#41 誤解の追加オーダー

「き……きみ、大丈夫かい? ケガはない?」


 ソヨギがずたろうにやさしく声をかけた。


 いまの彼女は子犬をぼこぼこに殴ってしまったかもしれないという罪の意識にさいなまれているため、イヌが人の言葉を話すという超常現象までは気がまわらないのである。


「おらに言ってるのか? おらはケガなんてしてねえぞ」


「そうかい、よかったぁ……」


 ソヨギはほっと胸をなでおろした。先ほどまでの気迫はどこへやら、すっかりおだやかな表情になっている。


「というか、ねえちゃんだれだ? ここどこだ?」


 ずたろうはようやく自分の置かれた状況に気がついた。目が覚めたら大勢の観客に囲まれた闘技場のなかだったのだ。もっとはやく反応すべきだろう。


「いま決闘中だから、アイレンのところにでも行ってろよ」


「決闘?」と言って、ソヨギとシュウトを見比べるずたろう。「よし、わかったぞ。ちょっとまっててな」


「ああ……」


 ずたろうは袋に潜り、ごそごそとなにかを探しているようだ。


「──あったあった。これをこうして──できたぁ!」


 ひょこっと顔を出したずたろうがシュウトに細長いものを手渡した。それは闘技場に来るまえにシュウトが拾っていた動物の角だった。


「これをどうしろと?」


「武器に使うといいぞ──ん? これは……」すんすんと鼻を鳴らしてなにかを嗅ぎとったようだ。「あっちだ!」


 ずたろうは勢いよく袋を飛び出し、アイレンのいるほうへと走っていった。


「マイペースなやつだ」


 シュウトは走り去っていくずたろうの背中をながめてから、受け取った動物の角に視線を移した。


 さほど尖っているわけでもなく殺傷能力は低そうだ。だから荷物検査で指摘されなかったのだろう。こんなものでは大木を両断するというソヨギの木刀とやり合うのは不可能だろうと思われる。


「なんだ、これ……飾りか?」


 根元のほうにはリボンが巻かれていた。ずたろうがごそごそやっていたのはこれだったようだ。前日に女子寮の裏で拾っていたひも状のものをリボン代わりに使ったのだろう。ずたろうなりのプレゼントということなのかもしれない。


 観客席では青ざめたレンジが頭を抱えていた。「なんだよ、あれ……」人語をしゃべるイヌ。ぼこぼこに殴られても中身が無事な袋。この短いあいだに信じがたい出来事が起こりすぎたことで、彼のあたまはパンク寸前だった。


「ずたろうちゃんですよ」

「ず、ずたろう?」


 ずた袋だのずたろうだのと、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。


「はい。ずたろうちゃんです」

「シュウトのペットなの?」


「いいえ。ずたろうちゃんはわたしたちの家族です」

「わたしたち? 家族?」


 レンジは理解できずに頭のうえにハテナマークを浮かべる。なぜ人間の言葉を話すのか、という肝心な部分はいっさい言及されていないため、アイレンの説明はいまひとつ的を射なかった。


 とそこへ、ずたろうがちょっとした引っかかりを足場としてぴょんぴょんと身軽にジャンプし、壁を乗り越えてやってきた。


「いい匂いがすると思ったらやっぱり。アイレンのつくった弁当だな?」


「はい。ずたろうちゃんの分もちゃんとありますからね」


「やったぁ!」


 アイレンが包みをひらいて三段重ねの弁当箱を取り出し、そのうちのひとつのふたをあけてずたろうに差し出した。なかにはサンドイッチがきれいに並んでいる。ずたろうは両手にひとつずつ持って食べはじめた。


 イヌが前足を器用に使ってサンドイッチを食べている。ふつうはエサの入った皿に顔を突っ込んでガツガツ食べるはずなのに。そんな自分のすぐ目のまえにあらわれた怪奇生物にひるみながらも、レンジは恐るおそる声をかける。


「ずたぶくろう……だったっけ?」


 彼のゲシュタルト崩壊はすでに進んでしまったようだ。


「おらはずたろうだ! シュウトがつけてくれた名前だぞ」

「シュウトの飼い犬なのか?」


「おらはペットじゃない!」

「じゃあなんだよ」


「おらはシュウトの子どもだ」

「はあ? なに言ってんだ、おまえ」


 と、レンジはまったく信じていない様子で眉をひそめた。


 しかし、彼にはこの感じに覚えがあった。そう、シュウトとの会話だ。はじめはなにを言っているのかさっぱり理解できないのだが、じつはウソでも誇張でもないことがあとから発覚する、というものである。もしかすると、このイヌも同じで真実を話しているのかもしれない。


『なんですとぉ! いま入った最新情報によりますと、なんとワンちゃんはシュウト選手の子どもだということです!』


「おい、盗聴されてんじゃねーか、おれたちの話」レンジは客席まわりを探してみるが、盗聴器らしきものは見つけられなかった。「まあいいや。で、アイレンちゃん。ほんとなの? こいつの言ってることは」


 ずたろうのあたまを指でつんつんしながら、レンジはアイレンにたずねた。


「はい。ずたろうちゃんは家族なのです」


「ほんとのほんとに?」


「はい。本当です」


 ずたろうの言う『子ども』とアイレンの言う『家族』は微妙にニュアンスが違うのだが、それを聞いたレンジは観客席の最前列まで走っていき、叫んだ。


「シュウトー! おまえ、だれに産ませたんだ!」

「産ませてない」


 それを聞いたソヨギはなにかにはっと気がつき、言った。


「まさか……きみが産んだのかい?」

「産んでない」


 それを聞いたミルヨはマイクを握り直し、実況を続けた。


『シュウト選手の謎は深まるばかりだぁ! はたして、彼はワンちゃんを産ませた父親なのでしょうか。それとも、自分で産んだ母親なのでしょうか。さらなる詳細な情報が待ち望まれます!』


 それを聞いた観客たちは根拠のない憶測をはじめ、各々が勝手に結論づけた。


 またしてもシュウトへの誤解が以下略。

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