第2話 夢現時

「あの、すみません、私もなにか」

 戸棚からカップを二つ取り出した男を見て、アイリスは申し訳なさそうに手伝いを申し出た。少しでも失礼の無いよう、何か仕事をしなければと必死だ。だが、ひらひらと手を振る男は、アイリスに席に着くようにと促した。

「わざわざ王都から来てくれた客人なんだ。ゆっくりくつろいでくれて良い」

「でも、私はここへ働きに」

「こんな極地に来るなんて、それだけで重労働だよ」

 注いだ紅茶を運びながら男は静かに諭す。

「じゃあこうしよう。飲み終わったら仕事をあげよう、それまではゆっくりすること。良いね?」

 なおも食い下がろうとするアイリスに有無を言わさず、男は片方のカップを差し出す。渋々、男から紅茶を受け取ったアイリスは悴んだ手を温める。

「あ、ありがとうございます。えっと……」

「僕はエノ。この店の手伝いをしている。魔法は四等だ」

 赤と青の玉石がはめ込まれたバングルをチラリと見せてそう名乗ったエノは、紅茶を持って向かいの椅子に腰かけた。猫舌なのか、口をつける気配は無い。エノから手元に目線を移したアイリスは、ゆっくりとカップを傾けた。リンゴの香りが赤く染まった鼻をくすぐる。冷え切った体を溶かすように紅茶の熱が広がった。

 寒さと緊張で強張っていた表情が少し和らいだのを見て、エノは会話を切り出す。

「どうしてこんな朝早くに?」

「地図は頂いたんですが、その……。お店の開く時間が書かれていなかったので」

「地図?」

 外套のポケットから出てきた封筒を受け取ったエノは、中身を確認する。封筒には見覚えのある簡易の地図が入っていた。ひと月ほど前に「案内図を描いてほしい」と頼まれて大雑把に作った気がする。

「このためだったのか」

 そうと分かっていればもう少し丁寧に書いたのだが、と頭をかきながらエノは紙を裏返す。白紙だ。二、三度用紙を確認した後、もう一度封筒を覗き込む。中は空っぽだった。

「これだけ?」

 封筒の口を逆さにしながらエノは尋ねる。アイリスが静かに首を縦に振ると、エノは天井を仰いだ。

「杜撰だ、あまりにも杜撰だ……。いつもより早いけど、自業自得だ。アイリス、初めての仕事だ」

 エノは見上げたまま天井を指さす。

「上でのんきに寝てる店長やつを叩き起こそう。なに、手加減はいらない」

 そう言い終わると立ち上がり、紅茶を一気に飲み干した。




======================================




一体いつからだろう。気が付いた時には、虚空の中を私は浮いていた。


私?私って何だっけ?


疑問に答えるように空間に霧散していた粒子が、”私”の欠片が徐々に集まりだす。一つ一つが壮大なパズルのように少しずつ、少しずつ”私”を形成していく。


暗い空間。浮遊する私。


私。


私はそう、眠っていたのだ。


集まる欠片が増えるにつれて、私は私を思い出す。

昨日の夕食のことも。さっきまで見ていた夢のことも。


夢。


夢?


私はなぜかぽっかりと開いてしまったその記憶の穴を辿る。私のパズルが完成に近づいても、夢のことは思い出せない。唯一頭に浮かぶのは、黒い大きな影に飲み込まれたことだけ。私はどうにか夢を思い出そうと、残る欠片を集めて回る。


やがて、パズルが完成しても、私の夢は戻ってこなかった。


急速に体が浮上していく。水面に落下していく。

忘れてしまった夢と空虚な暗闇に別れを告げて私は覚醒する。


夜が、明ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メッセージ イン ア ボトル mon's @mon_s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ