第49話
青い翼をひろげて、力強く翼馬が空を駆ける。
翼馬達の背中には、両親、俺とミューレイ、山河が乗り、翼馬とは別に水色の鳥が一緒に飛んでいる。
空の宮殿を飛び立ったのは昼過ぎで、低い山を越えた辺りから、地上に大勢の人々が見えた。
馬車や徒歩で進む人々が、頭上の俺達に気付き騒いでいる様子がよく見える。
先日見た城が見えてくると、さらに凄い事になっていた。
道が全て露店や人々で埋まり、かろうじて城壁の前のスペースは空けてあったが、壊れた城壁の門はそのままだ。
兵士達が半円に配置され、降りる場所が確保されていた。
その周りは全て、人、人、人──。
何かを待っていた人々が、空から降りてきた翼馬達に一斉に注目し、歓声をあげる。
「このまま、奥へお進み下さい!」
出迎えた兵士がかき消されまいと、大声をあげる。
フードを被っているオヤジは返答代わりに片腕をあげ、城内に踏み込む。
城内も人で溢れかえり、みな壁際にひしめきあい、騎乗のまま進む俺達を熱心に見詰めてくる。
ドレスや騎士服の人がほとんどで、微妙に服装が違う。
両親も俺も山河も、マントのフードを被っていた。
今日は、いいと言われるまで、脱がないように言われた。
その意味がわかった気がする。
人々から向けられる視線が、期待と高揚感で尋常じゃない。
翼馬が通れるギリギリの空間を長めに進むと、大きな広間に出た。
縦長で、天井も三階分くらいあり、奥に高めの段差と、玉座。
右側は全て壁だが、左側はテラスになっていて、外につながっていた。
豪華なホールも人で埋まり、熱気が半端ない。
先日見たおっさんが、きちんとした服で俺達を出迎える。
「ようこそ、おいでくださりました。セトレアの皆様方」
おっさんがオヤジに頭をさげる。その場の全員がそれにならう。
「だいぶ集めたなぁ、ロアヒム。狭くないか?」
「庭も解放しております。そちらへ」
おっさんが率先して、左側のテラスへと誘導する。翼馬の後から、ホールにいた人々もゾロゾロついてくる。
かなり広い庭らしく、生垣は低く解放感があった。人がたくさんいても風が通るから、息苦しくはない。
生垣の手前に丸いテーブルや椅子が均等に配置され、一番奥のテーブルに案内された。
翼馬から降りる。
降りた後に翼馬達が人の姿になると、驚きの声がいくつも上がった。
イム将軍達は、そのまま俺達を囲んで護衛するようだ。
ミューレイも俺の左側背後に立ち、辺りを警戒している。
今日はドレスじゃなく、女性用の騎士服なのだ。頑張って母さんに頼んだらしい。
「フード、取りたくない……」
こっそりつぶやくのを、山河にひろわれた。
飲み物のグラスが給仕服達に運ばれてくる。中身は琥珀色のお酒っぽい。
とりあえず受け取ってオヤジ達を見ると、おっさんと小声で何か話してから、周りに目を向けた。
何かを期待して待つ人々が、俺達の様子をずっと見ている。
さわさわと小声で会話していた人々も、みなシイン、と静まり返った。
おっさんが、一歩前に出る。
「この地に集まってくれた皆様方に、まずはお礼を──」
注目する人々に、軽く頭を下げる。
「堅苦しい言葉での説明など、不要でしょう。我々は今日、伝説を見れるのですから──さあ! 祭りの始まりです!」
それぞれがグラスを傾ける。水色の鳥が空高く舞い上がり、雲もないのにパラパラと雨が降ってきた。
水滴達は小さな小さな、半透明の精霊に変わる。
普段、精霊は見えない存在らしい。その姿を今日だけは見えるようにしているのだ。
降ってきた小さな精霊に、人々が歓声をあげる。初めて目にする精霊に、大人も子供も目を輝かせて、手で受け止める。
地面に水の精霊達が吸い込まれると、次に顔を出したのは緑の精霊達。
小さな芽がスルスルと生え、一瞬で花が咲き、色とりどりの花の精霊が生まれた。
触れてもいいのか迷うその手に、精霊達の方から近付いてくれる。
その花の精霊達を、ふわりと飛ばし始める風の精霊達。
優しい風が人々の周りを飛び回り、気軽に髪や手に触れて、驚かせ。
次に現れたのは火の精霊達。
風の精霊に飛ばされながら、ロウソクの炎くらいの大きさであちこちを飛び回る。
精霊達の出現は、城塞を中心に入りきれない人々のいる平野でも、見ることができた。
不思議な光景に人々が心を奪われ、感動しているのが伝わってくる。
視界の端で母さんが動くのが見え、顔を向けるといつの間にか、巨大なハープが用意されていた。
静かに弾かれた弦から、最初の音が響き出した瞬間、辺りが闇に覆われた。
何も無い、混沌の闇。唐突に真の闇に包まれあちこちから悲鳴があがる。
「王子様っ」
ミューレイが慌てて俺の腕につかまってきたが、足下にはちゃんと地面があるし、座ってる椅子の感触もある。
そして暗闇の中でも、俺にはハープを弾く母さんの姿が視えていた。
「大丈夫。……映像だ……」
映像、というか。まぼろしか。
音が魔力を持ち、幻を見せている。ただ、あまりにもリアル過ぎるけど。
闇の中から光が生まれ、まばゆい光が世界を覆い、金色の粒たちが──
あたたかいような冷たいような、不思議な感触。
これを、よく
チリ、と、指先から何かが出ようとしたのを、握り締めて止める。
母さんが俺を見た。俺に、観せるためにこれをやっているのか?
なぜ。
光は。
生命の粒たちは混ざり合い、離れ、重なり合い、反発しはじめ魔力の渦を創りあげた。
原初の魔力。
魔力そのものの根源が、姿をとりはじめた。
大きな鱗で覆われた体躯に巨大な翼の、竜。
最初に生まれた存在。
羽ばたきすると、零れた光が大地を形成していき、水が生まれ緑が育ち風がめぐり火が瞬いた。
精霊が次々と生まれ、動物達が生まれ、最後にヒトが生まれた。
争いなどなにひとつない、楽園の原初の世界。
けれどその世界に、金色の影から生まれた闇の竜がかたちを持った。
世界が昼と夜にめぐるように変化する。
人々は、精霊に魔力の使い方を習い、魔法を操るようになっていき。
やがては争いを始めてしまう。
火の魔法が生き物を焼き、緑を焼き、風の魔法が大地を削り、精霊達はヒトを恐れて姿を隠した。
精霊達が消えた土地は生命の糧を失い、疲弊して緑が消えていく。
死と深い闇が、闇の竜をも汚していく。
闇の竜は人々を憎んだ。
だから──。
憎むべきヒトの姿を取って、ヒトと結ばれ子供まで作った母さんを、許せない。
そういう──ことか。
「あ……」
誰かがつぶやく。
音楽はいつの間にか止み、全ての人々が眠り込んでいた。
幻も、消えている。
いや、離れた場所で数人だけ立ち尽くしてこちらを呆然と、見ていた。
色違いのフードマントを着た連中と、見覚えのある男だけが、この場で眠らされずに。
山河が俺の斜め前に出る。
オヤジが立ち上がる。
母さんはハープを抱えたまま、ただ彼らを眺めている。
そして精霊達が彼らと俺達を囲み込み、決して逃がさないという感情をあらわにしていた。
俺は真っ先に、灰色のマントを見る。
視線に気づいて、彼はフードを外す。
俺も外して椅子から立ち上がる。
オヤジが彼らの所へ眠った人々を避けながら歩いて行くと、先頭の男が膝をつき、残りのマント達も
怖いくらいの静寂。
数千の精霊達に睨まれる状況というのは、恐怖でしかないはずだ。
しかも、さっきの幻を見せられた後なら、なおさら。
西の王様だろう男は青ざめ、ただ頭をさげている。
強い突風が吹き、フードを被っていた連中のフードが勝手に外された。
風の精霊の仕業だ。
何人かはビクリとしたが、はじめからフードを外していたレテューと、赤い男は微動だにしない。
オヤジも自分でフードを下ろし、ふん、と鼻を鳴らして彼らを見下ろす。
「弁明も謝罪もなしか」
呆れたと、言わんばかりに。
「……ッッ、こ、この度は、多大なる」
「謝る相手が違うだろ」
はっとして口ごもり、恐る恐る俺の方を見た。
正直、見られるのもイヤなんだが。
「……我々の勝手な思惑で、不快な目にあわせましたこと、大変申し訳なく──心より謝罪致します」
恐怖と後悔が透けて見える。ただ、何もしてないレテューはともかく、赤月からは何の感情もしない。
この状況で恐怖すら感じてないってのは、どうなんだろう。
ひたすら頭を下げ続ける彼らに、オヤジがどうする? と、俺を見てきた。
肩をすくめて、首を横に振る。
「──もういい」
後ろについてきた山河が、すぐにでもあの刀を出してきそうな気配を察知して、慌てて振り向く。
山河の表情が消えてるし、怖いし。
「一応、お祭りなんだろ? 暗くしてどうするんだよ」
山河の腕を掴んで、椅子の方に戻る。
「……リューキが優しくて、命拾いしたな。二度目はないぞ?」
オヤジがまだ脅してるけど、精霊達まで今にも襲いかかりそうだけど、もう、皆して物騒なのやめてくれ。
椅子まで戻ると、母さんと目があった。
金色の眼差しの底知れなさに呑まれそうになり、瞬きする。
確かに、口で説明されるより見た方が理解できたけど。
疑問がさらに増えたのは間違いなく。
俺は……何、になるんだ?
疑問の声が届いたように、母さんが弦を弾く。
ピイン……と
「う……な、何が……?」
「何か……夢を見たような」
「夢……! 見たわっ、あれは古代の」
興奮して喋り出す人々。
オヤジも人の間を抜けて、母さんのそばに戻る。
止まっていた時が急に動き出したかのようにざわめきが生まれ、精霊達も姿を薄くしていった。
ロアヒムのおっさんも呆然とした顔で、見せられた幻を探すように周りを見回している。
「祭りはこれで終いだ。またな、ロアヒム」
「えっ──セトレア王?」
用事は終わったとばかりに、オヤジは母さんを抱き寄せる。
イム将軍がすぐに翼馬になり、さっさとまたがってしまう。
俺はフードを被り直し、人の群れの向こうにいる気配を目で追った。
「俺、もうちょっといる」
「ん? わかった。──リン」
だんだん離れていく気配に、俺は慌てた。
オヤジに目配せされた山河と、ミューレイがついてくる。
城塞の混雑した道を苦労しながら通り抜け、街の中のやっぱり混雑し過ぎな道を降り、どんどん遠ざかる気配に本当に焦った。
やっと目的の後ろ姿を見つけ、ホッとするのと同時に悲しくなる。
絶対、わかってて逃げられてる。
「レテュー!」
道行く人々はみな、精霊や原初の世界の話で興奮状態で、大声を出しても見向きはされない。
「……っ、レテュー……!」
止まるどころか速くなる灰色のマントに、俺は歯噛みしたくなった。
顔も見たくないのか。
関わりたくないのか。
「……リューキ、捕まえてくるか?」
山河が見かねてそんな事を言い出す。
「王子様からっ、逃げるなんてっ、お仕置きにゃっ」
ミューレイも変な事を言い出すし。
二人に首を横に振り、俺はズルをする。
目線で距離を確認して、レテューの進む前方に飛んだ。
「!」
俺にぶつかるようにして、やっと足が止まるレテューの、フードの襟元を掴む。
「なんで、逃げんだよ」
フードの奥のアイスブルーの眼は、ひどく動揺していた。
らしくないレテューに、苛立つ。
「恨んでるのか? 街が破壊されて、俺がいなければあんな──」
「リューキ!? 違……っ」
100メートルほど距離が開いてしまい、慌ててこっちに駆けてくる山河達を振り向き、レテューは俺の体を掴む。
咄嗟に──本当に咄嗟に、したのだろう。
サッと視界の街が消えて、誰もいない平野に移動させられた。
日が、傾きはじめた平野の遠くに、ゾロゾロと移動する人々の群れ。
どうやら城塞のさらに外に飛んだらしく、移転してしまってから、レテューはあっと叫んだ。
「やっちまった──やべぇ」
慌てて、俺から手を離して頭を抱え、しゃがみ込む。
しばらく唸ったあと、あきらめたのか立ち上がり、フードを外す。
頭をかきながら、気まずい表情で俺を見る。
俺もフードを下ろした。
まずは、どこも怪我してなさそうで安堵した。
避けられたのがショックだが、ちゃんと謝らないと──。
「……街が破壊されたの俺のせいだ。ごめん」
「は? ──いや違うだろ。リューキを利用しようとしたから罰が」
俺は横に首を振る。
「捕まったあと、王様と会議してたの視てたんだ。血が必要なら、あげてもいいかって──単純に考えて逃げなかった。俺の血を舐めると……確かに不思議な力が与えられるみたいで」
黒猫が巨大化して翼が生えたり、力が強くなったりした。
だけど、ヒューレアさんは。
「与えられるだけじゃなく、俺が言った通りになる、みたいで……その皇帝とかも、言う事きかせられるかもって」
簡単に考えていた。
そうしたら、全部うまくいくかもなんて。
俺がちょっと、我慢すれば。
「両親と山河が過保護なの忘れてたんだ。しかも……精霊を通して、全部見てたらしくって。母さんが怒ってるって聞いた時にすぐに帰ってれば……」
大地が裂かれるほどの、事態にはならなかったはずだ。
無関係な人をたくさん巻き込んで、大事にしてしまった。
別の世界だからって、どこか外から眺めるような、傍観するような他人事として、見ていた。
刺されても治るから大丈夫だって。
俺が刺されるのを見て、両親や山河が平気なはずがないのに。
「だから、ごめん……っ」
頭に、ぽん、と手のひらが乗っかる。
困ったような顔をして、アイスブルーの瞳が笑う。
「……オレの方こそ。ちゃんと話しを聞かずに街に連れてってごめんな」
真っ直ぐに俺を見る眼差し。
その目が襟元の、フードを掴んでいる俺の手に向く。
「も、逃げねーから」
「……」
「な。てか戻らねぇとまた、面倒な──」
青い風が吹き付ける。気がついて城塞の方角を見ると、翼馬が二頭、こっちに駆けてくる姿が。
物凄い速さで。
「うわわ……リューキ、手を離し──……ッ!」
ぐんぐん近付いてきた翼馬の背中に乗ったまま、山河が右手を
頭上から斬り降ろされた一撃を、レテューが鎌で危なげなく防ぐ。
ミューレイも翼馬から飛び降り様、蹴りかかったが、俺を抱えたままレテューはさっと避けてみせた。
山河が、翼馬から降りて仕掛けた二撃目も難なくそらし、レテューは鎌を消す。
「降参! 降参だっ」
追撃しかけたミューレイが止まって、俺を見る。
「……話しをしてただけ」
「にゃ?」
速すぎて、口をはさむ隙がなかった。山河は、微笑してるし。全く殺気なかったし。
刀を消して翼馬を呼び寄せ、何もなかったように山河が俺とレテューを交互に見る。
もう、話しは終わったのかと、目で聞いてくる。
俺は、もうひとつだけ、言わなきゃいけない事があった。
「レテュー、頼みがあるんだ」
「うん?」
ようやく手を離した俺に、マントのシワをのばしながら〝頼み事〟を耳にした彼は、目を丸くさせて──笑った。
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