#56 生き物係
レンジの案内で同じ研究棟内の別の研究室にやってきた。
「おれだ、入るぞー」
と外から声をかけ、レンジがノックもせずにドアをあけた。
暗い部屋だった。カーテンが閉められていて薄暗いからという理由もあるが、なんとなく陰気な雰囲気が漂っている感じがあった。所せましと並べられた棚には、水槽や鉢植え、生物の標本、顕微鏡などの実験器具などが置かれている。
「その声は、レンジ氏かね?」
奥から部屋の主が姿を見せた。目のしたに大きなクマのできた男。よれよれな白衣を着ていて、あたまをボリボリとかいている。
「よお、シムジー。ちょっと頼みてえことがあってな。あ、シュウトはそこに置いといていいよ」
レンジはシムジーに簡単にあいさつをしたあと、実験台を指さして言った。アイレンは言われたとおりにシュウトを台に寝かせる。これから実験体にでもされそうな感じだ。
「むむっ、これは──」シムジーはシュウトのことをしげしげと観察しはじめた。「このやる気というやる気をすべて失ったようなうつろな目つき。どうやら彼はアスカラマジタケを食べたようだね」
「ひと目見ただけでわかるのですか?」
「自分は生物に並々ならぬ興味を持っている。動物も、植物も、すべてを知りたいと思っている。この程度のことは考えるまでもなくわかるのだよ」
「すごいです! シムジーさん!」
「まあね」
シムジーは誉められたことに無関心な様子で答えた。
「知ってるなら話がはやい。治療薬の材料をもらいてえんだ。おまえなら持ってるだろうと思ってよ」
レンジが材料のメモを手渡す。
「それくらいは構わない。だが、アスカラマジタケの解毒には希少な素材を使うのだよ。手元にはないから知り合いに当たってみるとしよう」
「すまねえな」
「そのあいだ、きみたちは他の材料を集めておいてくれるかな。裏山で見つかるはずだが、わかるかい?」
シムジーは受け取った材料のメモ書きにいくつかチェックをつけてアイレンに手渡した。
「これならわかります。わたしにおまかせください!」
「ならきみにまかせよう。レンジ氏にはこれをもってきてもらおう。薬品庫にあるはずだ。そのあとは調合の下準備でもしておいてくれ」
「おう、わかった」
「では急ぎたまえ。日没までは時間の猶予がないのでね」
「えっ!」
アイレンは驚き、窓に駆け寄ってカーテンをあける。太陽はとっくに西へと傾いていた。
「マジかよ、タイムリミットがあるってのか? 間に合わなけりゃ、シュウトはずっとこのままってことに……」
「そんなのダメです! こんなにやる気のないシュウトさんは、シュウトさんではありません!」
アイレンが声を荒らげる。
「おい、ウソだよな! ウソだと言ってくれよ、シムジー!」
レンジがシムジーの肩をつかんで問い詰める。
「うん? いったいなにを言っているのかね、きみたちは? タイムリミットがあるなどと、自分は言った覚えはないが」
「──はあ? さっき日没がどうとか言ってたじゃねえか」
「ああ、それは日没までには帰りたいという意味だ。ここ最近、研究に没頭しすぎてあまり睡眠をとれていなくてね。久しぶりに寮に帰って休もうと思っていたのだよ」
「まぎらわしいわ!」
レンジがシムジーのあたまをべしっと叩いた。
「痛いではないか」
「よけいな心配をかけさせるんじゃねえ」
まあまあ、とアイレンがレンジをなだめる。
「よいではないですか、レンジさん。いらぬ心配だとわかったのですから。シムジーさんには助けていただかないといけませんし、乱暴してはいけませんよ」
「う……たしかにそうだね。わるかったな、シムジー」
アイレンにさとされたレンジはすなおにあたまを下げた。
「構わんよ。自分としても、アスカラマジタケを食べた人間をこの目で見るのははじめてなのでね。いい経験になる」
叩かれても無表情だったシムジーがニヤッと笑った。
こいつの笑顔は不気味だ。レンジは背筋が冷たくなるのを感じ、逃げるように部屋の入口まで行ってドアをあけた。
「ともあれ急いだほうがいいだろ。さ、行くぞ」
先に部屋を出るレンジ。シムジーとアイレンもあとにつづく。シュウトはひとまずここに置いていくことになった。
シムジーと別れたところで、アイレンがニコニコして言った。
「でもよかったです。こころよく協力してくださいました」
対照的にレンジはビミョーな顔で言った。
「親切というか、研究のためだろうね」
「それでも、力になってくださったことにちがいありません。気が進まない、とレンジさんはおっしゃっていましたが、本当は親切なお方なのではないですか?」
「それはね、おれたちがヒトだからだよ」
「えっ? どういうことですか?」
アイレンにはレンジの発言の意図がわからなかった。
「いや、わからなくていいさ。それじゃあ、またあとで」
レンジはひらひらと手を振りながら去っていった。
わたしも急がなくては。アイレンは走りだし、騎士学校を飛び出した。
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