#54 世紀の大異変
「ただいま帰りましたー」
町内会のなにかしらの手伝いからもどってきたアイレンが、玄関で靴を脱ぎながら言った。しかし部屋のなかから返事は返ってこない。
出かけるまえ、シュウトとずたろうが昼食は自分たちでなんとか作るから大丈夫だと言っていた。外に食べに行っているわけではないだろうし、シュウトの仕事はお休みだ。ずたろうは年がら年中ヒマのはず。
ふたりでお出かけでもしているのかしら、と考えながら部屋に入る。
「あれ? シュウトさん、いたのですね」
そこにはいないと思っていたシュウトの姿があった。ちゃぶ台に突っ伏してどこか気怠げな様子だ。
「シュウトさん? どうかされましたか?」
なにかおかしい。いつもとはなにかが違う気がする。へんですねと思いつつ、アイレンはシュウトに近づいて声をかける。
言葉を交わして行動を見ているうちに疑惑は確信へと変わっていった。間違いない。シュウトの身になんらかの異変が起こったのだ。
「そんな……まさか……シュウトさん! しっかりしてください! シュウトさーん!」
大きな声で呼びかけて肩をゆするアイレン。しかし事態は好転しない。
このままではダメだ。行動を起こさなくては。アイレンは家を飛び出した。
○
「おーっす。かってにあがるぞー」
ボロアパートにレンジがやってきた。声は聞こえるのにノックしてもだれも来ないのを不審に思ってドアノブをまわしたところ、不用心にも施錠されていなかった。
部屋に入るとひどくあわてた様子のアイレンがいた。レンジが入ってきたことにも気づいていないほどだ。
「アイレンちゃん、どうしたの?」
レンジが声をかけると、ようやく来客の存在を認識したようだった。
「あ、レンジさん。大変です! シュウトさんが、シュウトさんが!」
「ちょっと、落ち着いて。シュウトがどうしたって?」
「シュウトさんが──シュウトさんではなくなってしまったのです!」
「……うん。さっぱりわからん」
冷静さを欠いたアイレンの説明ではなにが大変なのか理解できなかった。レンジは自分の目でたしかめることにする。
シュウトは床に寝っ転がっていた。働くお父さんの休日の姿、といった感じだ。だらける姿はなるほど彼らしくはないが、これほどまでに大騒ぎするほどのことだろうか。
「さっきからぼーっとしたまま目もうつろですし、生きる気力を失ってしまったような、心を失ってしまったような……」
「そんな大げさな。おい、シュウトよ。いつまでだらけてんだ? アイレンちゃんを心配させんじゃねえよ」
「ほっといてくれ……」
レンジが力ずくで立たせようとするが、シュウトはその手を払って抵抗する。
「やっぱり、病気になってしまったとしか思えません!」
「病気?」
「はい。それでお医者さまに来ていただいたのですが、からだに異常はないと……」
「じゃあ大丈夫なんじゃないの?」
「ですが、こんなシュウトさんはシュウトさんではありません! なにかの病気に違いないのです!」
「考えすぎだよ。シュウトだって、たまにはぐうたらしたい日だってあるさ。ほら、こうしてやればいつもどおりに──」
と言って、レンジは手近にあったチラシをくしゃくしゃに丸めて放り投げる。
客を呼び込むという大役を担っていたチラシは丸められることでその役目を失い、すでにゴミと成り果てた。ころころと転がっていき、気怠そうに寝転がる男のそばで止まる。
シュウトはそれを顔を動かさずにちらりと見やり、ぼそっとつぶやく。
「……なんだ、ただのゴミか」
その言葉を聞いたレンジはぴたりと動きを止めた。幽霊でも見たかのような表情のまま凍りついている。数分ののち、ようやく正気を取りもどし、叫ぶ。
「う、う、う……うそだあああああああ!」
特大の叫び声。もしこのアパートにほかの住民が暮らしていたなら、壁という壁を叩かれ、四方八方から抗議の声が飛んできたことだろう。まわりが空き家だらけで助かったと言ったところか。
「わかっていただけましたか」
「これ以上なくはっきりと理解できたよ。これはとんでもない異常事態だ。いや、天変地異だ。日照りと嵐と大雪がいっしょに押し寄せるぞ」
「この世の終わりみたいですね」
少々おおげさな気もするが、目のまえのポイ捨てに見向きもしないシュウトの姿が彼らにとてつもないショックを与えた、ということだろう。
「たしかに異常だ。こんなシュウトは絶対にありえねえ。だけど、これはおそらくふつうの病気じゃねえな」
「ふつうの病気ではない?」
「ああ。おれもこんな症状は見たことも聞いたこともねえ。医者がさじを投げるのも仕方ねえのかもな」
「そんな! それでは、いったいどうすれば……」
いてもたってもいられなくなったアイレンが部屋のなかをおろおろと歩きまわる。
「とりあえず、騎士学校に行こう」
「学校に?」
「あそこには古今東西のいろんな書物が保管されてるんだ。きっとこの奇病のこともわかるはずさ」
「本当ですか!」
「保証はないけどね。んじゃ、まずはシュウトを運ぶとしようか」と言ってよろよろと立ちあがる。「いたたた。ソヨギの修行につき合わされて筋肉痛なんだけど、泣き言をいってる場合じゃねえよな」
レンジが手を伸ばそうとするが、先にアイレンが寝転がるシュウトを軽々と抱えあげた。お姫様だっこの状態だ。
「では、すぐに参りましょう!」
そのまま風のように玄関を抜けて外へ飛び出す。
「えっ? ちょっと、アイレンちゃん!」
「カギはそこにありますから、戸締りをおねがいしますねー!」
アイレンの声が遠くから聞こえてくる。彼女ははでにアパートの階段をおりて走り去っていった。
ひとりぽつんと残されたレンジ。
「す、すげえな、アイレンちゃん──って、のんきに感心してるヒマはねえぞ。おれも急がねえとな。待ってよー、アイレンちゃーん!」
レンジは悲鳴をあげるからだにムチ打ってアイレンを追いかけるが、まるで追いつけそうにない。いくら筋肉痛とはいえ、彼女は男子高校生を抱えた状態なのだ。彼女の身体能力の高さには驚かされる。
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