第22話 泣き笑い

「ウヒャヒャヒャヒャヒーッヒッヒッヒッヒッ!!」

 別室を掃除していたはずの同僚が、いきなり笑い転げながら部屋から飛び出してきた。

「おい、何やってんだ……」

 笑いすぎて床に倒れこむ同僚、そいつの目尻には涙が浮かんでいて、顔色は真っ青だった。ただただ笑いが止まらない、息も苦しいのに止められないといった様子だ。コイツは……。

「川下です。502号室を掃除していた山崎の様子がおかしいので医者呼んでください。俺は部屋を調べます」

 フロントに電話してから、俺はマスクをつけて軍手を嵌め、同僚が出てきた502号室の中に足を踏み入れた。

 部屋の中には、見慣れない、蓋の開いた瓶がひとつ。中からもくもくと煙が出ている。山崎が見知らぬ瓶の蓋を勝手に開けるとは思えない。恐らく「お客様」の忘れ物だ。山崎の反応からすると毒薬の類いか。クソ客が、余計なもん持ち込みやがって……

 バケモノがどんな目的で使ったのかなんて知らないし知りたくもない。とりあえず慎重に近づいて蓋を閉めたところで、俺はひんやりとした風を感じた。

 窓を見ると、普段は閉まっているはずの窓が、なんと全開になっている。

「あ、ヤベ……!!」

 慌てて窓を閉めたが、瓶の中身がどれほど外に出てしまったかわからない。たいした影響は無いと思いてえがどうなっているか……。

 


「アヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

「ヒーッヒッヒッヒッヒッ!た、すけ、て……!!」

 テツオの祈りもむなしく、部屋から漂った毒薬の影響で、ラブホテル街は泣き笑いする人々で大混乱になっていた。

「なんだ……?」

 サラリーマン風の青年が今宵連れだった女性も、突然憑かれたように泣きながら笑いだし、笑いすぎて息が苦しく、このままだとおいしくいただく前に死んでしまいそうだ。

 死体をホテルに連れ込もうとしたら、さすがに警察に見咎められるだろう。人間の警察など青年の敵ではないが余計な揉め事はしたくない。まだ夜には少し早い時間だが、彼女が死んでしまう前にさっさとホテルに入るか……と思った青年は、女に肩を貸してホテル・サンズに向かった。だが、ホテル入り口に規制線が張られ、立ち入り禁止になっていた。

「どうしたんだ?」

「事故らしいぞ」

「なんか毒が漏れたって……」

 野次馬たちの声が聞こえる。

「客はいない時間だったけど清掃員が毒吸って死んだってさ」

「ええ、かわいそう……」

 青年はその声に思わず振り返った。

 まだケタケタ笑いが止まらない女を放り出して、先程の声の主に尋ねる

「すみません、その清掃員のヒトって……!?」

「えっ、いやぁ、俺も詳しいことはわからないけど……ホテルの従業員が話しているの聞こえてさぁ……」

 胸がざわざわする。清掃員は彼ひとりではない、と己に言い聞かせながら、メッセージアプリを起動してテツオ宛にメッセージを打つ。

『ホテルで事故があったらしいけど大丈夫ですか?』

『無事だっら連絡ください』

メッセージが既読にならない。通話に切り替えてみたが繋がらない。

 彼が死んでいたらどうしよう。

 人間の命は短いとわかっていたつもりだった。脆弱な生き物だと知っているつもりだった。でも、こんなに突然に死に別れる覚悟なんてできていない。

「テツオさん……!」

 野次馬の並みを突っ切って、規制線を越えて中に入ろうとした、その時。

「おいおいおいおい何やってんだお前!!」

 青年の首ねっこが掴まれた。

 聞き覚えのある男の声と気配。青年が振り返ると、テツオが呆れた表情で自分を見つめていた。

「テツオさん……?死んだんじゃ……」

「勝手に殺すな。」

「でも、でも、清掃員がひとり死んだって……」

「そんなデタラメ誰が言ったんだよ。どっかのバカ客が毒忘れていったせいで同僚が笑い死にしかけたが、そいつも医者に見てもらって無事だ」

「じゃあ、なんで電話に出てくれなかったんです!?」

「警察と退魔師に事情聴取されてたんだよ……うわ、めっちゃお前から通知来てるじゃねえか……えっ!? おい大丈夫か!?」

「……よ、よかった……………。」

 テツオのピンピンした様子を見て、青年はへなへなとその場に座り込んでしまったのだった。その間に、泣き笑いしている女は、退魔師によって保護されたが、青年はまったく気がついていなかった。

「……おーい、立てるか? まさかお前に毒きいたわけじゃねーだろうな」

「大丈夫です……あなたが無事で良かったです。本当に。」 

 青年は笑顔だが声は微かに震えている。大きな目が潤んで、少し赤く腫れていた。

「……普段人間食ってるお前が、なんでそんな顔してんだよ、馬鹿だな。ほら、立てよ」

 テツオはそう返したが、満更でも無さそうに、青年に肩を貸してやり、家路に向かって歩き出したのだった。



 

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