#40 召喚獣

「ふっ」と、ソヨギがほおをゆるめた。「シュウトくん。わたしはね、いまとてもうれしいんだ。この気持ち、きみに伝わるかな?」


「うれしいって……どうしてだ?」


 たったいま攻撃を防がれたばかりだというのに、なぜよろこんでいるのだろうか。シュウトの疑問にソヨギが答える。


「この学校の猛者たちはほとんど打ち倒してしまったから、もう相手をしてくれる人がいなかったんだ。わたしはさらなる高みを目指したいというのにね。そんなときにきみと出会えた。まるで救世主があらわれたかのようだよ」


 ソヨギは本当に心からよろこんでいるようだった。運命の赤い糸で結ばれた相手にでも出会ったかのように。


 しかし一方で、シュウトはちっともうれしそうではなかった。彼は強者と戦いたいなどという戦闘狂じみた趣味を持ち合わせてはいない。ただ清掃員として働き、美化委員としての責務を果たせればそれでよかったのだ。


『さぁて、衝撃のファーストアタックののち、ふたたびにらみ合いが続いております。両者、お互いの出方をうかがっているのでしょうか』


 シュウトには攻撃をする意思がない。出方をうかがっているのではなく、ただ待つことしかできないだけなのだ。


「それじゃあ、これはどうだい。今度は受け切れるかな?」


『おぉーっとお! ソヨギ選手、お次は鋭い踏み込みから、怒涛の猛攻撃にでましたぁー! 激しい打ち込みだぁー!』


「くっ……」


 シュウトは押されながらもソヨギの攻撃を──


『なんとシュウト選手、受け切っております! かろうじてではありますが、例のバッグを使って受け流しているぅー! それはまるで、バッグが自分の意志でシュウト選手を守っているかのようにも見えます!』


「さあ、もっと見せておくれよ。きみの力を!」


 攻撃の手を休めることのないソヨギ。このままでは──


『シュウト選手、ソヨギ選手のかける圧に押されております! このままでは、壁際に追い詰められるのも時間の問題かぁー!』


 ソヨギの連続攻撃をなんとかいなしながらも、シュウトはじりじりと壁に向かって追いやられる。もうじき退路がなくなってしまう。今度こそ終わりかと思われた。


 とそのとき、ずた袋がぱかっとひらく。


「なっ……」


 ソヨギの動きがぴたっと止まる。


「ふわぁぁぁ──」


 ひらいた袋の口からずたろうが顔を出し、大きなあくびをした。


『な、な、なんということでしょう! シュウト選手のバッグから、かわいらしいワンちゃんが顔をのぞかせたではありませんか! 見たことのない犬種ですが……ネコには見えませんので、おそらくイヌでしょう!』


「う……うそ……」


 ソヨギが金魚のように口を──


『ソヨギ選手、金魚のように口をパクパクさせております。まさに顔面蒼白の状態です。しかしそれは当たり前のこと。たったいま自分が木刀で殴り続けたバッグのなかから、小さくてかわいらしいワンちゃんが出てきたのです。ちょっとでも良心というものを持った人間ならば、罪悪感に押しつぶされることでしょう』


 だがソヨギの心配とは裏腹に、ずたろうはぴんぴんして──


『わたしから見える限りではケガのひとつもなく、痛がっている様子もまったくありません。どうやら平気なようです。あれだけの猛攻を受けながらびくともしないとは、あのバッグの耐久性能はどうなっているのでしょうか! 百人乗っても破れることはなさそうです!』


「なんだ、朝からいないと思ったら、こんなところで寝てたのか」


 昨日からずっとずた袋の中身を整理していなかったことに、シュウトはいまになって気がついた。おそらく夜のうちに潜り込んでそのまま寝続けていたのだろう。それにしても、よく荷物検査をパスできたものだ。


「このなかは居心地がいいんだぁ……」


 と、ずたろうは寝ぼけまなこで言った。


 ずた袋から生まれたずたろうにとっては、袋のなかは母親の子宮、あるいは親カンガルーのおなかにある袋のようなものなのかもしれない。赤ちゃんに血液の流れる音を聞かせると落ち着かせることができる、という話もあるくらいだ。おそらく子宮のなかは本能的にリラックスできる空間なのだろう。


「ほら、危ないから出たほうがいい」


「んー、あと五分──」


「お約束をやってる場合か」


『おや? あれは……まさかとは思いますが、シュウト選手とワンちゃんが会話しているようにも見えますねぇ。音声さん、音を拾ってもらえますか?』


 とソヨギが呼びかけると、ひとりの男子生徒が登場した。実況同好会のメンバーだろうか。先端にマイクのついた長い棒を持っている。シュウトたちに接近し、頭上からマイクを近づけた。


「もう朝飯の時間かあ?」


 ごしごしと目をこすって寝ぼけるずたろう。


「バカ。もう昼過ぎだ」


「じゃあ昼飯の時間だな」


「それしかないのか、おまえってやつは……」


 やれやれ、とシュウトは小さくため息をついた。


『なんという……なんという……なんということでしょぉぉおおお! しゃべっております! イヌが、ワンちゃんが、人間の言葉をしゃべっております!』


「おらはイヌじゃなぁい!」


 ずたろうは叫ぶが、だれも聞く耳を持っていない。実況も観客も、しゃべるイヌという珍妙な生物をはじめて目にした興奮でいっぱいだった。


「人の言葉を話すイヌだって? 聞いたこともないぞ」

「でも腹話術とも思えないし……」

「そもそも本当にイヌなのか?」

「しゃべる動物を使役する男……いったい何者なんだ?」

「まさか、あいつが召喚したのか?」

「いや、なにかしらの薬を使った可能性もある。動物実験だ」


 シュウトへの誤解はとどまることを知らない。『謎の実力派清掃員』から『人語を話す動物を使役する召喚士兼謎の実力派清掃員あるいはマッドサイエンティスト』へと昇格してしまった。

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