第8話 金木犀

金木犀の香りといえば、俺にとっては仕事場の便所のにおいだ。

 ラブホの客室と従業員のトイレに、金木犀の香りがする芳香剤を置いているからだ。

 そのためか、奴いわく俺からは金木犀の香りと煙草とその他もろもろが入り雑じった雑多なにおいがするらしい。余計なお世話だ。

 だから秋になって近くの公園の金木犀が香り始めると、あー今年も便所と似たにおいがするなー、くらいにしか思わず、ベンチで煙草を吸うのも特に抵抗はない、というか誰も気にしていないと思ったのだが。

「……ちょっとあなた、こんなところでタバコを吸わないでくださいます? せっかくの金木犀の香りが台無しになるでしょう」

 高圧的な少女の声。振り向くと、名門女子高の制服をきっちりと着た赤毛のガキがムッとした顔でこちらを睨んでいる。

 有栖川雛菊。まだガキだが政府公認の退魔師で、バケモノ相手のうちの商売を目の敵にしている。(のだがこれまでのらりくらりとかわしてるうちのホテルのオーナー何者なんだ……)何度か抜き打ちの検査で顔を合わせたくらいだが、この高校生は俺のことをどうも個人的にも嫌っているらしい。

「この公園はあんただけのもんじゃないと思うんですけどねぇ」

「公共の迷惑だから言っているんです。さっさと片付けて立ち去りなさい」

 いくらなんでも横暴だし年上にたいして無礼すぎると思ったが、悲しいかな、名門女子高の生徒と毛玉だらけのスウェットのおっさんとでは明らかに俺のほうが部が悪い。ここはおとなしくしておくのが無難だろう。

「へいへい、申し訳ございませんでしたね」

 面倒ごとを避けるためにすごすごと退散することにした。

 雛菊はふんと鼻をならすと、俺がさっきまで座っていたスペースを避けてハンカチを敷き、そこに腰かけた。

「……何してんの」

「見てわかりませんか、私が座るんです」

「えっ、そのためにわざわざ俺に嫌味言って退かせたの???」

「うるさいですね、ほら早く行きなさい」

シッシッと手で追い払う仕草をする雛菊。友達いなさそうだなコイツ……。

 まあ特に俺はこの場所に執着してるわけでもないので、他の喫煙場所を探してふらふらと公園を出た。



※※※


 さて、ようやく邪魔者を追い出した。

ベンチで文庫本を読むふりをしながら、その実内容なんてまったく頭に入らないまま、私は彼が現れるのを待つ。

 3週間前にこの公園で落とし物を拾ってくれた、素敵な大人の男性。名前も知らないけれど、金木犀の甘い薫りのように私の心を虜にした人!

 すぐにお礼をしたくて、何度もここに足を運び、いつもこの曜日にはここに立ち寄ることがわかったので通っていたのだけど、何故か彼が来るときに限ってあの薄汚い清掃員のおじさんがいて、話しかけるタイミングを見失っていたのだ!!

 ああ、ドキドキする……!

 会えたならまずは先日のお礼を言って、名前を名乗って、あの人の名前を聞いて……れれれ連絡先の交換なんてしちゃったりして、その後おおおおおおおおお付き合いを……!?



同じ頃、青年が遥か離れた場所から人間離れした視力をもって公園を見て、「あれーテツオさん今日はいないのか、帰ろ」と回れ右で帰ってしまったことを雛菊は知らない。

 



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