第3話:無自覚な通り魔

 気付くと、見知らぬ天井が視界に入る。


「気が付いたか」


 ひょこっと、視界の端から二階堂先生の顔が現れて思わず飛び退く。


「あ、悪い。びっくりさせて。……調子、どう? 大丈夫?」


 彼は心配そうに僕に問いかける。「大丈夫です」と答えると「良かった」と優しく笑う。少しドキッとしてしまう。


「……なんで優しくするんですか」


「なんでって、そりゃ俺の大事な生徒だからな。別に君が嫌いだから否定したわけじゃない。間違っているから正しただけだ」


「……」


 元の世界には、僕を差別する人を叱る先生なんていなかった。みんな、見て見ぬ振りだった。元の世界の僕には味方が居なかったのに、この世界の柴崎には居る。同じ目に遭ってほしいと願ったのに。違うじゃないか。


「……なぁ、三輪。間違ってたらごめん。君さ、ヘテロだったりする?」


「は……? なんでそう思うんですか?」


「差別する人の中には、自分がそうだと認めたら差別されるから怖くて同調してるだけの人も居るから。三輪はそういうタイプなんじゃないかと思ってな」


「違いますよ。僕はゲイです。ヘテロなんてキモい奴らと一緒にしないでください」


「……三輪は、どうしてヘテロセクシャルが気持ち悪いと思うんだ?」


 先生は僕の差別発言を咎めずそう問いかけてきた。さっきはあんなに厳しく叱ったくせに。


「……怒らないんですか」


「怒りはあるよ。けど、それ以上に気になって仕方ないんだ。どうして君がそこまでヘテロを嫌うのか。ヘテロに親でも殺された?」


「……奴らに殺されたのは、僕自身です」


 気付けば僕は、先生に転生前の世界のことを話していた。話したってどうせ信じてもらえないのに。


「そうか。君は同性愛者が差別されている世界から来たのか」


 先生はあっさり僕の言葉を信じた。


「なんで……普通嘘だと思うでしょ……」


「……正直、まだ半信半疑だよ。けど、それなら異様なほどのヘテロフォビアにも納得がいく。……俺も昔、女性と付き合ってた頃、いじめられた。だから俺は同性愛者が嫌い。大嫌い。憎くて仕方ない。だから、君の言うことが本当なら、ヘテロなんてキモいって言いたくなる気持ちは痛いほどわかるよ。分かるけど……思いとどまらなきゃ駄目だよ三輪。そのままでは君はいつか必ず、人を殺めることになる」


 たしかにヘテロは憎い。だけど、直接手を下そうとは思わない。死ねば良いとは思うけれど、殺したいとは思わない。

 しかし、先生の次の言葉で僕はハッとする。


「俺の元カノは、差別によるいじめを苦に自殺した」


「え……」


「『私のせいで理人りひとくんがいじめられてしまうのが耐えられない。別れよう。異性も同性も恋愛対象になるなら、同性を選んだほうがいいよ』それがあいつが俺にかけた最期の言葉だった」


 顔色ひとつ変えず、先生は語る。僕は思わず息を呑んだ。


「……心の傷は目に見えない。だから誰かの心を傷つけても、傷つけた人は気付けない。けど君は、前の世界で差別を苦に自殺したんだろ? ならわかるよな? さっき君がしてたことは殺人未遂だって。大声であんなこと言うなんて、ナイフを振り回して無差別に人を傷つける通り魔と同じだって。クラスに柴崎以外にヘテロの子が居ないとは限らないんだから。君がしたことは、自分をいじめていた奴らと同じことだよ」


 冷たい声で先生は続ける。僕は何も言い返せなかった。

 息が詰まる。上手く呼吸ができなくなる。すると先生は僕の手を強く握った。


「辛かったかもしれない。けど、憎しみに飲まれて人を傷つけてはいけない。今ならまだ間に合う。自分を殺した奴らと同じになる前に、もうあんなこと言わないって誓って。ヘテロなんてキモいって二度と言わないって」


「っ……先生……」


「大丈夫。三輪はまだ、誰も殺してない。今ならまだやり直せる。大丈夫」


 大丈夫だよと、先生は何度も繰り返す。荒んでいた僕の心が溶かされていく。「ごめんなさい」と、自然と謝罪の言葉が溢れた。

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