第45話


呼吸をする音が、やけに大きく聴こえて自分の口を手で押さえ、隣りが起きてないか確認する。


「……っ、……」


消えない映像が、感触が生々しく、思わず手首を確かめてしまう。


何もはまってないのに、何度も。


やばい。


黒猫連れてくるの忘れた。ゴロゴロがあれば、眠れたかも。


「………」


ログハウスの周囲に誰もいないし、森は眠っている。闇の気配もない。


だから大丈夫。


段々心臓が落ち着いてくる。


そうっと寝直して、山河の寝顔を見て安堵して、きつく目蓋を閉じた。


寝ようとすればするほど頭が冴えて眠れずに、結局うとうとできたのは明け方だった。


小鳥のさえずりが聴こえて、明るい日差しが差し込み、森に朝が訪れる。


頭をおさえながら、起き上がる。


隣りを確かめると、横になったまま山河は目を開けていた。


「っ、起きてたのかよ……」


「リューキ。寝付けなかっただろ」


バレてる。


無視して起き上がり、リビングに出る。


風呂場で顔を洗おうとして、イヤな記憶に辟易しながら、冷たい水で顔を洗う。


「……」


俺の様子から目を離さない山河は放置して、外に出る。


朝の森の空気が冷たく、みずみずしく、気持ちが落ち着いていく。


時間が経てば薄れるはずだ。そうじゃないと、困る。


ぼうっとしていると、両親が起きてきた。ドアは開けっ放しにしてたので、山河が2人に挨拶するのが見えた。


「おはようございます」


「おう、おはようリン」


「おはようリーン、……リューキ、早起きね」


朝の支度を始める大人達。外に出てる俺に、母さんがにっこりする。


「……エリ様」


「?」


「リュウキが手首を気にするのは、何故ですか? 水も……怖がってる」


げっ。


「なんでもねーよっ」


慌てて戻ったが、山河につかまった。


「手首? 水?」


オヤジまで興味を示し、俺を見る。


母さんの顔から笑みが消え、一瞬泣きそうな瞳を向けられ、焦った。


「なんでもねーって!」


オヤジが母さんを抱き寄せ、顔を覗き込む。


「エリ?」


「……ファルブ」


『コレニ』


どこからともなく、黒い妖精が現れ一礼した。


「……記憶を、ふたりに」


『ギョイ』


「はっ? ちょっ、待っ……」


止める手段がなかった。青ざめる俺をしっかりと押さえた山河と、オヤジが中空を見詰める。


記憶ってなんだよ。まさか全部ビデオみたいに保存されてるのか!?


い……家出とかっ、思いっきり言ってたし!


レテューに山河のことを……!


「………っっ!」


わ──────!!







長いながい、沈黙が訪れた。







ピチュピチュと、無邪気にさえずる小鳥がログハウスの屋根にとまった。


風で飛んできた葉っぱが、かさりと音をたてる。


のどかな森の風景とは逆に、ログハウスの中は不気味な静寂に包まれてしまった。


「……もっと早く、迎えに行くべきだったわ」


ポツリと母さんがつぶやく。


「人の息子を、モノ扱いか──上等だ」


普段明るいオヤジが、黒い笑みを浮かべ。


「ギルドは潰しましょう」


山河は俺の頭を撫でながら、キッパリ宣言する。


黒い妖精まで、うんうんとうなずいている。


「やめろって! 物騒な話しすんなっ」


じたばたする俺を離す気はないのか、山河はずっと俺の頭を撫でている。撫ですぎだろ。


睨みあげると苦笑され、手が止まる。


「誘拐に監禁だぞ。しかもこの赤い奴」


まだ何か観てるのか、オヤジは露骨に顔をしかめている。


たのしそうにリュウキに触りやがって……変態か」


「なに観てんだよっ!」


恥ずかしすぎて死にそうだ。


「真っ赤なバスルームはトラウマになりそうですね……サイコなポルノ映画並だ」


山河まで、じっと何か観てる。って、ポルノ映画??


「リューキも色気が出てきたのか? そっちも気をつけないとだな」


オヤジが、心配だという眼差しを向けてくる。


な、なんの話……?


ハテナと見返せば、くしゃりと頭を掴まれた。


「もう、知らない奴についていったりするな。色んな意味で危ないからな」


「う、……うん……?」


いまいち分からなかったが、とりあえずうなずいておく。


「……朝食に、しましょうか」


ようやく、朝メシの準備が始まる。


パンに、昨日の野菜や肉を挟んだサンドイッチと、何かの飲み物。


見た事もない、紫色のフルーツ。


朝のさわやかな空気には似合わない、微妙な緊張感の漂う中、食事が終わる。


イヤな空気を振り払うために、俺はログハウスから出る。


「散歩してくる!」


オヤジが山河に視線をやり、当然のように山河が後についてくる。


森には小さな動物しかいないのか、小鳥達が囁きながら枝を跳ね回り、トカゲっぽいのがカサカサ這い回り、ウサギもどきが跳ねる。


「あっ」


白茶の毛皮のウサギもどきが、目の前の草むらをぴょんぴょんと横切り、つい目で追いかけた。


なんかものすごく見覚えが!


「追いかける?」


山河が聞いてきて、はっとして踏みとどまった。


「子供じゃねぇし!」


反射的に追いかけそうになったのは、秘密だ。


モフモフの手触りの良さそうなそいつを見送り、また歩き出す。


どこまでも続いていそうな森だったが、ふと木々が途切れ何もない草原に出た。


風の匂いと緑の匂い。ゆるく起伏した大地一面、黄緑色の草に覆われ、明るい。


何キロか離れた場所に、馬っぽいのが群れでいる。


なんだろ。


馬の背中に翼がある。


「──……なぁ、ここって……どこ?」


ただの森じゃなかったのか。


質問に、山河はしばし考え込んだ。


「詳しい位置はエリ様しか知らない。ただ、普通の人間は絶対入ってこれないそうだ」


風がくるりと周囲を囲み、半透明な存在がふと姿を見せる。


「──ヒカリノモリ…」


「ヒカリノキミノ」


さらりと呟いて、またサアッと空に飛んでいく。


「……光の森?」


「精霊の方が詳しいな」


日のぬくもりと、風が気持ちよく、その場に座ってみた。


地面があったかい……ゆるりと気持ちが楽になる。


なんにも考えず、自然の風景だけ眺め続けて、ふと気づく。


きれいに上手く隠して、山河の内側から光とは真逆の、俺の苦手な気配がすることに。


「闇の……アイツに襲われたあと、山河はどうなったんだ……?」


俺をかばって闇に染まった子供の山河は、真っ黒になっていた。


あの状態で無事だなんて、ありえない。


俺の後ろに立つその顔を見上げるが、ちょっと首をかしげて、思い出すのに時間がかかったようだ。


「どうなったかと聞かれても。一晩寝込んだら……体質が変わったくらいかな」


「体質?」


組んでいた腕を解き、右腕を前方にかかげる。


スルりと真っ黒なモノが長細く伸びて、あの刀が作られた。


「闇の──魔力がみ込んでいるらしい、今ではすっかり体の一部になった」


近くで視ると、濃密さがよくわかる。アイツの、闇の気配そのものの純真な闇。


かなりの量が山河の中に入り込んで、魂に絡みついている。


俺のせいで、そうなったんだ。


目が合うと山河は苦笑した。


「リューキのせいじゃないから、そんな顔するな……けっこう便利だぞ?」


「便利って……」


そういう問題じゃないだろ。


俺はいったん黙り込む。


ゆるやかな時間は変わらない。草原でのんびりとくつろぐ動物達を眺めながら。


なんて聞くべきかを考える。


本人に聞けばいい──たしかにそうだけど。


目撃してきた光景が、グルグルして重い気分になって、胸の内でモヤモヤとなる。


何度か迷って、やっと言葉が出た。


「……ひとを殺すの……平気なのか?」


聞いたらいけないことを質問してる。さすがに山河だって怒るかもしれない。


そう思って恐る恐る、また見上げれば、本人はきょとりとしていた。考えるように瞬きしてる。


反応が遅い。困ったように苦笑する。


「──そうだな……こちらでは当たり前だからな。まず、法というものがあまりない。王政だから、国によって全く違うし……とくに、何も感じないから平気なんだろう」


何も──感じない?


冷たいものが肌を這い上がる。


「何も…っ…て、……」


本心から、言ってるのか?


「……っ、地下の街の子供の時も? 宮殿で──の時も?」


「地下? ああ……闇に呑まれると、もう戻らないから。危険だし……掃除は、陛下の決定だし」


必要だから、そうしたのだと。


何の迷いもなく返事が返ってくる。


「いまはかなりマシだが、昔はもっと酷かったから。治安も良くないし」


「………」


「向こうよりだいぶ、文明的に遅れてると思う。科学なんてないし、魔法が……魔力が主だからな」


俺は、山河から視線を外して、空を駆ける風を見た。


同じ基準で考えるのが、そもそも間違ってるのか?


「山河は……こっちの生まれ、なんだよな?」


うなずく気配がした。


どう考えたらいいのか、分からなくなってきた。


膝を抱える俺の様子を、じっと見守る視線を感じた。


生命の価値観が違うから、気になるのは俺が向こうで育ってるから?


でも、じゃあオヤジは──。


考えるのが、だんだん怖くなってきたので、思考停止した。


話しかけるのをやめると、また沈黙がおりる。


日が傾きはじめるまで、俺はじっと自然の風景だけを眺め続けていた。








暗くなる前にログハウスに戻ってから、昼メシを忘れていた事に気づいた。


両親が仕方なさそうに笑っていたが、今夜もバーベキューらしい。


オヤジと山河は、また酒を飲んでいた。


そして忘れていた、寝る時間がやってくる。


「よし、みんなで寝るか!」


酔っ払ったオヤジが、リビングのテーブルや椅子を外に出させ、マットを二つくっつけ、オヤジ、母さん、俺、山河で横になった。


口では文句を言いつつ、ちょっと嬉しかったのは内緒だ。




「黒猫、連れてきていい?」


眠りながら母さんに聞くと、優しくうなずいてくれた。



夢は、見なかった。







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