#8 謎は深まる
「────これは……でも、どうして……」
女性が紙に書かれた文章に目を通しながらつぶやく。ひと通り読み終えると、シュウトのほうに向き直って質問した。
「あなた、名前は?」
「シュウトですけど」
「フルネームで」
「…………」
シュウトは答えるのをためらってから小声で言った。
「シュウト・トナシですね。ではこちらに拇印を」
女性は朱肉と紙の切れ端を差し出す。シュウトが右手の親指を朱肉に押し付け、紙に赤い指紋をつけると、女性は二枚の紙を顔に近づけて真剣に見比べはじめた。
「──間違いなさそうですね」
女性は持ち上げていた紙を下げてから、シュウトに対して不満げに言った。
「もっと早く見せてくれていたら、余計な手間がかからずに済んだのですがね」
「どういうことだ?」
「どうしてとぼけているのかわかりませんが、これは移民への移住許可証です。入国管理局で発行されるもので、特殊な紙やインクを使用しているので、そう簡単には複製できません。わたしが見た限りでは指紋も一致しています。つまりこれは本物、あなたは合法的な移民ということです」
「入国管理局? 行ったことないですけど、そんなところ。それに、移住許可証なんてもらった覚えもないし……」
「では、ご自分の目で確かめてみたらどうですか」
女性はシュウトに紙を差し出した。受け取った紙を見てみると、たしかにそこには移住許可証とあった。さらに驚くべきことに、彼の直筆と思われるサインが書かれていて、その横に拇印が押されている。
「ほんとだ。サインもおれの筆跡みたいだし」
「わたしも」と、アイレンが背伸びをして横からのぞき込んだ。
この書類は本物のようだが、シュウトはいまひとつスッキリしなかった。いつこんな書類をもらったのか。手続きをした覚えはないし、サインを書いたり拇印を押した記憶もない。それがなぜリュックから出てきたのか。
そして、ある違和感に気がついた。
「まてよ……どうして読めるんだ?」
書類の文字はひらがな、カタカナ、漢字で書かれていて、すべて日本語だった。不思議とこれまで気にしていなかったが、アイレンをはじめとした出会った人みんなが日本語を話していた。
同じニッポンという国名は偶然の一致ではなかったのか。シュウトのいた日本となにかしらのつながりがあるのだろうか。謎は深まるばかりだった。
しかし、もっとも不可解なのは、いままで言葉が通じることに疑問を持たなかったシュウトではなかろうか。にぶい、にぶすぎる。もっと早くに気がついてもいいはずだ。それとも、細かいことを気にしない器の大きい人物なのかもしれない。
「アイレンも読めるのか?」
「もちろんです。読み書きはちゃんと習いましたから」
「これ、日本語だよな」
「はい、ニッポン語ですね」
「そりゃそうだよな」
「そうですね?」
アイレンは不思議そうに首をかたむけた。
「また訳の分からないことを。これはあなたのものですよね? 違うと言うのなら公文書偽造ということになりますが、よろしいですか?」
シュウトの意味不明な発言にしびれを切らし、女性が割って入った。
「あ、いえ、おれのです。たぶん」
「たぶん?」
「おれので間違いありません」
「よろしい」
女性は厳しい目つきで反論を許さなかった。
「あらぬ疑いをかけてしまいましたが、謝罪はしませんよ。不審な言動をとったあなたにも責任がありますから」
「まあ、そうだろうな」
「お手間をとらせてしまい、すみませんでした」
なぜか一番関係のないアイレンだけが頭を下げた。
「疑いは晴れたみたいだけど、仕事は見つからなかったな」
「そうですね。気を取り直して探しに行きましょうか」
「なんだかわたしが悪者みたいに聞こえる言い方ですね。そもそもあなたのような不審人物を雇ってくれる物好きなんて……あ、そういえば。ひとつ心当たりがあります」
そう言って、窓口の女性は書類の山をガサガサとあさりはじめる。
「ところで、冒険者ってなんだ? 職業なのか?」
女性が探し物をしているあいだに、ヒマを持て余したシュウトが疑問を口にした。
「わたしも詳しいことは知らないのですが、困った人たちを助けるなんでも屋さんではないでしょうか」
「いいえ、違います」
窓口の女性が口をはさんだ。そして、書類の山との格闘を続けながら、冒険者についての説明をはじめる。
「冒険者というのは、割に合わない報酬のために命をかけることもある愚か者のことです。もっと安全で安定した職業がたくさんあるというのにわざわざ危険に身をさらし、それをロマンだなどとほざく負け犬たち」
「情け容赦もないな」
「騎士団やその他の社会制度が整備されてからは、冒険者の数は激減したそうです。治安や生活水準がよくなれば、冒険者に頼る必要はなくなりますからね。かなり昔のことですので、わたしも話に聞いただけですが」
シュウトは他にだれもいない建物のなかを見渡す。館の静けさと、なにも張られていない掲示板がすべてを物語っている気がした。
「だからこんなにガランとしてるのか。それでもこのギルドは残ってるんだな」
「冒険者はあくまで民間人なので、自由に剣を持って好き勝手しないようにギルドで管理する必要があります。絶滅危惧種とはいえ、一歩間違えば無法者の危険人物になりますから、野放しにはできないのです」
「なるほど」
騎士やさっきの衛士が公務員である自衛官や警察官だとすると、冒険者は民間の警備会社や推理小説の私立探偵のようなものだろう。警察ではないけど警察に近い仕事をする人たち。もっとも、探偵が事件を解決するのはマンガや小説のなかだけではあるが。
結局シュウトには、冒険者がどんなことをしているのかよくわからなかったが、この女性が冒険者を見下していることだけは理解できた。
「イメージとしては、冒険者といえば魔物と戦ったりとかしてそうなんだがな」
「まあ、害獣や害虫駆除の依頼ならありますけどね。魔物なんかいませんよ。いたとしても、せいぜいツチノコとかそんなものでしょう。たまに来るんですよ、ツチノコの捜索依頼が。迷惑な話です」
この世界にもツチノコという概念はあるんだな、とシュウトは心のなかでつぶやいた。もとの世界とこの世界、共通しているのは言葉だけではないようだ。
「いますよ」
とアイレンが言った。
「えっ? いるのか、ツチノコ!」
「いえ、ツチノコではないです。魔物が、です」
アイレンはいたって真面目な顔で話していて、冗談を言っている感じではない。
「まさか。魔物がいるなんて話、聞いたことありませんよ。もっとも、魔物の定義によるかもしれませんがね。未確認生物のことを言っているのでは?」
「いいえ、たしかに魔物です。といっても、いまはもういなくなったみたいですけどね。大昔にはいたみたいですよ」
「どうしてアイレンがそんなことを知ってるんだ?」
「わたしのお母さまから聞きました。ミグメイア家に代々伝わる伝承に、魔物が出てくるのです。聖女さまも魔法を使って戦っていたそうですよ」
「伝承、か」
魔物に魔法。まゆつばくさい話ではあるが、無意味にアイレンを傷つける必要もないだろう。シュウトは下手に否定せずに黙っておいた。窓口の女性もなにも言わず、探し物に専念することにしたようだ。
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