第43話


────夢も見ないで眠ってしまって、半分だけ覚醒した意識が、誰かが部屋に訪れたのを感じとった。


こちらの様子をうかがいながら、そうっと近づいてくる。


頭までかぶっていた上掛けが、そっとまくられ、しげしげと観察する眼差しを肌で感じた。


しばらくしてから視線が離れ、テーブルに何か置く物音。


食器が鳴る音と、食べ物の匂い。


気配はまた移動して、箪笥が開かれ、何かゴソゴソと衣擦れの音。


音が止み、またこちらをうかがう様子が伝わってきたが、どうしてか目蓋がひらかない。


強制的に眠らされているような──ようなじゃなくて、実際そうなんだろう。


やがて、遠慮がちに髪に指が触れてきた。


「……起きれますか」


この声と気配は。


苦労して、うっすらと目蓋を開けると、真紅の髪とルビー色の瞳が見えた。


二十歳すぎの青年。


切れ長の目と男前な容姿。いかにも切れ者、といった風貌は想像以上だ。


身体に力が入らない。


「無理そうですね。──失礼」


上掛けを避け、首の後ろから腕を差し込まれ、上体を起こされる。背中にクッションらしき物を当てられ、熱をはかるように額に手のひらを当てられた。


苦しくはないが、非常に身体全体がダルい──なんだこの有様は?


『……ミコハヒカリデスカラナ。ウチナルヒカリモヨクセイサレテハ、ヒノササナイトコロデハ、フジユウシマショウ』


目の前に──黒い妖精が、ハタハタと浮く。


思わぬ登場に、目を見張る。


「……っ」


赤月が、妖精に気づくことなく、俺の服に手をかけた。


「食事の前に、風呂に」


いやいやいや。ちょっと待て!


「……ッなん…で、あんたが」


「秘密を守れて、移転できて、魔力量Xに対処できるような使用人がいなくてな」


「世話とかっ、いらねぇよ!」


羞恥からか、無理やり身体に力を入れたらなんとか腕が動かせた。


ボタンを外されたシャツの胸元を慌てて握りしめる。


赤月はかすかに笑い、俺の髪をかきあげる。


「身綺麗にしていてもらわないと……仮にも、皇帝への献上品だからな」


本気か冗談かわからない。


睨んでも、大人の笑みで返される。何を考えてるのか全く腹の中が読めない。


服を脱がすのは諦めたのか、そのまま抱え上げられ運ばれ、焦った。


黒い妖精も、慌てて後から飛んでついてくる。


あらかじめ開いていたバスルームの、湯が張られた浴槽に服のまま、ざぶんと落とされた。


「おい……ッ!?」


『ミコ!』


「レテューの鎌は、見たのでしょう? 私のはコレです──」


じわりと赤い飛沫が、湯の中を満たす。衣服が繊維から、すうっと溶けていく。


ボロボロと服が崩壊する様は、ホラーだ。


バスルーム中、赤い飛沫が浮かび、恐怖で息を止める。


「ふ……怖がらなくとも、傷ひとつつけませんよ。髪から洗いますね」


視覚的にも、真っ赤な色に埋めつくされるのはホラーでしかない。黒妖精も、近寄れなくてバスルームの外で右往左往していた。


抵抗する気力もなくなり、恐怖の時間を耐えたあと、寝巻きに着替えさせられ、食事の席につかされる。


「──やけに、大人しくなりましたね」


「誰のせいだよ……」


眠かった頭が、お陰ではっきりした。


コイツはやばい。レテューとは違う。


重い両手を無理やり動かし──じゃないと食事まで世話されそうだったので──なんとかパンとスープを食べ終える。


じっと観察していた赤い瞳が、魔石尽くしの腕輪を眺める。


「……なんだよ」


食事が終わっても、赤月は帰る様子を見せない。


「いえ。──リューキは何歳ですか?」


歳? なんでそんな質問。


「……16」


この部屋は静かすぎて、かすかな身じろぎすら、音が響く。


黒妖精すら、怖々と赤月の一挙一動に注目している。


「まだ16ですか」


納得したようにつぶやく、感情が読めない紅玉の双眸。


飽きもせずつらつらと見詰め続けられ、静寂の重さにつぶされそうだった。


黒妖精に視線をやるとテーブルの隅で羽根を休めていたが、俺が見たのに気づき、一礼する。


母さん達が俺を探しているかどうか、聞きたかったんだけど、赤月がいたら話しができない。


『アア、イエ、ミコノヨウスハイマ、ワレノメヲトオシテ──』


「見た目通りということ、ですね」


「……え?」


『スベテ、オツタエシテオリマスレバ──』


ちょっと待て。


「青がやけに確信していたが、古代から生きてるはずの神竜が、こんな子供な訳がない」


いつからだ?


黒い妖精は小首を傾げた。


『サイショカラスベテ──ヒカリノキミハ、タイソウ……』


「身体も、普通にヒト族にしか見えませんしね」


赤月は風呂場でのことを揶揄してか、楽しそうに笑う。こいつ絶対鬼畜だ──いや、そんなことより。


黒い妖精の言葉が本当なら。


『タイソウ──ゴリップクデス……』


やばいやばいやばい!


「母さん!」


立ち上がろうとして足に力が入らず、椅子から転げ落ちた。


黒妖精が慌てて飛んできてアワアワし、赤月がテーブルをまわり、手を伸ばした所で、ズシンと揺れた。


天井に穴が空く。


光が──外は夜だったのか、金色の粒達がキラキラと闇の中輝きながら渦を巻き、室内に降ってくる。


ふわりと光の中から姿を現した母さんが、長い髪をなびかせて俺に目を向ける。


細い真っ白なワンピースに白いガウン姿で、裸足だ。休んでいたのかもしれない。


俺の姿だけを見ている母さんの周りに、マントの連中が囲むように現れて、飛びかかる。


ひやりとしたが、光の粒が彼らを弾いた。彼らには見向きもせず、母さんがこっちに歩み寄り、たおやかな手を伸ばす。


邪魔するつもりか赤月が、俺の前に身体を割り込ませ対峙して。


床にいきなり赤い魔法陣が敷かれた。同じ模様が素早く五回展開し、魔法陣を包み込む。


「〝五重結界展開〟」


赤い半透明な半円級の何かが張られた時、赤月の口元が笑うのを見た。


まさか初めから、狙ってたのか!?


人をおとりにして──!?




さすがに、ムカついた。


拘束の腕輪を視る。


重厚な金属製で簡単には外せないだろうそれに、指をかけてみる。


できそうな気がして、試しに指先に力を込めたら、あっけなく粉々になった。


はっとして赤月が顔だけ振り向く。


視力だけでなく、変な腕力もついてたのか? 自分でもびっくりしながら、もう片方も外す。


途端に身体が軽くなり、ホッとして、今度はしっかりと立てた。


母さんと目が合う。


優しく穏やかに微笑まれ、大層ご立腹、の様子には見えなくて、赤月を避けて近くに行こうとして。


振動に気付いた。


ズズズ……と部屋が──いや違う、周りが。大地が細かく振動している──なんでだ?


地震が少しずつ大きくなる。あちこちから悲鳴が届く。床にヒビが走り亀裂が幾筋も生まれ、穴の真上にあった城が崩壊しはじめる。


赤い魔法陣はガラスが割れるように砕け散って、半透明な膜も消失。


災害規模の地震の発生源がどこなのか──俺はがく然と、微笑む母さんを見直した。


大地がおびえてる……!




「ストップ!! 母さん……ッ!」




と、止めねーとヤバイ!



崩壊しはじめた床を蹴って、母さんに抱きつくと細い腕が背中にまわり、抱き返されフワリと浮いた。


金色の渦に守るように包み込まれ、頭を撫でられ、恐る恐る目を開ければ泣きそうな表情をしている。


心配させたのだ。


胸にツキンと痛みが走ったが、地響きと悲鳴がますます大きくなっているのに気付いて怖くなる。


「母さん! もう止め」


「──なぜ?」


「な」


なんでって。


光の渦に包まれたまま、城の上空に留まっていた。巨大な亀裂が生まれ、城が飲み込まれ、逃げ惑う人々の悲鳴と、見上げてくるフードの人物達と。


城の周りの無数の屋敷まで被害が広がっていき、やがて首都を真っ二つに裂く大地の穴が──レテューがいる建物のすぐそばに。




「ダメだッ!!」




心底叫んだら、やっと止まった──ドクドクと全身の血が逆流する。


レテューが無事なのを、気配で探る。


地上の惨状が、見ている光景が信じられない。


裂かれた大地と、崩壊した首都。


どこからか、子供の鳴き声。


これは、現実なのか?


悪い夢でも、見せられているとしか……。





「帰りましょう?」




綺麗な金色の粒達が、俺の視界を覆っていった。








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