第19話 クリーニング屋

 テツオが清掃員をしているラブホテルのリネンクリーニングを一手に請け負う、シロタクリーニング店。彼はいつもこの店に入るときに少し緊張する。襟や袖が汚れたり曲がったりしていないことを確認してから、店の自動ドアのボタンを押して、中に入った。

 受付に立っていたのは、若い女性だ。テツオは袋をかかえて、女性に声をかける。

「……すみません、ホテル・サンズです。クリーニングの依頼に来ました。」

「はい、お預かり致します。」

 笑顔の女性に、リネンが入った袋を渡しかけて、テツオの手がピタリと止まった。

 普通のリネンならいいが、この黒い袋の中に入っているのは、バケモノたちが使ったあとの、血まみれのシーツが大量に入っている。店長のシロタは事情を知っているからいいが、受付のこの若い女性にそのまま手渡していいものだろうか。

「……あー、すみません、店長はいらっしゃいますか」

「店長は今手が離せなくて……私がお預かりしますので大丈夫ですよ!」

 溌剌とした笑顔がまぶしい。ますますこんなモノを手渡すわけにはいかない。

「その、いつもの店長に渡したいって言うか……」

「私ではいけませんか?」

 目の前の女性は、自分が頼りないと思われた、と思っているのか、先ほどまでの元気をなくしてしまっている。

「いや!あんたが悪い訳じゃないんですけど……!」

 まずい……店員を傷つけたと誤解されたら、このクリーニング店のシロタ店長が何をしてくるか。なんとか言い訳を考えねばとテツオは焦っていて、後ろの自動ドアが開いたことに気がつかなかった。

「どうしたんですかテツオさん、こんなところで年甲斐もなくナンパですか」

「ホアアアアアア!? バッカお前来るんじゃねえ!!」

 顔馴染みの人食い怪異の青年が後ろに立っていたのでテツオは飛び上がった。

「店員さんもお困りでしょう……おや、美しい方ですね」

 青年は女性店員ににこりと微笑んだ。

「バカ、やめろ! ここの店員にだけは手を出すな! お前のためでもあるから!」

「うちの店員がどうかしましたか?」

 店の奥から男の声がして、一人の人物が受付に顔を出してきた。穏和な表情の、眼鏡をかけた知的そうな男性である。

「彼女が何かご迷惑を?」

「あ、店長! すみません、私がうまく受付できなくて……」

「いや! いい対応してくれましたよ大丈夫ですシロタさんこれいつものヤツですお願いします!」

 テツオは息継ぎもせずに早口で言うと、リネンの入った袋をシロタに手渡した。

「……確かに承りました。川下さん、お気遣いありがとうございます」

 すべて察したように頬笑むシロタに、テツオは安堵のためいきをついた。だがしかし。

「僕もいつかクリーニングお願いしたいなあ。僕はこういう者なんですが……」

 受付では青年が女性店員を口説こうとしていた。テツオは慌てて青年をカウンターから引き離す。

「おや、お友達ですか、川下さん」

「いやーハハハハハ!失礼します!」 

 青年を押し出すようにしてシロタクリーニングを出たテツオは、勢いよく扉を閉めた。

「今の店員さんかわいい子でしたね。化粧っけもなくておいしそ……」

「バッカお前本当にやめろシロタさんの所にだけは手を出すんじゃねえ」

 必死なテツオの様子に、青年は当惑した。 彼が女性を口説いたり吟味したりすることに、テツオがこれまで口出ししてきたことなど無かった。

「一体あのクリーニング店が何だって言うんです?」

「……シロタさんはまだ若えがやり手のクリーニング屋の店長で、従業員思いなんだ」

「ふーん……まあ従業員思いなのはいいと思いますが」

「退魔流派は魑魅魍魎漂白道(ちみもうりょうひょうはくどう)だ」

「なんて???」

 クリーニング屋の説明にはふさわしくない単語に青年は聞き返した。

「魑魅魍魎漂白道は家屋や遺品に染み付いた呪いや怪異や怨霊の類いをこの世から綺麗に洗い流す流派らしい。」

「どうして一介のクリーニング屋がそんな能力持ってるんです!?」

「シロタさんちも代々続く退魔の家系なんだが実家のゴタゴタで家を出てきたんだと。……お前マジで気を付けねえと存在をクリーニングされるぞ」

「そんな物騒なクリーニング屋がいてたまりますか!」

「……昔あそこの女性店員にセクハラしようとした俺の先輩はシロタさんの術で精神やられて寝込んじまったんだ。以来俺はあの店とシロタさんには逆らわないようにしている」

「一般人にも容赦しないタイプですか怖……」

 青年は二度とシロタクリーニングに立ち寄らないことを決めた。


「うーん、困ったな……」

 得意先のラブホテルからのシーツを前に、シロタクリーニングの新人社員ハクノは悪戦苦闘していた。血液の汚れはとれて真っ白になり、匂いも洗剤のいい香りがふわりと薫っているのだが……。

「どうしましたハクノ」

 ハクノが困っている様子を見て、シロタが声をかけてきた。

「あ、店長……じゃなかった、お兄ちゃん。この怨霊がなかなかとれなくて」

 常人には見えないが、シーツには怪異に喰われた人間の怨念が染み付いていた。このままホテルに返してしまっては、クリーニング店の信用問題に関わる。

「おや、これは洗剤だけではどうしようもないですね。では………」

 シロタは棚の上から箱を取り出すと中から金剛杵を取り出して手に握り、目を閉じて呪文を唱える。

 シロタの言葉に応えるように、怨念は徐々に浄化されていき、最後にシロタが「破ッ」と短く言って手を翳すと跡形もなく消え去った。

「はい、どうぞ」

「すごい!綺麗になった~!さすがお兄ちゃんだわ!」

「ハクノもよく頑張りましたよ。実に綺麗な洗い上がりでした。」

「私なんてまだまだ……もっと役にたてるようにがんばる! 店長だけじゃなくて、私もちゃんと頼れる店員なんだって思われないと!」

 意欲的な社員であり実の妹であるハクノのすがたに、シロタはにっこりと微笑んだ。

 ホテル・サンズの清掃員がハクノにリネンを渡したがらなかったのは、ハクノを頼りないと思ったからではなく、若い女性に血まみれのおぞましいリネンを渡すのが躊躇われたのだろう、とシロタは説明したのだが、それでもハクノは悔しいようだった。

 シロタとしてはハクノをか弱い女性らしく扱ってくれたテツオの気遣いには感謝していたが、ハクノはその女の子扱いが嫌らしい。

 ハクノが眉ひとつ動かさずに血や贓物の汚れを綺麗に洗い流していると知ったら、川下さんはどう思うかな……とシロタは少しだけ思いを馳せた。

 それから、あのサラリーマンがもしまたハクノを口説きに来たら殺そうと決意した。 


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