#12 異世界、初の夜を越えて

「なあ、アイレン」


「はい、なんですか?」


「やっぱりまずくないかな。ふつうはシーツとかでカーテンみたいな仕切りをつくったりするんじゃないか?」


「仕切り……ですか。それは必要なものなのですか?」


「それは、もちろん……いるんじゃないのかなあ……」


 明かりの消された夜のワンルーム。シュウトとアイレンのふたりは、ふたつ並べて敷かれた布団に入っていた。


 これらの布団はつい先ごろ、シュウトが入浴しているあいだにアイレンが準備したものだった。ちゃぶ台と座布団をよけてできたスペースに、押入れから引っ張り出してきたふたり分の布団を並べるアイレンは、鼻歌交じりで楽しそうだったという。


「いやじゃないか? おれのすぐよこで寝るなんて」


「まったくいやではありませんよ。なれてますし」


「えっ……それってどういう……」


 思いもかけないアイレンの言葉に意表をつかれ、シュウトは言葉につまった。今日会ったばかりの男と布団を並べている。この状況に慣れているとは、いったいどういうことだろうか。普段はゴミ拾いにしか興味がないストイックな男といえども、さすがにドキっとさせられたのであった。


「孤児院で暮らしていたときには、よくこうして子どもたちといっしょに寝ていましたから。なんだかなつかしい感じがします」


「ああ、そういうこと。なるほどね」


 あっけない答えに拍子抜けしながらも、シュウトはほっと胸をなでおろす。アイレンが全然気にしていないとわかり、落ち着いて眠りにつくことができるからなのか。それとも、彼女の意味深な発言が自分の思い過ごしだとわかったからなのか。


「ふわあ」と、アイレンが大きなあくびをひとつ。「あしたも忙しくなりますから、もう寝ますね。おやすみなさい、シュウトさん」


「ああ、おやすみ──」


 あいさつをして数分のうちに、アイレンは静かに寝息をたてはじめた。


 たいへんな一日だった──ような気がする。すぐに寝つけないシュウトは、今日という日を振り返ってみる。この世界にやってきてまだ丸一日も経っていないのに、いろんなことがあった。


 光に包まれて空にのぼり、気がつけば見知らぬ世界に立っていたところからはじまる。ゴミと間違えて少女を拾い、なぜか行動をともにすることになった。職安だと思って入った冒険者ギルドでは、Sっ気の強いギルド職員とひと悶着あった。そして、このワンルームでアイレンとの新生活がはじまったところで、一日が終わろうとしている。なにかを──いや、だれかを忘れているような……まあ、気のせいだろう。


 明日からも数日のあいだは、今日と同じアルバイトの約束を取りつけてあった。そのあとは、冒険者ギルド職員のリンコが紹介してくれるという仕事につければ、安定した収入と生活が期待できる。


 でも、とシュウトは思う。この世界での生活は、いったいいつまで続くのだろうか。もとの世界にもどれる日は来るのか。そもそも、帰る必要はあるのだろうか……。


 あれこれと考えているうちにだんだんと眠気が強くなってきて、ようやくシュウトも眠りに落ちた。異世界生活、初日が終わる──。



       ○



 窓から差し込むほのかな陽の光が、異世界生活二日目の訪れを告げる。


「夢では……ないよな、やっぱり」


 目を覚ましたばかりのシュウトはからだを起こし、昨日入居したばかりの慣れない部屋を見てつぶやいた。


 となりに目をやると、アイレンの寝ていた布団がきちんと三つ折りにたたまれている。薄明るい室内を見まわすと、窓際に寄せたちゃぶ台でなにやら作業をしているアイレンの姿があった。


「──あ。おはようございます、シュウトさん」


「ああ、おはよう」


「起こしてしまいましたか?」


「いや。それより、なにしてるんだ?」


「はい、縫い物をすこし。昨日は時間がたりなくてできませんでしたから、早起きしてやろうと思いまして」


 その手には白い糸の通った針と布が握られている。裁縫道具は昨日のうちに隣人から借りたのだろう。しかし布のほうには見覚えがあるな、とシュウトは思った。長年使いこまれたように薄汚れたボロい布切れ。


「それって……もしかして、きみが羽織ってたやつか?」


「はい。聖女の衣です」


 アイレンいわく、ミグメイア家に千年にわたって伝わる由緒正しいものらしいが、シュウトにはどこからどう見てもただのボロ切れとしか思えないものだった。


「穴でもあいてた?」


「いえ、破れを直しているのではありません。そもそも聖女の衣は、けっして穴があいたりはしないのです。聖女さまのご加護がありますからね!」


「あっ……そ、そうなのか。それはすごいな……」


 穴はあかないのに裁縫針は刺さるんだな、という言葉を、シュウトは必死に飲みくだした。自信満々に語るアイレンに対してそれを言うのは野暮というものだろう。


「それでですね、これをシュウトさんのためにつくっていたのです。ちょうどできましたから。はい、どうぞ」


「こ、これは……ずた袋?」


「ショルダーバッグをつくったのですが……ずたぶくろ、とはなんですか?」


「坊さんが首からさげてるやつ。まあ、呼び方はどうでもいいや。どっちも同じようなものだし。口がしまるから巾着袋に近いのかな──」


 シュウトは受け取ったバッグを肩にかけてみた。サイズはちょうどよく、口もしっかりとしまるから中身が落ちる心配はなさそうだ。生地は少々──いや、かなり古臭いが、なかなかに丈夫そうだった。


「シュウトさんはゴミ拾いをしているとき、落し物やまだ使えそうなものをいっしょに拾ってましたよね? それを入れておく袋が必要かなと思ってつくりました」


「そうだったのか。ありがとう、助かるよ」


 と、お礼の言葉を口にするシュウトはめずらしく笑みを浮かべていた。しきりにうなずきながらずた袋の調子を確かめている。


「気に入っていただけたみたいですね」


 その様子を見たアイレンもほほ笑み返した。


「ああ。とくにボロ布をリサイクルしたってところがいいな! 古くなってもすぐに捨てずに再利用する。その心がけがなによりすばらしい!」


「感動するポイントはそこなのですね……」と、アイレンの微笑は苦笑にかわった。「でも、よろこんでもらえて、わたしもうれしいです」


「しかし、いいのか? 大事なものなんだろ?」


 真偽のほどはさておき、大切な家宝をこんなことに使ってよいのだろうか。千年とかいう話はあまり信用していないが、なんとなくバチあたりなようで、気おくれするシュウトであった。


「はい、かまいません。すこしでもシュウトさんのお役にたてるのなら、きっと聖女さまもお許しになるでしょう」


「そうか。だったら、さっそく使わせてもらうとするよ。今日のバイトは朝からだから、そろそろ──あ、そのまえに、これを」


 シュウトは昨日もらったバイト代の入った封筒を自前のリュックから取り出し、アイレンに差し出す。


「いいのですか? シュウトさんがもっておかなくて」


「いいんだ。どうせたいした使い道もないし。それよりも、アイレンが家のことに使ってくれたほうがありがたいよ。なにかと入り用だろ?」


「そういうことでしたら、わたしがあずかっておきますね」


 アイレンはうやうやしく封筒を受け取った。


「よし、じゃあ準備でもするかな」


 シュウトは洗面所に行って顔を洗い、ジャージから学ランに着替える。このジャージは、念のための着替え用としてリュックに入っていたものだった。


 ふつうは制服が汚れないようにジャージを着るんじゃないのか、などというツッコミは厳禁だ。シュウトにとっては休日のゴミ拾いも校外活動の一環であり、学ラン着用が基本なのである。


 ともあれ、学ランに着替えたシュウトは、アイレンに見送られてアルバイトに出かける。その肩に、もらったばかりのずた袋をかけて。

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