第六部
第44話
白亜の宮殿に、眩しい朝がくる。
瞬いていた星の煌めきは薄く淡く消えて、かわりに日の光が空いっぱいに広がっていく。
水色と淡い紫色の空を飛んでいくのは、透明な何か。
空気がどこまでも澄み切って、吹き付ける風は爽やかだ。
一睡もできなかったのに全く眠気を覚えず、俺は膝を抱えてひたすら空を眺める。
黒猫は背中あわせに丸くなり、スピスピと寝息をたてていた。
よく知っている気配が入り口から入ってきて、俺の様子を見て声をかけてくる。
「おはよう、リューキ。……寝れなかったのか?」
固まってしまった手足をほどき、俺はソファーに座り直した。
「……はよ」
山河はきちんと騎士服姿だ。見慣れないけど、この宮殿にいる間は慣れないと。
「朝メシ、入るか?」
籠を持ち上げて聞かれ、腹を押さえうなずく。
籠から出されたのは、サンドイッチとスープ。二人分。
モクモクと朝食を片付けると、する事がなくなってしまう。
「なぁ……」
「?」
「夏休み、いつまでだっけ?」
山河は、考え込んだ。まじまじと俺を見る。
「──まだ、日にちはある」
「そっか」
何もない広々とした部屋で、いったい何をして時間をつぶせばいいんだ。
「……向こうに帰りたくなった?」
俺は目を逸らして、黒猫を撫でる。
宮殿が静かすぎるのは、ヒトが少ないからだろう。
気配を感じようとしても、淡い感触しかない。
「人間の国じゃ、なかったんだな……そもそも」
「うん?」
朝メシが終わっても、山河は居座るようだ。
たった数日間の出来事。
色々ありすぎて、余計に問題が増えた気がする。
俺は、恐る恐る聞いた。
「……母さん、何か言ってたか?」
黒妖精がずっと俺にくっついていて、三日間のあれこれがどこまで伝わっているのか、不安だった。
撫でられる黒猫を見ていた山河は、遅れて反応する。
「何かって……ああ、宮殿じゃなくて、森のログハウスで過ごしたい、とは」
「……俺もその方がいい」
「わかった。伝えてくる」
何も聞いてないなら、よかった。
ホッとする俺を不思議そうに眺めてから、山河は部屋を出ていく。
ぼーっと空を見つめること数分。
増えた気配に出入口を見ると、薄い布をはらって両親がにこやかに現れる。
「リューキ! おはよう!」
手を伸ばしてきたオヤジに頭をワシワシされ、乱れた髪を母さんが直した。
「おはよう、リューキ……眠れなかった?」
「はよ……ん」
素直にうなずくと、微笑される。
いつでも綺麗で優しくて、捉えどころかない、なのに酷く安心する、いつも通りの母さんだ。
「よし、さっさと下に降りるか。グズグズしてるとまた、仕事を増やされるからなっ」
オヤジの仕事って、王様の仕事か? 疑問が浮かんだが、聞かないでおく。
「このまま、行くの?」
「ええ」
フワリと景色が変わる。
みずみずしい、深い森の中。
ぽつんと建てられた、小さなログハウス。
濃厚な緑の香りに、自然と体がホッとする。
「着替え、ありましたっけ」
「なんかあるはずだ」
騎士服の上着を脱ぐ山河と、王様の服を脱ぎながら言うオヤジは、早速ログハウスに入っていく。
森を見渡し満足そうに笑い、母さんも家の中へ。
俺もつられて見回してみると──葉の陰や草むらからひょっこり顔をのぞかせる、淡い気配がいくつもあった。
森が喜んでる──じわじわと近しい気配があふれていく。
『オカエリナサイ…』
『オカエリ』
『ヒカリノミコサマ』
淡くて儚い存在たち。強い風が吹いたら飛ばされてしまうくらい、かすかな。
「……ただいま」
どこまでも終わりがなさそうな、豊かな森の中。
ただ1軒だけ建つログハウスは、リビングダイニング、寝室が二部屋、バスルームとトイレしかない、狭い家だ。
俺が3歳までは、ここで過ごしていたという。
夢の中で見た小さな泉は、苔むしたいかにも何かいそうな雰囲気で、でも何も出て来なかった。
おぼろげな記憶を頼りに、一通り森を探索して帰ってくると、庭に木製のテーブルと椅子が用意され、早くもバーベキューの準備が進んでいた。
どこから運んできたのか、肉や野菜の他に酒瓶が持ち込まれ、オヤジと山河は先に飲みはじめてしまい、母さんに苦笑される。
「まったくもう──二日酔いになっても知らないわよ」
「大丈夫、大丈夫」
とりとめのないことを話しながら、夜になり、さて休もうとした所で問題が発生。
寝室は二つしかなく、片方は当然両親。
もう一つの部屋は、俺が子供の頃の部屋だから狭いうえに、子供サイズのベッドしかなかったのだ。
ダイニングの床で寝ると言う山河をなんとか思いとどまらせ、子供用ベッドは部屋から出して、床にマットを敷いた。
「ほらっ、これで足のばせるだろ」
「そうだけど──リューキ?」
両親は先に寝室に消えて、ランプがひとつしかないログハウスの中は暗い。
星あかりが窓から差し込む中、何か質問したそうな山河を、グイグイと子供部屋に押し込んだ。
暗くなってから、急に思い出したこと。
夜は……夜の支配時間。昼間とは逆にアイツの力が強くなる。
くわえて、俺は考えないようにしていた昨日の出来事が思い出され、ひとりで寝たくなかった。
「リューキ?」
「いいから寝ろっ」
傍に馴染みの気配があれば、寝られるはずだ。
フクロウみたいな鳴き声を聴きながら、無理やり眠る……。
蒼い炎に飲み込まれ作られた 灰の砂漠
血まみれの 瓦礫に埋まる人々
両腕の冷たく重い 金属の感触
真っ赤に染まったバスルーム
わざと ゆっくりと 丹念に触れる手
穴の空いた大地 子供の鳴き声
消えた
飛び起きた。
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