心構え一つでこの身に起こるどんなことも創作の種になりえます。
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい」
上記はマタイによる福音書13章3-9節より引用。
せっかく蒔かれたホラバナシの種、せめて三十倍にはしたいです。
作者からの返信
なみさとさん、コメントありがとうございます!
蒔いた種の全てが芽生えるわけではありませんね。それは可能性の欠片を散りばめておくこと。
本作では『二十四逝記』という隠れ蓑を被せて、ヒッソリ蒔いておくことにします。
次話より種を蒔き始めます。なに、ちょっとした思い付き程度のものです(*´-`)
綴りスイッチって、本当に、ふとした思い付きで起こるのですよね。私は、現在連載中の作品は、台所の包丁を持ったときに多くありました。何でしょうね。お料理をつくることと創作のつくるが似ているのでしょうか。私もお気楽です。今は、難しく考え過ぎてしまい書けないよーになってます。
作者からの返信
いすみんさん、綴りスイッチって表現、良いですね。
私は外を歩いている時や、信号待ちをしている時に起こりがちかな。料理をしている時は頭の中で散逸している考えを整理していることが多くて、生活の中で欠かせない時間でもあります。
書き始めるよりも、書き続けることと、完結させることって難しいですよね。熱量をもって勢いよく書き始めると、息切れしちゃうこと多いです(╯°□°)╯︵ ┻━┻
のんびりいきましょー