#9 万事解決?
「あった、これですね」
女性が探していたのは、封筒に入った一枚の手紙だった。ざっと目を通して内容を確認したあと、あたらしい便箋を取り出して手紙を書きはじめる。
「──これでよし。どうぞ」
書き終えた手紙を未使用の封筒に入れて、シュウトに手渡した。
「これは?」
よくわからないまま受け取ったシュウトが聞いた。
「紹介状みたいなものです。これで清掃員の仕事にありつけますよ、きっと」
「ふーん。就職の手伝いはしてないって言ってなかったか?」
「わたしの知り合いが清掃員やその他のいろんな人材を探していまして。ちょっと変わった職場なものですから、ふつうの人にはハードルが高いんです。あなたなら適任ではないかと思いましたので」
「変わり者ってわけか」
「そうは言っていませんが、そう思ってはいます。いらないのなら、返してくれてもいいんですよ?」
シュウトは手に持った封筒を見つめながら少し考え、それをリュックに入れた。
「もらっておく。選り好みしてる余裕はないしな」
「わたしが事前に話をつけておきますので、先方からの連絡を待っていてください」
「連絡と言われても、家も宿も決まってないんだが──」
電話や電子メールがなさそうなこの世界では、連絡と言えばおそらく手紙だろう。だとすれば、宿無しのシュウトは受け取ることができない。
「どうせそうだろうと思いましたので、こちらも用意しておきました」
女性は別の紙を取り出した。
「アパートの契約書? 不動産屋もやってるのか」
「以前はギルド職員のための寮だったらしいです。いまは見てのとおり、利用する職員はほとんどいませんので、一般の人に捨て値同然で貸し出しています。最低限の家具や日用品も備え付けてあったはずです」
「それはありがたいです! ね、シュウトさん」
これまでふたりのやりとりを静かに見ていたアイレンが目を輝かせた。
「どうだろうな……」
一方のシュウトは難しい顔をしていた。
「気に入らないことでも? 選り好みしている余裕はないと言ったばかりなのに」
「そうですよ。せっかくのご厚意なんですから、甘えさせてもらいましょう」
「なんだかうまくいきすぎている気がしてな。ここまでとんとん拍子にことが進むと、逆にあやしいというか、だまされてるんじゃないかと思えてくるんだ」
不法入国の犯罪者疑惑から一転し、仕事と住居がまとめて決まろうとしている。シュウトにはそれが不審に思えてならなかった。しかし一方で、金のないやつをだましてなんの得があるだろうか、とも考えられた。
「わたしが詐欺師だとでも言いたげですね。わかりました、先ほどの話といっしょになかったことにしましょう」
女性が契約書を指でつまんで引き裂こうとする。
「わーっ、ちょっと待ってください!」アイレンがあわてて制止した。「もう、シュウトさんが変なことを言うからですよ」
「おいしい話には警戒しないといけないからな……」
「わたしにはわかります。この方は信頼できると」
「根拠は?」
「勘です」
「ふつうそれを根拠とは呼ばない」
「人を見る目には自信があります」
「人を見たら泥棒と思え」
「ええい、うっとうしい!」
ダンッ、と女性が拳をカウンターに振り下ろす。ただでさえ静かだったギルドのなかが、よりいっそう静まりかえったように感じられた。
「いるならいる。いらないならとっとと帰る。はっきりしなさい」
「契約します! シュウトさんが疑っていても、わたしが書いちゃいますからね」
腰の重いシュウトにかわり、アイレンが契約書に必要事項を記入しはじめる。
「おいおい、せめて内容を確認しないと……」
シュウトはしぶしぶ契約内容を読んでみるが、これといってあやしい点は見あたらない。ごくふつうのアパートの契約書だった。
「家賃や光熱費は? すぐには払えないけど」
「清掃員の給料から天引きするように伝えておきます。それまでは猶予期間ということにしておいてあげますから。さしあたって必要なお金は、日雇いのアルバイトでもして稼ぐことですね」
シュウトは女性から地図を渡されて説明を受けた。この冒険者ギルド、これから暮らすことになる格安アパート、そして本当の職安。
「書けました」
アイレンが記入し終えた契約書を提出する。女性は記入漏れがないことを確認したあと、ふたつの同じカギを取り出してカウンターの上に置いた。ふたりはそれをひとつずつ手に取った。
「これでやるべきことは終わりましたので、早々にお引き取り下さい」
女性は疲れた様子で椅子の背もたれによりかかった。
「いろいろとお世話になりました、リンコさん」
と言ってから、アイレンが丁寧に頭を下げる。
「リンコ? 名前知ってたのか?」
「いいえ。ですが、ほら」
アイレンは女性が首に下げている職員証を指さした。
「ほんとだ。よく気がついたな」
「どんくさいと思われがちですが、意外に鋭いんですよ、わたし」
たいしたことでもないのだが、感心するシュウトと得意気になるアイレン。
「それにしても、見かけによらずかわいらしい名前なんだな。リンゴみたいで」
「そうですか? わたしは凛々しいお名前がよく似合っていると思います」
「わたしの名前なんかどうでもいい!」ふたたび女性の拳がカウンターに叩きつけられる。「だらだらとくっちゃべってないで、用が済んだらさっさと出ていく!」
横目でにらみつけるその目は、獲物を狙うハンターのものだった。捕食者に狙われた小動物のように、ふたりは急いで館の外に逃げ出した。
冒険者ギルドの外は相変わらず辛気臭いところだった。少々陽は傾いてきたが、まだ昼間と呼べる時間帯なのに薄暗い。
館を飛び出してきたシュウトは浮かない顔をしていた。この場所が暗いからではなく、気がかりなことがあるからだろう。
「まだ納得できないのですか?」
いまだに引きずっているシュウトに、アイレンが話しかけた。
「やっぱり出来過ぎだよなあ。犯罪者扱いされたと思ったら、今度はあれこれ世話を焼いてくれて……」
「シュウトさんを疑ったことへの、お詫びの気持ちではないですか?」
「うーむ、そんな殊勝な心意気があるとは思えないんだが……まあ、いいか。仕事も家もみつかったことだしな」
「むやみに人を疑うものではないですよ。前向きにいきましょう!」
アイレンは拳を高くかざして意気込み、先に歩きだした。
残されたシュウトは振り返って冒険者ギルドを眺める。不気味な館。Sっ気の強そうな受付嬢。そして生まれたいくつかの疑問。ちょっとのあいだにいろいろなことが起こったような気がしたが、立ち止まっている時間はない。
「考えたってしかたない。アイレンの言うように、いまは前向きに進むだけだ」
シュウトは歩きだし、冒険者ギルドをあとにした。
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