第39話
──翌日。
レテューに宿泊のお礼を言って、退散しようとしたが、できなかった。
帰るのかと聞かれ、まだと答えたら渋い顔をされ、じゃあどこに行くつもりだと聞かれ。
「……1人で静かにいられるところ」
素直に言ったのに、顔をしかめられた。
なんでだろう?
「あのな」
食堂で、終わった食器の後片付けを、使用人の女性が終わらせたところだった。
「街の外は危険なんだ。そんな格好でふらふらしてたら、獣に喰われるか、人さらいにあうぞ」
「……だい」
「大丈夫じゃねぇっての!」
逃げるくらいなら、できると思う。ひろがる感覚のせいで、周囲の気配がわかるようになったから。
でも、それを口にするのははばかられた。
ますます自分が普通じゃないと、教えるようなものだ。
とは言え、俺がひとりで出て行っても、レテューが追いかけてきそうだった。
距離的には、だいぶ遠くまで移動してしまったけれど、母さんなら今日中には俺を見つけるだろう。
窓の外の、あふれるばかりの朝の光に目を細める。
心配させて、怒られる。
でも……まだ、帰りたくない。
レテューはイラつきながらも、口を閉ざしている。俺はおずおずと、質問する事にした。
「──ここ、どこ?」
ヒク、と、レテューの口が引きつった。
はあっとため息をつかれる。
「西の国、首都ハイレル」
うん。わからない。
「地図だと──霊峰の右下あたりだ。上が皇国シダ。別名、湖の国だ」
「湖の国……」
シダ、はどっかで耳にしたような。
「お前──ユーキ、」
「ん」
「何をしたいんだ?」
「……」
何を、と聞かれると、困る。
具体的に、何かがしたいわけではないから。
昨夜の出来事を思い出すだけで、睨んできた男達の眼差しと、血まみれのヘビの女の子の姿が──。
山河があの黒い刀で、人を殺したことが。
頭の中でグルグルしはじめる。
血の気が引いていく。
こっちの世界では、当たり前のこと、なのか。
受け入れないと、いけないのか……?
心臓が痛くなる。
きっと、今のまま帰っても。
「……何があったのか、聞いてもいいか?」
レテューの声が一段低く響いた。片眉だけ器用にさげてぶっきらぼうに言う。
俺は迷った。
「──話したら、ひとりに」
「それは無理」
「……」
この世界で生きる彼に、意見を聞いたとして、それは参考になるのか。なるかもしれないし。
聞いてみよう。いまいち不安だけど……。
俺はポツポツと話しはじめる。
「両親と、オヤジの……部下と、四人で夏休みに、来てたんだ」
「うん」
潰された別荘を思い出す。
「……なんでか知らないけど、暗殺者? みたいなのに狙われてて」
「はあっ?」
「俺を刺したやつは、その、オヤジの部下が」
レテューが腕組みして、眉を寄せていく。
「……殺してた」
声がどうしようもなく、震える。
「………そうか……」
「アイツが、人を殺せるなんて、知らなかった」
向こうの世界では、普通に生活してたら、滅多にそんな事にはならない。
だから──俺に教える必要は、なかったんだろうとは、わかる。
「両親も、当たり前みたいな感じで──俺だけ……」
ショックを受けてる。
「その後も。昨日も──」
跪かされていた男達。何か、許されないことをしたんだろう。
もしかしたら、山河も顔見知りだったかもしれない。
それなのに。
「なのに──なにも、なかったように俺にかまうんだ」
どういう顔をしたらいい?
俺にまで、何もなかったように振舞えっていうのか。
わからない……アイツが何を考えてるのか。
「──…ユーキ」
ひそかな吐息をついて、レテューが席を立つ。
ぐるりとテーブルをまわって、うつむく俺のそばに。
ポン、と気安く頭に手が乗った。
「自分で考えて、答えを出すのもそりゃあ大事だがな……わからないなら、相手に聞くのが手っ取り早いぜ?」
「──…」
本人に直接。
「───そか…」
「ああ」
それは、思いつかなかった。
レテューの手が離れた。
「とにかく、ユーキがとんでもなく箱入りだってのは理解した。そうだなぁ……今日1日、オレについてくるか?」
「?」
ニヤリと、レテューは笑った。
「世間知らずの坊ちゃんには、ちとキツイかもしれねーが」
む。
「……レテュー何歳? 同じ歳くらいだろ」
「オレ? 18だぜ」
「ふたつしか違わない」
坊ちゃんじゃない、と言い返したが、ケラケラと可笑しそうに笑われただけだった。
その格好だと目立つから、と、灰色のフードつきマントを着せられた。
魔力も目立つから、と、右腕に石がたくさんついた腕輪もつけられた。
レテューが俺に気付いたのは、魔力を感じたからだという。
レテューの家を出る。
「いきなり、強い魔力が現われたから、何かと思ったぜ。しかも、かなり離れて調べたのに、弾かれたからなー」
時間的に朝の遅い時刻。
レテューは灰色のフードをかぶっている。
昨日通った大通りにたどり着き、曲がらずに真っ直ぐ進み、三階建ての頑丈な建物へ。
クリーム色の石で造られた建物は、何かの施設らしい。
昨日見た、ギルドに作りが似ている。
違うのは、規模だろうか。
広さも二倍あるし、カウンターも二倍ある。人は、少なく閑散としている。
レテューは真っ直ぐカウンターに向かった。
「おはようございま……あ、レテューさん」
「うっす」
受付のお姉さんが、レテューのフードをみて、顔をほころばせた。
机の引き出しから数枚、紙を取り出す。
「ちょうどいいのありますよー」
「どれ……」
3枚の紙に目を通して、うち1枚を返す。
「時間的に、ふたつ」
「了解しました。──そちらは?」
好奇心でいっぱいの眼で見上げられ、どう反応したものかと悩む。
「こいつは、見学」
「ほほぅ……黒髪黒目なんて、珍しいわね」
フードの中を覗くように見られ、つい視線を避けた。
周りから不思議そうな視線が集まる。じっとしてたら、すぐに興味深い注目は消えた。
「ただの見学。──これでいいか?」
何か書き込んだ用紙を受付の人に渡し、手早く腕輪をかかげる。
用紙がかすかに光った。
「大丈夫です。行ってらっしゃいー」
ヒラヒラと手を振り、送り出される。
すぐに建物を出て、建物横の脇道に入る。
右手を差し出され、反射的に自分の右手を乗っけると、苦笑された。
空気に押されたたらを踏む。
水と緑の匂い。
「首都の周囲にいくつか湖がある。ここはその内のひとつ」
ひんやりした空気が湿気を含み、気持ちいい。
なんとなくホッと息を吐くと、レテューは俺の後方を指差した。
「オレらギルド所属のヤツの仕事は、ひとつめが害獣駆除だ」
水の気配が強い方向──多分水場があるだろう方向に、大きな動物の気配がある。
「がいじゅう?」
怪獣じゃないよな。
気配は複数。群れのようだ。
「放置しとくと、人や畑に被害が出るから、追い払ったり討伐する」
言いながらレテューは気配を潜め、足音を消し進み出す。
ちょっと離れてついていく。
やがて木々がまばらになり、緑色の水面が見えてきた。
湖のほとりで、群れる何かの生き物──緑色のゴワゴワした皮膚、太ったワニのような──2メートルくらいの動物? がいた。
30匹くらいいる。
離れてた方が良さそうで、俺は木の影からレテューの後ろ姿を眼で追う。
レテューの足が速足になり、トンッと跳躍した時には、右手に何か握って振り上げていた。
跳躍が尋常じゃない、木々より高い。
しかも彼の手にあるのは。
「……カマ?」
レテューの身の丈と同じ大きさの、青い鎌が軽々と振られ──勢いよくふり抜かれる。
一撃。
群れが、たった一撃で全滅した。
死骸は青い炎に丸呑みされ、灰となり散っていく。
あまりに一瞬で、呆然とした。
フードをかぶっているから、レテューの口元しか見えないけれど、驚いている俺を振り返り、彼はニヤリとした。
「こいつらは雑食でな、たまに人間も襲って食う。だから人間にとっては危険な害獣なんだ」
彼はキョロリと周囲を探る。
「あっちにもいるな──待ってるか?」
わざわざついていって、見たいとは思わない。
うなずくと、レテューは身軽に走っていった。
うっすらと感じる、周囲の生き物達の気配。
10近くある同じような群れが、ひとつずつ消されていくのを、はっきりと感じてしまう。
とても気分が悪い。
彼にとっては、当たり前の仕事、なんだ……。
緑の水面に残る、灰の山が脳裏に焼き付く。
レテューが戻ってきたのは、40分くらい経ってからだった。
「次いくぞー、次」
右手を差し出される。
俺は一瞬、考えたけれど結局、右手を預けた。
再び、景色が切り替わる。
水の香りがする場所から、今度は街中に。
「いったん、昼飯だ」
「……」
ざわざわと、人の気配がたくさん。
レテューは人混みの中に入っていく。
確かに日が高くなり、あちこちの店や露店で、食事中の人が多い。
けど、食事できる気分じゃない。
俺がついてこないので、レテューが振り返った。
「ユーキ?」
黙って首を横に振る。レテューは戻ってきた。
「なんだ、食欲ないか? 飲み物くらい飲めるだろ?」
左手首をつかまれ、仕方なくついていく。
レテューは露店でパンみたいな物を買い、スープ屋みたいな店で、飲み物を2つ買った。
ひとつを手渡され、礼を言うと、道端の柵に寄りかかり食べ始める。
見知らぬ街は人であふれていた。地味な服装の人が多い。
建物も、灰色の石で作られて、屋根は木製のようだ。道は石畳。時おり荷馬車や、人を載せた馬車も通る。
俺がつい珍しく眺めてしまうのは、武装した人達。
金属製の重そうな鎧。軽そうな革の鎧。
腰にさした剣や、背中につるされた槍、肩に弓をかけていたり、様々な武器を見た。
当たり前のように武装する人々。
顔つきも──……。
本当に違う世界に、いるんだ。
実感してしまう。
──スープには、野菜らしき刻まれた物と、何かの肉片が入っていた。味付けはしょっぱい。
味覚や触感がどこか遠く、温かさだけが近かった。本当に食欲を感じない。変だ。
「……」
「どーした?」
ちょっと眉をひそめただけで、顔を覗き込まれる。何でもないと首を振った。
レテューも食べ終える。
「次だが、行く前に呼ばれた。ギルドに戻る」
「……ん」
また大量に、殺戮を見せられるのかと危惧していたが、レテューは大通りに戻った。
クリーム色の建物の中に入ると、さっきとは空気が変わっていた。嫌な風にピリピリしている。
受付の前に集まっていた人達が、レテューに気付いて場所を開けた。
「レテューさん! 」
「奥か?」
「とりあえず、会議室に!」
「わかった。──と、ごめんユーキ、ここで待ってろ」
受付の奥の通路に向かいながら、レテューは俺を気がかりそうに見た。
何かあったらしいのは肌で感じたから、もうトンズラしてもいいような気がした。
俺に構ってる場合じゃ、ないはずだ。
とりあえずうなずいておいて───。
「待ってろよ?」
「……」
アイスブルーの瞳が燃えるようにギラついて、睨まれてしまった。
なんでこんなに面倒見がいいんだろ。
見た目不良っぽいのに、しっかりしてる。
俺は、しぶしぶうなずいて、食堂のテーブルに腰掛けた。
くっくっと肩を揺らしながら、レテューは奥に入っていった。
1階に集まる人達の、ざわざわとした話し声。
身動きする度にこすれる鎧や武器の金属の音。
途切れ途切れに耳に入ってくる会話は、知らない単語が多い。
ただ、ぼうっと待つのも……いつ、終わるかわからないんじゃあ、暇すぎる。
俺はチラリと天井を見上げる。
──視える。
三階の、端の部屋。8人くらい集まって、大きなテーブルを囲んでいる様子が。
全員フードをかぶっている。手元の資料らしき数枚の用紙、1枚は地図。深刻そうだ。
体格からレテューを見つける。
「───…いる」
「見間違いではないのか?」
「村の住民数名とともに、巡回中の兵士が目撃したと報告が。昔から何度か証言もある……」
「夜だったのだろう?」
「煽られるほどの強風が吹いたそうだ。被害はないが──念の為見張りくらいは」
レテューの手元の用紙を見てみた。
読めた内容に戸惑う。
──北の山岳上空にて、黒いドラゴンのような影を目撃──
──の平原、枯渇地域が一晩で、豊かな森に変化──
視覚を1回戻す。
1階を見回したが、誰も俺に注意は向けてない。もう1度、視界を飛ばす。
「──何か知らないが、動きが活発だ。また何か企んでいる可能性がある」
「皇国はいつでも、何かしら企んでいるからな……」
「最近、新しい占い師を傍に置いているとか」
「謁見の場にも、同席させているとかいうヤツだな……」
「噂だが、不老不死の秘薬の情報を持っているとか」
「はっ、馬鹿らしい。古代神竜の件だろう? そんなおとぎ話を一国の王が──」
「お客さん」
いつの間にか、テーブル横に給仕の人がたっていた。
「何か注文しますか?」
「……メニューは」
「どうぞ」
冷静なフリを装い、木製の板に書かれたメニューに目を通す。
飲み物を注文すると、給仕さんは下がっていった。
ホッとしながらも考える。
レテューが戻ってきたら、家出はやめて帰るって言おう。
それとも、受付の人に伝言を頼むか。
給仕さんが飲み物を持ってきてくれた。支払いは、と聞いたら、登録者は無料だと腕輪を指さされた。
腕輪、便利だ。
帰るにしても、右手の腕輪とかフードマントを返さないとだ。
甘いフルーツジュースみたいなものを飲み終え、右手の腕輪を外す。
綺麗な金色の腕輪には綺麗な装飾があり、よく見るとオオカミのようなシルエットが彫られ、青い石がはめられていた。
レテューの個人的な物っぽい。
しげしげと観察する。
会議、まだかかるのかなと頬杖をついていると、三階から人が降りてくる気配がした。
バタバタと、複数で慌ただしく。
レテューと。
赤いマントの人物と、青いマントの人物。
「──…っ」
受付の奥から飛び出してきた彼らは、真っ直ぐに俺の所に。
「待てって!」
レテューが慌ててる。その場の全員が何事かと見てくる。当然俺も驚いて、左右を挟むように立った彼らを見上げた。
「───貴方は…人間か?」
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