#20 家族のお話

「ん? なんだ……」


 アパートの二階にあがってきたシュウトは、敷地を囲うブロック塀のあたりに目を凝らす。不審な人影を見たような気がしたからだった。もちろん住宅地に人がいるのは当たり前のことだ。しかし、その人影はシュウトの視線からのがれようとブロック塀に隠れた。彼の目にはそんな風に映った。


 ちょっと待ってみてもとくに動きはない。気のせいだったのかしら、とシュウトは気にするのをやめた。


 玄関のドアをあけてなかに入ると、トントントン、という軽快な音が聞こえてきた。採ってきたばかりの野草や山菜でさっそく料理をしているのだろう。


「おかえりなさい、シュウトさん」


「ああ、ただいま」


 台所の床の隅に大きめの桶が置かれていた。フタと重石が乗っけてある。これは漬け物をつくるためにアイレンが運んできたものだった。いったいどこから拾ってきたのか、だれにもらってきたのか、定かではない。


「漬け物をつくって持っていくんじゃなかったのか?」


「はい。ですが、もうお漬け物の準備はしてありますから、あとは完成まで待つだけでいいのですよ。だからいまはべつのお料理をつくっています」


 アイレンは切ったものをどんどん鍋に投入していく。家にあるなかで一番大きい鍋がいっぱいになるほどの食材が煮込まれていた。


「ふたり分には多すぎないか、ってことは──」


「はい。もちろんおすそ分けにいきますよ!」


 思ったとおりの答えだった。


「やっぱりか……恩返しもいいけど、迷惑にならないようほどほどにな」


 しかし、シュウトの心配の声は、暴走気味のアイレンには聞こえていなかった。


「ふっふっふ……待っていてくださいね、おばさま。わたしの恩返しはこんなものでは終わりませんよ……ふっふっふ」


「目がこわいぞ、アイレン……」


 アイレンの目がなにかに取りつかれたようにすわっている。不気味に笑いながらお玉で鍋をかき混ぜるその姿は、絵本のなかからあらわれた魔女のようだった。


 普段は礼儀正しいアイレンであるが、恩返しの話になると人が変わったように暴走をはじめる。路地裏でシュウトと出会ったときもそうだった。


 座布団に腰をおろしたシュウトはふと考えた。アイレンの家系はみんなこんな感じなのだろうか。


「なあ、アイレン」


「はい、なんですか?」


 アイレンは料理の手を休めずに返事をする。


「きみの家族はどんな人たちなんだ?」


「わたしの家族……ですか?」ちょっとのあいだアイレンの手が止まった。「お父さまとお母さまとわたし。三人家族です」


「ひとりっ子なんだな」


「はい。わたしは小さいころ、よくお母さま似だと言われました。ミグメイアは女系の一族で、産まれるのは女の子ばかりなんだそうですよ」


「へえ、不思議な話だな」


「聖女さまのお力が強く働いているからではないでしょうか」


「なるほど……と言っていいのか?」


 シュウトは判断に困った。


「お母さまは聖女さまのように人助けの旅に出ることが多くて、家にいないことがめずらしくなかったのです。お父さまには畑仕事がありましたので、わたしが家事を担当していました。お父さまのお手伝いをするのも好きでしたね」


「ふーむ、だからか」


 アイレンがたくましいのは。他人のために尽くそうとするのは、母親ゆずりなのかもしれない。


「そういえば、しばらく会っていませんね。お母さまはいまごろ、どこで人助けをしているのでしょうか……」


 アイレンは料理の手を止め、遠く窓の外を眺めやる。離れて暮らす両親のことを想っているのだろう。


「孤児院で育ってそのままそこで働きはじめた、ってわけじゃなかったのか」


「はい、わたしは孤児院育ちではありませんよ。家事も子どもたちのお世話も好きでしたから、孤児院に住み込みで働くことを決めて実家を離れたのです」


「そうだったのか。若いのに立派なことだ」


 感心するシュウトであったが、高校生である彼も十分に若いのだった。


「ふふふっ」


 と、アイレンが笑みをこぼす。さきほどの魔女のような不気味な笑いではなく、純粋なよろこびの笑顔だった。


「どうしたんだ? いきなり笑いだして」


「うれしかったのです。わたしの家族のことを聞いてくださって。シュウトさんはゴミ拾いにしか興味がないのかと、すこし不安だったものですから。ちょっとおどろいちゃいました」


「そうか」


 ついさっきおばちゃんにも似たようなことを言われたが、アイレンも同じように考えていたらしい。もっとも、他人の評価を気にしたりよく見られたいといった繊細な感情など、シュウトは持ち合わせていないのだが。


「シュウトさんのご家族は? ご兄弟はいらっしゃるのですか?」


「おれにも兄弟はいないよ。両親は……きっと、どっか遠いところで生きてるんだろうな。なにをしてるかはまったく知らない」


 シュウトは興味なさげに言った。あたかも自分とはなんのかかわりもない他人事であるかのように。


「そうでしたか」


 ご家族になにか不幸でもあったのかしら。アイレンはそれ以上シュウトの家族のことを聞かなかった。

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