第37話


ひかり。光……光……あふれてこぼれる、まばゆい光の氾濫。


あまりの熱に目を閉じる。それでも眩しすぎる。


耳元で、誰かが必死に呼ぶ。


俺の名前を。




名前──あれ?


なにか、大事な欠片がひとつ。俺の中から消えていった。


足元の地面に落ちて、鈴のような涼しい音をたてて、地面に吸い込まれた。


大地が生き物のように、ぶるりと震える。


キラキラの粒が欠片の落ちた箇所から生まれて、次々とあふれた。あふれ、粒同士が弾けあい、サアッと周囲に拡散する。


金色をまとった小さな芽が、むくり…と地面から顔を出し、小さな花が咲いた。


光を帯びた白い、五つの花弁の花。


一瞬で、白い花畑が辺りに広がる……!






乾いていた黒茶色の地面に、緑の絨毯が敷かれる。黒くやせていた木々が栄養を吸い込み、枝がしなり若葉が生い茂る。


雪を降らせていた分厚い雲が彼方に引いて、薄い青空が頭上に。


さわりと吹いた風には、自然の息吹が感じられて。


時間的には、ひと呼吸する間。


あんなに生気のなかった地上が、生まれたばかりのみずみずしい森に、姿を変えた。


いったい……なにが起きた?



左側面から俺の頭を抱える山河と、右側の腰にしがみついたミューレイと一緒に、俺はぽかんと辺りを見渡した。


気温まで上がったのか、空気が暖かく澄んでいる。


俺たちの頭上に浮かぶ黒い竜も、驚いているのが気配でわかった。


なにが起きたんだ? これ──。


『……』


緩慢に時が動く。


なにが起きたのか、まったくわかってない俺たちを見下ろし、黒い竜は、ノルは、ただ衝動的に踏み潰そうとし。


その竜の巨体が何かに襲いかかられ。


離れた場所に飛んでいった。


『…ッ、認メヌ……!』


『──』


遠くで派手な地響きと砂ぼこりと、光と闇色の明滅が。


声にならない感情の叫びみたいなものが二つ分、俺にも届いた。


かたくなな全否定の意思と、強くて真っ直ぐな光の意思。


感情なのに、伝わるのは視覚的ななにか。


み──視ちゃいけない気がして、なのに、距離があろうと障害物があろうと、見えすぎる俺の眼はしっかりと視覚してしまう。


竜が争っている。


漆黒の竜と、光の竜が。


迫力が、ありえない。現実とは思えない光景にただ唖然。


やっと山河が腕の力をゆるゆると抜いた。


逆にミューレイは、ガクガクと震えて冷や汗をかき、俺の腰にしがみついたまま。


ちょうど肘あたりにミューレイの獣耳があたって、生地越しでもぶるぶる震えてるのがもろに伝わる。


つい、その頭を撫でてしまう。


黒髪の感触が猫の時の毛並みと、ほぼ一緒だった。おおお……不思議だ。


ビクッと顔をあげたミューレイと目が合う。


あわあわと口を動かして、彼女はカーッと赤くなった。


でも嫌がらない。大人しく、撫でられている。


うん、ずっと撫でていられるなこれは……ズシンと遠くで地響きがしたが、見ない。見ないぞ。見たくない。








現実逃避をしている俺の耳に、音ではない声が、波紋みたいに飛んでくる。


『去レ。二度ト顔ヲダスナ』


『……ッ!』


感情、想い、胸が締め付けられるようなそれらが直接伝わってきて、他人の感情なのに、俺まで苦しい。


はやく、終わってほしい。








唐突に、争いが止まった。


荒れた風を残して、巨大な体躯が消える。


人の姿に戻り、しばし睨み合ったあと黒いシルエットの方が、逃げるように消えた。


気配もない。


それを見送って、金色のシルエットが踵を返す。


真っ直ぐこっちに木々の間を歩いて。


緑あふれる森に生まれ変わった空気を満喫するように、ゆっくりと。


左右の体温がそっと離れ、一瞬よろめく。


地面についた足が、立っている感覚がなぜかおぼつかない。


澄み切った静寂に意識が、さらわれそうで。


ふわりと抱きしめられる。


「……リュウキ……」


栗色だったはずの、ゆるく波打つ髪は光のような金髪に。俺をのぞき込む瞳は輝かしい宝石みたいな金色に。


元々たおやかな美人だった容姿はそのまま、まとう空気だけは格段に変わった。


「……無事でよかった……」


全身をキラキラと光り輝かせたまま、母さんがホッとして呟いた。


怒られる、となんとなくびくついてたので拍子抜けな気分だ。


勝手に地下街から出てきたし。


いや、それよりも。


母さんの全身からあふれる光の粒が……俺の周りにも渦を巻く。


と、いうより。俺の身体からも──?


なんだこれ。


熱くないけど、熱を感じる。腕を動かすとふあっとひろがる。意識すると、戻ってきた。


「すごい……魔力……」


離れて地面に座り込んでたミューレイが、目を見開いて凝視している。


魔力?


「……っ、エーリ! リューキ!」


遠くから、オヤジの呼ぶ声が響いた。心配そうな、焦った声。


「こっちです、リューイ様」


すかさず山河が応え、手を振る。


「いったい──なにがあった?」


すっかり生まれ変わった緑の景色を見回しながら、オヤジが尋ねるけれど。


「エリ──」


「……」


俺の腕を掴んだまま、母さんはオヤジを抱き寄せて、何故か悲しそうに笑った。


「もう──帰りましょう」



光の粒たちが、一斉に俺たちを包んだ。



(! まぶし……っ、?)




軽い浮遊感のあと、やっと目を開けたら、優しい光の中にいた。


さっきと違う森の中──木の種類が違う、新芽の色をしたみずみずしい、ひっそりと静かな森に。


ここは。


知ってる──夢で見た。


山河もミューレイも、驚いて辺りを見回す。


オヤジは、はあっと、仕方なさそうにため息をつき、母さんを抱き寄せる。


「無理をさせたな、悪かった」


「いいえ。──余計なのはノルよ。放っておいてくれれば…」


見つめ合う両親から慌てて視線を外し、俺は記憶を頼りに歩き出す。


確か。こっちに。


「リュウキ?」


山河とミューレイがついてくる。


木々の間のならされた道は、不思議と綺麗だ。小石も雑草も避けてある。


あきらかに、誰かが管理してる。


道を進むと、年期の入ったログハウスが現れた。


「!」


平屋の小さな家。


急いで駆け寄り、段差を上がって扉を引く。


十畳くらいのダイニングキッチンには、暖炉と、四人掛のテーブルと、小さな食器棚。


右手と奥に扉があり、俺は迷わず右手の扉を開ける。


六畳くらいの小さな部屋に、小さなベッドと小さなタンス。全部木製の手作りだ。


まるで今までずっと使われていたように、綺麗に掃除され、ホコリひとつない。


そろそろと、小さなベッドに手を触れた。


なんで今まで、すっかり忘れてたのか……。


俺はこの場所をよく、知ってる。


「リュウキ……」


扉に手をついたまま、山河は複雑そうに呼びかける。


なんだ? あんまり嬉しそうじゃない山河に俺は首を傾げる。


山河は放置して、部屋の隅にある小さなタンスを開けてみる。


生成りの装飾もない、小さな子供服がいくつか畳まれてあった。


懐かしさと不思議な満足感で、飽きずに部屋を眺めていると、ようやく両親も家に入ってきた。


「変わってないな……」


「ええ。──最初から、こちらに来るべきだったわね」


母さんの腰に腕を回したまま、オヤジも懐かしそうに家の中を眺める。


「ここ……俺の部屋だよな?」


「そうよ」


「なんで忘れてたんだろ……」


母さんも、オヤジも、ちょっと辛そうに俺を見て、それから山河を見た。


ログハウスの中に、微妙な沈黙がおりる。


両親の問うような視線に、しばらくして山河がうなずいた。


なんだ?


「お茶を、いれましょうか」


キッチンの椅子に座るよううながされた。


椅子は4つ。


ちょうど家族分……と、山河の分。


ミューレイが遠慮がちに、出口の横に立っている。


猫になってくれないかな?


思った瞬間、ミューレイが俺と目を合わせ、聞こえたようにうなずいた。するんと前に踏み出し、一瞬で黒猫に。


手をのばして、膝に誘導。


「ニャー」


撫でてホッとしていると、オヤジが物珍しそうに見ながら、椅子に座る。母さんはキッチンに立ち、お茶道具を並べはじめる……手元からひょいひょい出てくる。


うわ……手品か?


山河はしばらく迷っていたが、あきらめて座った。


俺の右隣の席が山河、その向かいがオヤジ。


座る場所も同じ──。


ただ、テーブルも椅子も低めに作られている。子供の高さに合わせられていたのか。


すぐにお湯が沸き、木製のカップが4つ、みんなの前に置かれた。母さんは、俺の向かいの席だ。


金色のお茶。……なんだろう。


爽やかな柑橘系の香りがふわりとたつ。みんな黙ってお茶を飲む。


苦くないハーブティーみたいだ。


全員が落ち着いたのを見計らい、母さんとオヤジが視線を交わす。最初に口を開いたのはオヤジだ。


「リュウキ、体調は大丈夫か?」


「ん」


「……せっかくの夏休みが潰れて、悪かった」


俺は首を横に振る。


そういえば夏休み中だったな……色々起きて忘れてた。


「ここなら安全だから、しばらくゆっくりしような」


ん?


「……お城? に帰んなくていいのか」


待ってるんじゃないか?


あれ、名前なんだっけ……えーと。


水色の女性と、青い将軍さんが頭に浮かんできた。


「一応、オウサマなんだろ? オヤジ」


確か、他国の使者サマが来てたような。


オヤジはあからさまに、面倒な顔になる。


「それも、そろそろな──シーシアに任せたいが」


そんな名前だったっけ。


「当初に比べたら格段に平和になったわね……ちょっと掃除も必要だけれども」


神妙に母さんが言う。


掃除、って。言葉通りか? 比喩か?


真剣な面持ちの両親にびくつく。


黒猫を撫でてなんとなく黙っていると、こんこん、と、ノックが。


外に通じる扉だ。


「?」


ひとの気配はない。扉越しに、とても不思議な気配がする。風がノックをしたような。


「……」


どうします、と山河が両親に目線で尋ね、両親はうなずいた。音もたてずに山河が席を立つ。


警戒しながら開けられた扉の向こうには、小さな小さな水色の──虫? じゃなかった。


「……水妖精?」


『……っ、……!』


10センチくらいの小さな、羽根の生えたモノが浮いていた。


水色の半透明な体躯、二対の水色の羽根。青い瞳は泣きそうにうるみ、俺たちを見て何かを必死に訴える。


害はなしと判断したのか山河が手のひらを差し出すと、ぴちゃん!とへたり込む。


何故かヘトヘトになっているようだ。


『…王ト…光ノ君……、急ギ、青都ヘゴキカンヲ……』


済んだ鈴の音のような声は、切羽詰っていた。


「シーシア?」


オヤジが呼びかける。


『ハ……イ』


「何があった?」


震えながら、水妖精は悲痛な叫びをあげた。


『モ……モウ無理デス──!』






夕陽に照らされる空の城は、白い建物が全てオレンジ色に染まっていた。


空中庭園の端っこに到着した俺たちのもとに、数人の兵士が駆け寄ってくる。


「陛下! 妃殿下──、お帰りなさいませ」


「おう」


オヤジはぞんざいに応え、さっさと城の中に歩いていく。


母さんは無言だ。ちょっと機嫌が悪い。のんびりできずに、結局慌ただしく戻るはめになったせいか。


兵士さんたちは、あとに続く俺を見たが、なんと声をかけていいのか迷ってるみたいだった。


俺も、どう反応していいかわからないから、彼らは無視した。


長い長い回廊を奥へ進む。ヒラヒラ揺れる布をどかして、オヤジはどこかの部屋に入っていった。


広い、くつろぎようのベンチや椅子が配置された、中庭みたいなスペース。


白い柱に緑の蔦が巻き付き、小さな花が咲いて、落ち着いた雰囲気。


俺たちは、いっせいに中央の東屋みたいなスペースをながめた。


二人の人間がいた。


水色の長い髪のおしとやかな女性の傍で、白装束の青年が熱心に語っている。


曖昧にほほえむシーシアさんと。彼女に熱心に話しかける男。


ん?


確かに雰囲気はぎこちないけど、これは。


「……しょう? ぜひとも貴方にも我が国の至宝をご覧いただきたい。何よりも芸術に贅を凝らした……」


「申し訳ないのですが、私はここから離れるわけには……っ、陛下!」


困惑しきっていたシーシアさんが、俺たちの姿を見た途端に安堵の表情に。


同席してた男は、おや、と口を閉ざす。


苦虫を噛み潰したような顔になり、オヤジは男に向き直る。


「ミレハか……使者ってのは」


知り合いかな? 知り合いか。


外見ごく普通の男は、うっすらと笑みを浮かべた。ゆっくりと立ち上がる。


「これはこれは、セトレア王、並びに妃殿下。御機嫌うるわしく。お邪魔しておりますよ」


「帰れ」


うお。オヤジ……。


使者の男は微苦笑。慣れた風に肩をすくめて、スタスタと出口に。こっちに歩いてくる。


じとりと睨みつけるオヤジに動じた様子もなく、道を空けた目の前を歩き。


黒猫を抱える俺の前で止まる。



平凡な容姿で威圧感もない、普通の青年に見える。けど、眼差しの奥の本意のようなものが、異質だった。


関わりたくない。


腕の中のミューレイが、黒猫のままシャーッと威嚇する。


何も言わずに、出ていく。


いなくなった途端、シーシアさんがパッと両手を辺りにかざす。


「浄化」


霧のようなものがさあっと周囲を満たし、キラキラ光りながら消える。


浄化って言葉通りか? だよな。……よっぽど嫌だったんだな……。悪いことしたな。


というか。


他国の使者って、邪険にしていいのか。オヤジも母さんも、気にしてなさそうだ。


もう1人、いたな。


つられて思い出した時、わりと近くから数人の足音が近づいてきた。


足音を聞いただけで、オヤジが嫌そうな顔をした。


ガチャガチャと金属音を鳴らせて姿を現したのは、赤い鎧姿の無骨な男と、その連れらしき男たち。


後ろから、困り顔でついてきたのは、青色の……。


「イム」


「! リューイ! 戻ってたのか!」


なんとか将軍だ。名前……。


「イムハイユ将軍」


こっそり山河がつぶやく。


赤い鎧の男がオヤジに挨拶しようとしたが、無視してオヤジは将軍と話しはじめる。


母さんも、少し離れた場所でシーシアさんと話し込みはじめてしまう。


完全に存在を無視された男は、いきなり腰の剣に手を。


伸ばしたが、すかさず山河がオヤジの前に移動している。


「むっ……! セトレア王! 我を見忘れたか!?」


仕方なさそうに、オヤジは顔を向ける。


「シュコクまでいったい、なんの用だ。だいたいなぜ、オレが戻ってるのを知ってる?」


「そ──それは……」


赤い鎧の使者はあきらかに動揺した。見た目通り、腕自慢な人物らしい。


オヤジにじっと見られただけで、男は居づらくなったのか、逃げるように背中を向けた。


「今回はこれで失礼する!」


「……」


ようやく、他国の使者がみんな帰った、のかな。


シーシアさんとイムハイユ将軍が、長いため息をついた。


「全く……厄介な隣国ばかりだな」


「ええ」


「シーシア、何もされてない?」


「大丈夫です……お呼び立てして、申し訳ございません」


シーシアさんはとてもすまなそうに謝罪したが、接待を頼んだのは。


「リューキ」


オヤジに呼ばれて顔をあげると、 ガシガシと頭を撫でられた。


「お前がそんな顔しなくていい。大人の問題だからな」


そう言われても。気にするし。


ため息をついて、山河の方に押された。


「リン、部屋に待機だ。ちょっと掃除が必要になった」


「はい」


ん? 掃除??


首をかしげるオレの腕を掴み、山河が歩き出す。心配になって大人たちの様子を見たが、みんな真面目な表情だった。


うん、なんか……深刻だ。


山河に連れられて、1度使ったことのある部屋に押し込まれた。慌ててメイドさん達が来たが、山河が全員追い返した。


「リューキは座ってて。……風呂でも入るか?」


飲み物も着替えも、山河が用意する。自宅にいる時と同じだけど。


風呂……。


「はいる」


「はい、着替え」


「ニャー」


黒猫が入り口の前で、警戒して鳴いた。


騎士の格好の男が3人、入ってこようとしていた。


「おい、リーン──ッ?」

「うわっ」

「!」


入り口の下の床から、ザアッと黒い針みたいなものが生え、危うく串刺しになりかけた彼らがたたらを踏む。


「なっ、なんだこれは!」


「無断でこの部屋に入るな。王命だ」


「なんだと!?」


山河は俺の背中を風呂場に押しやる。


「殿下の護衛に来たのだぞ!」


デンカ……オレか。


部屋に扉はなく、半透明のカーテンがかかってるだけだから、喋ってる声だけ届いた。


「頼んでないだろう。持ち場に戻れ」


「……っ、」


不穏な空気に、つい耳をそばだてていたが、しばらくして足音が遠ざかった。あきらめたようだ。


オレはホッとして風呂に入った。


時間はたぶん、夕暮れ時。


ゆるめに満たされた湯につかりながら、手足をのばしてホッとした。


天井がないために、湯気が空に吸い込まれていくのを眺め、遠いところでチカチカ瞬きはじめた星が増えていき。


ぼーっと温まっていると、声だけかけられた。


「リューキ、ちょっと出てくる。誰もいれるなよ?」


「……ん」


山河が部屋を出ていき、すぐに風呂から上がった。


入り口の黒い針は消えている。かわりに黒猫が門番みたいに、ちょこんとお座りしていた。


「……お前も風呂はいる?」


「……ニャー?」


あー……猫のままじゃ。


「戻れる?」


たずねると、ぶるりと黒猫は身震いしてふわっと飛び上がって、一瞬で人型に戻った。


ミューレイは目が合うとちょっと赤くなり、うつむいた。


「風呂、はいる?」


「っ、は、はははいっ、いえっ、そんな……」


うなずいて、首を横にブンブン振って、ちらりと風呂場を見て、恥ずかしそうに見上げられた。


お?


「り、リューキ様がお望みなら……入ってきます!」


う?


何故か真っ赤な顔のまま、ミューレイは風呂場に駆け込んでいった。


オレは部屋の窓側の長椅子に座り込み、夕暮れの空を眺める。


じっと見ていると、キラキラと光の粒が……。


星の光の欠片が夜風にまぎれ、地上まで降ってくる。光は冷たい熱を帯びていた。


見ていると、そのうちいくつかがこっちに。


「!」


開け放した窓から、ふんわり部屋に入り込んで、ぐるぐると天井付近を飛んでいる。白銀の粒を撒き散らしながら。


危険は感じなかったので眺めていると、光は溶けて消えてしまった。


??


なんだ?


消えたけど、存在は消えてない──じっと床を見ていると、光の粒がサラサラと集まり、形をとった。


不細工に作られた、子供が作ったみたいな小さな人形。


崩れそうになりながらも、懸命に手足を動かす。


小さな口がなにかを訴えて、でもよく聴き取れず、俺は手を伸ばした。


掌を上に向けて差し出すと、人形はちょっとためらってから、すがりつくように這い登った。


軽い。元が光だから、重さはないのか?


『……サマ……、星ノ子ガ、……助ケ』


助け? 誰を?


ぺちっと触れた小さな手が、床を指した。


下?


建物はほとんど、白い大理石みたいな材質で、床も固い石が幾何学模様に敷き詰められている。


城内を歩いた時に、地下があったか? 空中に浮いているのに──。


『コッチ……!』


光の人形が、床に潜った。


おい。


待てと呼び止めるまえに、小さな手に引っ張られ、身体が床にとぷんと沈む。


「り、リューキサマ、お風呂ありがとうございま──って、うぇっ!?」


タイミングよく? 風呂場から出てきたミューレイの腕をがっしりつかむ。


もちろん、床に沈むのを回避しようと。


けど、無駄だった。


ミューレイごと、身体が床に沈んでいった。


「うにゃあああぁぁぁ──!?」


「……ッ」


床幅は2メートルくらい。ゆっくり沈んだ身体は、下の空間に落ちる。


廊下のようで、通路が左右に伸びていた。


コッチコッチ、と光の人形は必死に走る。


「にゃ、にゃんですかアレっ!?」


「わからん」


「うにゃあ……ッ」


訳がわからないまま、通路を進むと下に降りる階段が見えた。


あれ。なんか見覚えが。


階段を降りる。


地下の暗い部屋──あそこだ。下半身がヘビみたいな女の子がいた、部屋。


なんでここに、と光の人形を目で追うと、台座の上に、誰かがいた。


長い髪が乱れて。


何かキラキラ反射するガラスみたいな欠片が散らばり。


ぐったりと横倒しになっていたのは、あの占い師みたいな。


「!!」


女の子が、虫の息で血まみれで倒れていた。


一瞬、呆然となる。


光の人形に必死に服を引かれ、我にかえってそばにしゃがみこんだ。


血の出てる箇所を目で探していると、ミューレイが青ざめながらも女の子の身体を仰向けにさせた。


胸だ。


青い血がドクドクと台座を伝い、命が身体からあふれこぼれ、抜けていく。


急いで傷口に両手を当てた。


治れ!


カッと金色の光が生まれる。


光の人形が感謝しながら、消えていく。


「リューキ様っ」


「……まわり」


胸の傷口がきれいにふさがり、まだ血が乾いてないことに気づく。


ミューレイがはっとして暗い室内を見渡す。


サッと何かが、階段を逃げていった。ミューレイが、タンッと地面を蹴り、追う。


争う物音のあと、うめき声が響いて、ミューレイがズルズルとソレを引っ張ってきた。


全身真っ黒な衣装の、忍者みたいな。


「両腕と両膝つぶしたので、大丈夫です」


猫眼になってるミューレイの瞳が暗闇で光ってた。戦闘したからか、キリッとなって。


オレは意識のない女の子を、見下ろした。


よく分からないけど、オヤジ達に知らせないと。


母さん達、どこだ?


思った途端に、目の前に光が集まった。


瞬きして、見直したら母さんが立っていた。


俺が口を開く前に、状況を把握したようだ。


「……上に」


いつも穏やかに、優しく笑みを浮かべている母さんの綺麗な顔に、いまは何も感情が浮かんでない。


金色が濃くなった瞳の奥で、俺の様子を確かめ、持ち上げた右手の人差し指で、頭上を示す。


温かなぬくもりにぐるっと包まれた。


「にゃっ?」


足下の固い床が消え、唐突に冷たい空気の中にさらされる。


もう、どうやって移動したのかわからないが、夕闇に支配された外の、外縁の中程に立っていた。


下半身ヘビの女の子も、ミューレイも謎の黒ずくめも一緒にだ。


母さんが辺りをうかがいながら俺の肘をつかみ、ちょっと離れた場所に目を向ける。


オヤジと、イム将軍の背中が近くに確認できて、その向こうに半円形に集まった人々と、真ん中に空いた空間と、膝をつかされた二人の人物と──。


黒い刀を手にした山河が、無表情にその男達を見下ろしていた。


静まりかえったその場の異様な空気に、息を呑む。


母さんに肘を掴まれているから、動けない。


何も説明がなくても、状況がわかってしまった。


───掃除って、こういう意味か。


オヤジの前に跪かされた男達。青ざめかすかに震えてうつむいていたが、ふとこっちの視線に気付き顔をあげる。


俺の姿を見た途端、その顔が歪んだ。


オヤジとイム将軍がスっと動き、男達の顔が見えなくなった。少し遅れて山河も数歩歩く。


「…っ」


「リュウキ」


母さんの呼びかけに引っ張られる。白くて綺麗な手のひらがまた、俺の両目を覆う。


急に強い風が目の前を吹き抜けた。


音や気配が、その数秒、隔離された。


「ごめんなさいね……リュウキ。あなたに、こんなものをみせて。──でも、これがこちらの世界なの」


耳元で囁かれる、母さんの声しか聞こえない。


「いつか、あなたに選んでもらう必要があるわ。あちらの世界で生きるか──こちらの世界で生きるのか」


心臓が痛い。見えなくとも、すぐ近くで生命が狩られる感触がした。


あの時の、みすぼらしい子供の時と同じだ。


心臓の鼓動がうるさい。


どのくらい時間が経ったのか、数秒か数分か……ようやく母さんの手が離れた時、集まった人々が建物に戻っていく所だった。


オヤジと山河とイム将軍が何か話していて、シーシアさんがふとこっちを見て、慌てたように走ってくる。


シーシアさんが駆け寄ったのは、ヘビの女の子だ。


ミューレイが、捕まえていた黒ずくめをシーシアさんに示し、さっきの出来事を説明する。


「殿下が助けて下さったのですね。ありがとうございます」


俺はただ、うつむいた。


誰かを助けた後で──目の前で別の誰かが殺されたのだ。それなのに。


礼を言われても、全く嬉しくない。


両親のことがわからなくなる──山河のことも。


母さんの手がゆるんだ隙に、俺はその場から離れた。


この場にいたくない。


「リュー…っ?」


フラリと後ろに下がりながら、つい目線をあげると、焦った顔の山河と視線がぶつかり──唐突に景色が消えた。









森の中。


踏みしめた地面は湿った土。


俺はひとりで、見知らぬ場所に立っていた。





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