第5話:二度目の失恋
学校では、柴崎の悪口を言う人はもうほとんどいない。それどころか、彼をいじめたことに罪悪感を覚え初めて彼に直接謝りに行こうとする人も現れたのだとか。だけど、柴崎は先生以外とは会わないらしい。僕は彼の気持ちが少しわかる。急に謝りにこられてもすぐには信用出来ない。僕は昔いじめられていたことを告白して、今はそっとしておいた方が良いとクラスメイトを説得した。クラスメイト達は僕の意見を聞き入れてくれて、彼のことはそっとしておくことになった。
だけど、柴崎は未だに学校に来ない。僕もあれ以来会っていない。心配だが、僕が会いに行っても良いのだろうか。悩んでいると、その日の放課後、僕は二階堂先生から話があると相談室に呼び出された。話は柴崎のことだった。二階堂先生は度々彼の家を訪問しているらしく、彼は毎日学校に行く努力はするようになり、それは僕のおかげなのだと本人が語ったらしい。
「えっ……なんで僕……?」
「君みたいな優しい奴も居るんだって知ったからって。勇気を出して、みんなと向き合ってみようと思ったらしい」
「……僕は……優しくないです。差別してたから……」
「うん。それは紛れもない事実だね。けど、三輪は自分の中の差別心と向き合うことが出来た。それはなかなか出来ることじゃない」
「……先生は、なんでそんなに優しいんですか」
「因果応報って知ってる?」
「インガオウホウ?」
初めて聞く言葉だ。
「善い行いをすれば善い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。俺はそれを信じてる。だから、どれだけ憎くても、どれだけ酷いことを言われても、同じことを返したりはしないように気をつけてるんだ。同じことしたら俺も悪いことしたことになっちゃうからね」
「……先生は凄いですね」
改めて、柴崎を含む異性愛者が不幸な目に遭えばいいと願った自分が惨めに思えてきた。
「……前にも言ったけど、俺はバイセクシャルなんだ。異性愛者でも同性愛者でもない。だから、異性愛者からはよくこう言われるんだ。『どうせ最終的には世間体を気にして同性を選ぶ』って。だからこそ俺は、異性と恋愛する人が世間体を気にしなきゃいけないこの世の中を変えたい。異性を好きになっても、同性を好きになっても、文句を言われない世界にしたい」
僕はその時初めて、バイセクシャルにはバイセクシャルなりの悩みがあることを知った。異性も同性も恋愛対象になる人なんて、どうせ最終的には世間体を気にして結婚するんだと僕も思っていた。それもまた差別だったのかもしれないと、二階堂先生の話を聞いて気づいた。
僕は、差別されていた僕の辛さを、差別していた側の彼らにも思い知って欲しかった。この世界に来た時、ざまあみろと思った。だけど先生に気づかされた。僕は彼らと同じことをしたんだって。大嫌いな彼らと——僕を殺した彼らと同じことを。先生が注意してくれなかったら、僕はいつか誰かを殺していただろう。考えただけでゾッとする。
「……先生」
「ん?」
「……僕も……この世界から異性愛者に対する差別を無くしたいです」
僕がそう言うと、先生は「そうか」と優しく笑った。その瞬間、心臓が高鳴る。あぁ、僕、先生が好きだなぁ。そう思った瞬間、先生の表情が曇った。
「……ありがと。気持ちだけは、受け取っておく」
そう言われて、僕は自分の心の声が口に出ていたことに気づく。身体から火が出そうな程熱くなる。
「ぼ、僕……口に出てましたか?」
「出てた」
くすくすと先生は笑う。初めて好きな人に告白した時のトラウマなんてすっかり忘れてしまうほど、穏やかな空気が流れる。
「……あの……その……付き合いたいとか……そういうのじゃないんです」
「別にそういう意味の好きでも良いよ」
「えっ……」
「あ、ごめん。先に言っておくけど、俺は君と恋人になることはできないよ。それははっきり言っておくね」
「あ……はい……そうですよね……僕なんて……」
「ううん。そうじゃない。三輪の性格の問題じゃないよ。性別や性格以前に、俺と君は教師と生徒だから。大人と子供だから。君が俺に恋することは別に何の問題もないけれど、俺がその恋心に応えることは出来ない」
「……教師と生徒の恋愛って、そんなに駄目ですか?」
「教師と生徒というか、大人と子供の恋愛ね。君はまだ中学生だ。身も心も未熟だ。大人である俺は君達を守り、正しく導いてやる義務がある。だけど中には、その未熟な心を自分の欲の為に利用しようとする悪い大人も居る。思春期の少年少女が抱きがちな恋に対する憧れは、そういう大人にとって凄く都合が良いんだ」
「えっと……つまり……?」
「子供と恋愛関係になる大人は、悪い大人だと疑われても仕方ないってこと」
「……先生は、自分が悪い大人だと思われたくないから僕と付き合えないってことですか?」
「言い方は悪いかもしれないけどそれも正しい。けどそれ以前に、俺は子供を恋愛対象として見れない」
「じゃあ……僕が大人になったら、恋愛対象として見てくれますか?」
思わず言ってしまった。こんなこと言ったって先生を困らせるだけなのに。案の定、先生は困ったように笑っている。沈黙が流れる。先生は、口を開いては閉じて、開いては閉じてを繰り返している。言葉を選んでいるのだろう。
「……未来の俺は君のことをどう思ってるか分からない。だから、代わりに今の俺の気持ちで答えるね」
「……はい」
「……俺はそもそも、もう二度と、誰かと恋愛したくないんだ。だから……ごめん。君が大人になって、変わらずまだ俺のこと好きでいてくれたとしても……俺はきっと、君の想いに応えられない」
そう言う先生の顔には笑顔は無く、今にも泣き出しそうな悲しげな顔をしていた。僕は先生にどんな言葉をかけて良いか分からず、何も言えなくなってしまい、涙が溢れる。先生は黙ってティッシュをくれた。
「……居た方が良い? 居ない方が良い?」
「……居てほしいです」
「ん。じゃあ泣き止むまで居る」
僕はその日、二度目の失恋をした。だけど、初めての失恋よりは清々しい気分だった。
「僕、先生に出会えて良かったです」
「……俺も、君に出会えてよかったと思ってるよ」
「えっ……どうしてですか?」
「さっきも言ったけど、君のおかげで柴崎は学校に来ようと思えた。それと、クラスのみんなが差別に気付けたのも君のおかげだ」
「それは先生のおかげだと思います」
「ううん。彼らには何度か注意してる。けど、誰も聞く耳を持たなかった。君が俺の言葉をちゃんと聞いてくれたから、みんなも聞いてくれるようになったんだよ。ありがとね。三輪」
そう言って、先生はまた優しく笑う。先生に対する恋を諦めるには、もう少しかかりそうだと僕は思った。
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