第8話 アイレン、走る

#52 アイレン先生の個人授業

 この日のシュウト家はいつにも増してにぎやかだった。幼い来客があったからだ。


「せまいうちだなー。こんなとこに住んでんのか」


「そんなこと言っちゃダメだよ、ウッツ。アイレンお姉さんたちに失礼でしょ……」


「だってほんとのことだもん。ヒリゥねえちゃんだって思っただろ? すげーぼろっちぃアパートだなってさ」


「そんなこと、ないよ……」


 アイレンが町なかで再会したという小学校低学年くらいのふたりの子ども。彼女が勤めていた孤児院にいた双子の姉弟で、いまはこの王都トーキョーの裕福な家庭に引き取られて暮らしているらしい。


 ちゃぶ台を囲んで思い出話に花を咲かせていたところ、突然アイレンがぱちんっと手を叩き、「久々に授業をやりましょう!」と言いだして台所に向かった。


 シュウトにはなんのことやらわからなかったが、ふたりの子どもは楽しそうに待っているように見えた。


 もどってきたアイレンの手には皿が二枚。


「ここに赤いキノコと茶色いキノコがあります」


 持ってきたものをちゃぶ台に並べる。片方に赤が三個、もう一方に茶色が四個と、色ごとに分けられていた。


「ほお、算数か。なつかしいな」


 教師の役を演じるアイレンを眺めながら、シュウトは十年ほど昔を思い出す。小学校に入学したての子どもたちが最初に習う読み書きそろばん。彼はブロックを使って教わった覚えがあったが、裏山で採ってきたキノコを使うのはじつにアイレンらしく、ほほえましい光景であった。


「ここでおふたりに問題です。これはおいしいキノコでしょうか。それとも、食べてはいけないあぶないキノコでしょうか」


 アイレン先生から難問が出された。


 ふたりの子どもはじっくり見つめたり匂いをかいだりと観察し、時に話し合いながらそれぞれ頭を悩ませる。


 しかし、シュウトは姉弟とは異なる意味で首をひねっていた。


「算数じゃ……ない?」


 シュウトの考えは完全に的外れ。アイレン先生が行っているのは算数の授業などではなく、もっと実践的で実用的な教育であった。


 孤児院時代のアイレンは炊事や洗濯の仕事以外に、いっしょに遊んだり勉強を教えてあげたりなどもしていた。子どもたちにとっての彼女は友達であり、姉であり、教師でもあったのだ。


「やっぱり赤いほうは毒キノコだよ! めっちゃあぶなそうだし!」


「そうとは限らないよ、ウッツ。地味な毒キノコもあるって、アイレンお姉さんから教わったでしょ……」


 意見の食い違うふたりを静かに見守るアイレン。


「さて、そろそろ答えは決まりましたか?」


「赤だよ、赤! ぜったい赤が毒キノコだって!」


「わたしは、茶色いほうがあぶないと思います。引っかけ問題かと……」


「ふむふむ。なるほど、なるほど──」と考えるふりをして少々もったいつけてから、アイレンが正解を発表する。「ざんねん! おふたりともハズレです! 答えは──どちらもおいしく食べられる、でしたー!」


 思わぬ答えに面食らった少年はちょっとのあいだぽかんとしたあと、口をとがらせて怒りだした。


「なんだよそれー! アイレンずるいぞー!」


「いや、ずるくはない。アイレンは『どちらが毒キノコでしょう』とは言っていないからな。どちらも安全、もしくはどちらも危険という答えでもいいんだ」


 シュウトが言った。


「うるさーい!」


 口をはさまれたことに腹が立ったのか、正論を言われて言い返せないからなのか。ウッツはちゃぶ台をバンバン叩く。


「そういえば、アイレンお姉さんが食べられないものを採ってきたことは、一度もありませんでした……」


 姉が落ち着いて言った。


 女の子のほうは大人びて見えるな、とシュウトは思った。子どもらしく感情をあらわにしている弟とは対照的だ。双子という話だから実年齢は同じはずだが、精神年齢にはずいぶん差があるようだ。


 少年の怒りは長く続くかに思われたが、授業に使ったキノコで手料理を振る舞うというアイレンのひと言によってあっさり静まった。


 シュウトにはこの光景に見覚えがあった。そして気がつく。そうか、ずたろうと似ているんだ、と。


 幼い子どもという存在が理性ではなく本能に従って生きる獣に近いのか。それとも、ずたろうの精神年齢が小学生レベルなのか。


 軽い食事が終わり、姉はあまり長居すると迷惑だからと帰り支度をはじめる。外はまだ明るいが念のため家まで送ろうか、とシュウトが申しでるも、幼い姉弟は平気だと言って帰っていった。


「大丈夫かな?」


「はい、大丈夫だと思います。ヒリゥちゃんはしっかり者のお姉さんですからね。ウッツくんはやんちゃですけど、根はいい子なんですよ」


「そうか」


 ならば心配はいらないだろう、とシュウトは安心してふたりを見送った。


 今日が初対面のシュウトよりも、孤児院にいたころから付き合いのあるアイレンのほうがあの姉弟のことをよく理解しているはずだ。


「それにしても、まったく変わっていませんでしたね、おふたりとも」


 一年前まで孤児院でともに暮らしていたときのことを懐かしむように、アイレンはニコニコして言った。


 姉弟そろってちびっ子だったからな、とシュウトは思った。きっとこれからどんどん背が伸びていくのだろう。

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