第8話 人間の性

 人間は生きるために他の命を奪う。他の生き物だって、そうしているんだからしょうがない。

 俺が初めて命を奪った日の事なんて覚えちゃいない。だって、無自覚に小さな虫を殺したって、命を奪ったことに変わりないのだから。


 多分、人間は物心つく前に、そういった生きるための最低限の行為を終えているのだ。

 だからこそ、俺は狩りに対して抵抗感が無かった。殺し、奪い、生き永らえる。これは、自然の摂理なのだ、と教えられてきた部分も大きいだろう。


 でも、人間同士が争ってはいけない、と教えられた時には疑問に思った。

 では何故、クロウ同士が争っているのか。教えと矛盾しているではないか。俺が師にそう問うた時、師はこう答えた。


 人間だからだ。


 まったく答えになっていない答えだった。でも、心のどこかで納得している自分がいる。それこそが答えであり真実である、と気が付くにはそう時間は必要なかった。


 あれは、俺が十の時。初めて狩りに同行した時に起こった。


 俺の所属しているクロウ、フールーがマンイーターに襲われた。その際にクロウを守っていた引退ハンターたち全員が殺された。

 経験豊富な引退ハンターたちでさえ、成す術も無く殺される。それほどまでにマンイーターというものは脅威なのだ。


 でも、クロウの女子供たちの殆どは無事だった。不幸中の幸い、と師匠たちは大いに喜んだ。

 だけど―――助かった女子供の中に、ナナシの奴はいなかった。


 初めての狩りを終えて、獲物を自慢げに見せつけて、どうだ、って言って、悔しがる、或いは尊敬の眼差しを向けられる。そして、また何気ない日常へと帰ってゆく。

 これが、繰り返されるものだと思い込んでいた。


 でも、現実は違っていて、俺の望む未来とは異なっていって。


 マンイーターを使ってフールーを襲ったのはナナシだ。そう言ったのはナナシを連れてきて五年間も仲良くしてきたルスカさんだった。

 最初は彼女が何を言っているのか分からなかった。でも、その目は俺が見ても憎悪に染まっていて。

 何がなんだか分からなかった。あれだけ、自分の妹か娘のように扱っていたナナシに対して、こうも扱いを変えれるものなのか。


 フールーの頭、ステイルさんに、ナナシの恐ろしさを語るルスカさんの表情はまるで鬼女そのもの。歪んだ顔は普段の綺麗な顔とは掛け離れている。

 そんなだからだろうか、普段はべったりな彼女の娘ルッカでさえ、少し離れた位置で怯えていた。


「それは本当なんだな?」

「ほ、本当よっ! 首に埋め込んだ爆弾で首を吹き飛ばして、遺体を粉々にしても、アレは即座に再生していたっ! 蘇った! 正真正銘の化物っ! 人の形をした悪魔っ!」


 本当だろうか? 俺には、あんたの方がよっぽど悪魔に思える。


「そうか……取り敢えずは無事でよかった」

「無事? 幼馴染を殺されて、小さい頃から可愛がってくれたおじさんたちも全員死んで? 冗談じゃないわ、無事なものですかっ!」

「落ち着け。おまえは疲れているんだ。お腹の子にもよくない」


 ステイルさんは努めて冷静に振舞っているが、内心ではこれからどうやってフールーを立て直すのかで頭がいっぱいなのだろうと思った。既に表情が面倒臭いといった感じだからだ。


 俺は俺で、頭の中がぐしゃぐしゃになっているので、取り敢えずは頭を冷やすためにその場から離れた。

 トレーラーに寄りかかって情報の整理し、やはりナナシがマンイーターを使ってフールーを襲ったとは思えない、という結論に至る。


「ナナシがマンイーターを使えるなら、もっと早くフールーを襲ってただろうが」


 それが俺の結論。きっと大人たちは面倒臭がって真実を追求しないだろう。今を生きるのに精いっぱいだから、という言い訳をしてくるに違いない。

 それは確かにそうだが、そうじゃないだろ。幼心にそう思った。


 でも、今の俺には、彼らの言葉を否定する力がない。無言を貫いて賛同している振りをするしかないのだ。


 だから、俺は思った。いつか大人に、いや、力を付けたらフールーを飛び出してナナシを探しに行こう、と。

 真実をあいつの口から聞き出そう、と。






「その後の事は考えてなかったなぁ」


 あれから六年が過ぎた。俺は十歳のラインクから十六歳のラインクになっていた。今は流れのハンターをしながらナナシを探している。

 俺の相棒は遺跡から発掘した【戦車】だ。旧時代の兵器らしいが今も十分に通用する。流れのハンターが一人でやってゆくには戦車の存在が必要不可欠。

 しかし、旧世代の戦車は残存数が極めて少なく、手に入れる事ができたハンターは幸運を全て使い果たした、といわれるほどだ。


 しかし、幸運を全て使い果たしてでも手に入れる価値がある。それほどまでに旧時代の兵器は凄まじいのだ。


 俺が手に入れた戦車は【10シキ】というらしい。詳細は不明であるが一人乗り用に改造が施されていた。実に幸運。

 でも、現実は厳しい。機械制御であるために、それが破損したら一切動かせなくなるのだ。

 したがって、俺はハンターの技術と、メカニックの技術を同時に覚える必要性に迫られた。


 だけど、充実した毎日を送れている。一人でなんとかできるようになった今でも、毎日が勉強だ。


 ―――昨日、ナナシと再会した。


 場所は旧時代の遺跡。通常、旧時代の遺跡と言えば灰色の崩れた巨塔と瓦礫の山。時折、地下に続く第迷宮と相場が決まっているものだ。

 でも、そこは緑に覆われた場所だった。乾いた大地が常のこの世に、こんな場所があったとは驚きだ。同時に、ここにはあいつがいる、とも確信した。

 それは正しく、俺が10シキを停止させ降りる、と物陰から小さな姿を見つけた。ナナシだ。


 ナナシは出会った頃とまったく変わってなかった。緑の長い髪に頭のてっぺんに花を咲かせていて。そして、全裸。でも、アレは付いてなかった。

 遠くに緑の象の姿があるから、きっと今でも操れるように練習しているのだろう、と思った。


「探したぜ、ナナシ」

「ラインクか。大人になったな。俺を殺しに来たのか?」

「まさか。俺は、おまえの口から、六年前の真実を聞くために旅をしていた」

「今更、聞いてどうするんだ」

「俺が納得するためさ。その後の事なんて知らん」

「六年経ってもラインクは、ラインクなんだな」


 相も変わらず、ナナシの歩いた場所には緑が生まれた。

 植物が生えて乾いた大地が潤う。これだけでもナナシには十分過ぎるほどの価値がある。学の無い俺だって理解できることが、どうしてかフールーの連中は理解できていない。


 ナナシを見つけ次第、殺せ。アレは敵。絶対に相容れない存在。人間が生きてゆくにはナナシを滅ぼすしかない。


 いったい、ナナシが何をどうすれば、そこまで憎悪される存在になるのか。本人に会って直接聞けば分かることだ。そうして六年間、俺は努力を積み重ねてきた。


「マンイーターがフールーを襲ったのは偶然だ」

「やっぱそうか。おまえなんかに、そんな力はないもんな」

『いいえ、【クイーン】には元々、マンイーターを従える能力があります』

「うわっ!? ビックリした! そういや、おはなさんって花だっけ、そいつ」


 ナナシの頭の上に咲くオレンジ色の花が急に喋り出しビクッと身体が強張った。六年前に喋っている事は知っていたのだが、今の今まで失念していたのだ。


『失敬な。これだから人間は――――いえ、まぁ良いでしょう。ラインクは比較的、まともな人間だと記録しておきます』

「まともじゃねぇ人間ばかりみたいな……いや、言われてみりゃ、ろくでもねぇのばかりだ」

『理解が早くて助かります』


 ナナシを求めての独り旅。出会う人間はどれもこれも吐き気のするかのような奴らばかりだった。ただ単に当たりが悪い、そう考えていた時期もあった。

 でも、実際は違った。人畜無害な少女でさえ、隙を見せれば殺しに掛かってくる。戦車は財産だ。これを売り払えば安全な【町】で暮らすことができる。衣食住が約束されるのだ。

 自分の欲望ために同族である人間を殺す。他の動物がそこまでするのは見た事が無いし聞いたこともない。人間だけなのだろう。


 だからこそ、俺は俺の見た物、俺が直接耳にしたもの以外を信用しない。隙を見せれば死ぬような世界だ。いつ死ぬか分からないのだから、自分の納得できる生き方をし、その果てに死にたい。この六年で、そう願うようになった。


「ナナシの言い分は分かった」

「そんなにホイホイ信じちまっていいのか?」

「起こった出来事は変わらないんだ。それに、俺自身が納得できればそれでいい」

「逞しくなったなぁ、おまえ」

「それよりもだ。クイーンってなんだよ?」


 ナナシとの会話で気になる言葉を耳にした。今、俺の興味はそちらに移っている。ナナシを発見し、変わらない彼女に安堵したためだ。


『クイーンとは【惑星再生種】の【長】の呼称です。ナナシを示す言葉でもあります』

「惑星再生種?」

『そのままの意味です。惑星を再生させるためだけに生み出された存在。その唯一の成功例がナナシとなります』

「ってーことは、その内、この星は緑に覆われた豊かな世界になるってことか?」

『その考えで間違いありません。もっとも―――あなた方、人間はその頃には絶滅してもらっておりますが』

「穏やかじゃねーな、その返答」

『これは確定事項です。そうでなくては惑星の再生など無理ですから』


 おはなさんは冷酷だ。でも、俺の記憶が確かなら、できない事は言わないし、できない者にできる、と無理強いしたりはしなかった。

 つまり、浪費が緩やかな条件下であるなら、このどうしようもない世界を緑で潤わせることが可能なのだろう。

 そのためには人間(ろうひか)に滅びてもらうしかない、という結論に至ったもよう。


 確かに人間は際限なく物資を浪費する。その日に食べないのに採取して貯蔵する。他の生き物の事なんて考えない。根こそぎ資源を持ち帰って枯渇させるなんて当たり前だ。


 生きるためなのだから仕方がない。その常套句をどれほど耳にしたか。

 人間のせいで、飢えて死んでいった動物たちがどれほどいるか。


 いやはや、俺も人間なのだが、生きるためだから仕方がない、という言い訳には反吐がでる。

 独り旅をして、離れた観点から人間を観察し、そして、人間がどうしようもないことに気付いた。


 確かに優しい人間もいる。でも、そいつらも優しくするのは同族だけ。そして、自分よりも立場が弱い存在のみに、優しさという【毒】を注ぐ。

 依存させ、信奉させ、貢がせる。人はそれを【宗教家】と呼んだ。


「人類の絶滅かー。でも、そうするしかないよな」

「おめー、人間なのに、それでいいのかよ」

「俺、こう見えても結構、強いし、色々見てきたんだ。人間ってさ、距離を置いて観察すると酷いんだぞ?」

「『知ってる』」

「デスヨネー」


 俺たちは笑い合った。久々に笑った気がする。

 ナナシが姿を消してから、俺は一切笑わなくなった。作り笑顔は見せるが心の底から笑ったことは今日この日までなかった。


「で、今直ぐ俺を殺すか?」

「なんでそうなる」

『率直に言うなら、ラインク、あなたを殺すメリットがありません』

「おはなさん、その心は?」

『私に心などありませんよ。単に、あなたに利用価値がある、というだけです』

「利用価値? マンイーターを従えるのに?」

『はい。彼らには力はあれど知性はありません。この惑星を再生させるためにはクイーンを頂点とした組織が必要不可欠。別に全ての命が滅びてから再生させてもいいのですが……それだとナナシが寂しい病を患ってしまいますので』

「おいぃ、なんだ、その俺がいかにも【さみしんぼ】みたいな言い方」

『事実です』

「ぐはっ」


 ナナシは緑の絨毯に身を投げた。今は不貞腐れて丸くなっている。


『ラインク、単刀直入に言いましょう。人間を辞めなさい』

「は?」

『言葉のままです。我々には人間を【改造】する技術があります』

「おいおい、マジか」

『マジです』

「おはなさんが言うと洒落にならないんだけど?」

『マジですからね。それに、あなたが初めて、というわけでもありません。改造手術は98%成功します』

「2%が怖いな」

『2%を引いた場合はマンイーターになるだけです。だから失敗してもあんしーん」

「あんしーん、じゃねぇよっ」


 中々、ぶっ飛んだ提案をされたものだ。直ぐに返答はできない。

 俺自身、人間に未練があるか、と言われれば希薄である、と答えるだろう。でも、人外の存在に憧れるか、と聞かれれば返答に迷う。


 そこまでして生にしがみ付いて何を成すのか、俺にはこれが無くなったからだ。ナナシを発見し彼女の口から姿を消した理由を聞いた今、俺は宙ぶらりんの状態になっている。


 だから、俺は一日考える時間をくれ、と提案した。そして、それを彼女らは受け入れた。






「そろそろ、答えを出す時間か」


 答えは決まった。きっと、俺はこうするしかできない。

 俺はナナシの下へと向かった。そこには期待に満ちた彼女の顔。


「答えは出たか?」

「あぁ、俺は人間として生き、人間として死ぬ」

「そっか……」

「俺は【ナナシの友人】として人間を全うする。俺、これから人間を観察して回ろうと思うんだ」

「えっ?」


 これが俺の答え。そして、人間への未練。この世にはまだ、まともな人間がいるのではないかという期待。

 まだ全世界を見て回ったわけではない。どこかに人間の未来を託せる、そんな奴が居る可能性だって捨てきれないじゃないか。


『それが、あなたの返答ですか』

「あぁ、距離を置いて人間を観察してきたが、まだ、全てを見たわけじゃない」

『そうそう、右手の甲をごらんなさい』

「右手?」


 お花さんに言われるままに右手の甲を見る。そこには何か出来物のような大きな腫れが一つ。


『おめでとうございます。あなたは人間を辞めました』

「「昨日のやり取りは何だったんだ、おめぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」」


 俺の覚悟は見事に台無しになりました。


『私が、仲間に引き込む、と思った瞬間に行動は終っているのです。こっそり、種を飛ばして植え付けておきました。後は根付けば工事完了です』

「くっそひでぇな」

『流石に2%を引く方がレアですからね。理性を保ったまま、こちらに向かってきている時点で勝利を確信しました。あなたは、これから徐々に植物人エルフと成ってゆきます』

「エルフだって?」

「はい、クイーンほどの再生能力はありませんが同様の能力を持ち合わせます。歩行により微量の植物を生み出し、太陽光、そして大気中の水分を搔き集める事によりエネルギーを自己生産できます。同時に二酸化炭素を摂取し酸素を吐き出すことも。また、下級マンイーターに対しての命令権を持ち合わせます」

「要は劣化ナナシか?」

『知能に関しては上かと』

「おはなさん、ナナシは、ちょっとお話があるますっ」

『あー、あー、何も聞こえません。持病のバグが発症したようです』


 おはなさんは良い性格をしていた。こんちくしょう。






 予期せぬ結果になったが、どうやら俺は人間を辞めさせられたようだ。

 彼女の話によれば、すぐさま植物人エルフになることはないらしい。徐々に変化は進んでゆき、やがて、人外の存在に成り果てるらしい。

 それまでは人間として世界を巡るのが良いだろう。そう言われた。


 だから俺はエルフになるまで10シキと共に人間を観察することにした。どこかに人間の未来を繋ぐ存在がいると信じて。

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