
アイレンが駆け寄って心配そうに声をかけるが、ずたろうは何事もなかったかのように平然としている。
「おらは平気だぞ」
「そうですか。それはよかったです」
「それよりも、なんかあったのか? ずいぶん急いでたみてぇだけど」
「はい、じつは──」
アイレンはかいつまんで説明した。シュウトが毒キノコを食べてしまったと思われること。治療薬の素材を集めていること。
「うんうん、わかったぞ!」
「では、ずたろうちゃんもいっしょに──」
「おらにまかせとけー!」
と言って、ずたろうはいずこかへ走り去っていった。
大丈夫かしら。アイレンは不安を覚えた。
まだ薬に必要な材料を説明していなかったというのに、いったいなにを理解したというのだろうか。ずたろうには当てがあるのだろうか。もしあったとしても、シュウトがいまどこにいるのかも知らないはずだ。
なにはともあれ、ずたろうのことはいったん置いておくことにしよう。いまは自分のすべきことをやらなくてはならない。
アイレン、走る。目的地はもうすぐだ。
裏山にたどり着いたアイレンは薬の調合に必要な野草を探しまわる。さほどめずらしいものではなかったため、たいした時間もかからずに集めきることができた。
「よし。これでシュウトさんをお助けできます!」
アイレンはふたたび騎士学校を目指して走りだす。
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