第35話
階段の方で、ワッと歓声が上がった。
住人たちが一人ずつ上がってきたのだ。
知り合い同士が肩を叩きあい、涙を浮かべながら無事を感謝してる。
咳き込む人は数人だった。全員無事に火災から逃れたようだ。
オヤジの後から、山河が頭だけのぞかせ住人たちを見回し、俺を見つけて安堵の表情になり。
こっちに向かってきたから慌てて横を見た。
顔が、まともに見れない。
なにを考えたらいいんだ。
わからない。
どうしたらいい?
胸が苦しい。
「………リュウキ?」
優しく気づかう声に、返事ができない。
俺の様子が変だと気づいたのか、近くまできて沈黙する。山河の足元だけを見て、俺は拳を握りしめるしかできず。
だって。嘘だ。
……嘘だ。
あれは、本当にあったこと、なのか?
真っ黒に、闇に侵食されて。
森の中で、子供の時、みんなで一緒に暮らしてた……?
そこに、アイツが現れて。
闇魔力を放って。まだ、子供の山河が俺をかばった……。
「リュウキ? どうした、移動するぞ」
「!」
ワシワシと頭をかき回され、いつの間にかオヤジに背中を押され、歩かされる。
街の住人たちが、みんな移動しはじめていた。
オヤジの肩には、まだあの子供が担がれたままだ。
母さんと、ヒューレアさんたちが後に続き、山河は何も言わずにしんがりにつく。
アイツが──ノルが近くにいないことが何故か俺には分かった。
香炉から戻ってから、気配がない。
めいいっぱい動揺してる自覚があるのに、移動するたくさんの人の動きとか、街の様子とかを、つぶさに感じた。
足元をすり抜けた視界が、燃えて崩れる宿屋の様子も見せた。
数日間、世話になった建物が跡形もなく燃えつきる。
宿屋のおばあさんはどうしたかな、と心配になると、ハナン達と一緒に後ろの方からついて来ていた。
やがて、街の中心にある吹き抜けの通路に出た。
下の階からの煙がもうもうと、上の出入り口の穴に吸い込まれていく。
オヤジは子供を床にそっと下ろし、住人たちを振り返る。
「火を消せる奴は?」
「お、おう」
オジサン達が数人、手を上げた。
何をするのかと見守っていると、ポケットから石みたいな塊を取り出した。
「けど、範囲が広すぎて…」
「ああ、オレらの魔力じゃあ…」
穴に近寄り、下の階を見下ろして、なにやら集中しはじめる。
見守る住人たちの前で、オジサン達の手元が水色に輝き出した。それぞれが握った石から、冷気をまとった霧みたいなものが、ぶわりと生まれた。
冷たい空気の層が束になり、太い帯のようにつながって、下の階に流れていく。
「がんばれ!」
「確実に消せよっ」
住人たちが声をかけて、祈るように仲間を見守る──。
水? 水か。
オジサン達が握ってるのが、何かしらの道具だと分かった。
あれかな。
山を越える時に使ってた、石と似たような?
宿屋で、おばあさんがいとも気軽に使ってた光景を思い出す。
「水の魔力ですな、ただ、いささか弱い……」
また、いつの間にか横に浮いて、黒い妖精が勝手に喋る。
ていうか、コイツ、俺にしか見えてない……?
数人で協力して作った霧のような帯が、徐々に火を消しはじめる。
俺は足元の様子に意識を向ける。
硬い床を透過して、起きている光景がリアルに見える。
水の帯は1軒、1軒の民家を少しずつ少しずつ、鎮火させていく。
「……っ」
集中力と、時間のかかる作業だ。
オジサン達の顔色が、徐々に悪くなっていく。
みんなの不安そうな様子を見ながら、オヤジは母さんと視線で話してる。
ちょっとばかり難しそうに。
やがて、水の帯が薄れて消えていく。
まだ、半分も消火できてない。
心配した通り。
「……くっ」
魔法?を使ってたオジサン達は、その場にへたり込んだ。
見守ってた住人たちが、ああ、と絶望的な顔になる。
下から湧き出る煙は、ほとんど減ってなかった。
「オレらじゃムリだ……!」
「そんな……っ、なんとかしてくれっ、燃えちまう!」
どうするんだ、これ。
動揺する住人たちが、なにか方法がないかと慌てていると。
クスクスと、笑う声が響いた。
みんなの視線が、1人に集まる。
うつむいたまま、笑っていたのはあの、子供だ。
なんだか嫌な感じがした。
「──ざまあみろ!」
やせ細った小さな身体から、黒いもやがにじみ出て、近くにいた住人は後ずさった。
不快感と嫌悪感。
憎悪と苛立ち。
子供からにじみ出る感情に、まるで色がついたみたいに、黒い。
悪意に満ちた目で、周りの人間をねめつけて、立ち上がる。
サッと俺の前に山河が立ち、オヤジや母さんまで俺を隠した。大人3人に目の前に立たれ、視界から子供が見えなくなって。
「な……なんだこいつ?」
「うわあっ」
地面が揺れた。グラグラと。
地震!?
住人たちが悲鳴をあげる。よたついた俺は山河に腕をつかまれ、振り向いた母さんとオヤジにがばりとかばわれ。
次の瞬間、地下の天井が崩れた。
「!」
「──やめて!」
離れた場所で、叫びながらハナンが駆け寄るのを見た。
「私たちの町を壊さないで──っ!」
全身、真っ黒なモヤに包まれた子供に。
近寄ったら危ない!
「リン」
一言、鋭い目付きをしてオヤジが山河を呼び、一瞬で山河が動く。瞬きする間の、一呼吸。
叩きつける音。
崩れる天井から逃げ惑う住人達。ハナンを止めようと後を追った彼女の両親と、周りの人間たちの驚愕の表情。
ビシャリと、土ぼこりの舞う地面に血しぶきが飛び散る。
揺れが唐突におさまった。
母さんが俺の視界をふさごうと伸ばしてた手を、ゆるりと引いた。
口を抑えて、ハナンが恐怖いっぱいに目を見開いている。
ハナンだけじゃなく、周りの住人たちも、宿屋のおばあさんも──容赦なく子供を斬り殺した山河を。
手ぶらだったはず。
右手にいつの間にか細い黒い刀みたいな武器を握ってる。
誰も動けないでいると、オヤジがため息をつきながら血まみれの子供の様子を確かめ、吹き抜けの空間を覗き込んだ。
あんなにもくもくと上がってた煙が、消えていく。
火の勢いも。
「ケガは?」
山河がハナンに聞いている。
ハナンは震えながら首を横に振り、彼女の親に抱きしめられた。
「魔力の火を、つけたのでしょうな」
「……っ」
また、耳元に!
のけぞると黒い妖精は、ひらりと飛び上がり、動かない子供の周りを飛び回る。
「闇魔力にのまれてしまえば、暴走してこのようになる運命──」
火を、つけた?
それって、じゃあ火災が起きたのは……。
俺の疑問にファルブはうなずいた。
「子供の逆恨みとはいえ、イタズラでは済みますまい──」
住人たちの、宿屋でメシを食べてた顔見知りの数人が、オヤジに何か話しかけてる。
住人たちの何人かは、火がちゃんと消えたかを確認しに向かった。
残った人達は、呆然と立ち尽くすばかり。
右側にいたヒューレアさんが、そっと腰に何かを仕舞う。
ナイフだった。
山河が動かなかったら、彼女が?
気付いてしまって、俺は目をそらす。
あまり深く考えないようにしてた。
怖すぎるから。
自分たちの世界とは、違う所にいるのだ。
常識もきっと違う。
なんにも知らないのに、何が正しいのか、間違ってるのか、わからないから何も言えない。
両親が何も説明しないから、俺はよけいにたずねられない。
……聞けばいいのか。
けど。
ためらいもなく人を殺せるの? なんて。
口にするのも怖い。
ずっと地面を見ていると、ひょいとヒューレアさんが、顔を覗き込んできた。
「王子?」
反対側からミューレイも真似して覗き込んでくる。
2人ともについてる猫耳が、ピクピク動く。
顔が近い。どころかいつの間にか、脚に尻尾がからみ……。
「っ」
「宿屋なくなっちゃいましたね」
ニヤリと大人の笑みを浮かべながらヒューレアさんの尻尾が、太ももの内側をなぞりあげ。
「……っ」
反対側から腕にしがみついたミューレイのむ、胸が。
俺は助けを求めてつい、山河を探し。
灰色猫がてくてくと、視界を通ったので目で追った。
デブ猫は誰にも気づかれずに、山河のそばに──倒れている子供のそばに寄っていく。
なんだ?
デブ猫に気付いた山河がはっとして、何かを止めようとする。山河の手を逃れ、デブ猫は子供の胸元にガブリと噛みつき、そのまま横に逃げた。
え?
逃げながらデブ猫の姿が、ふやける。一回り大きくなり、さらにぐんと大きくなり、ついには大人よりも巨大な猫に。
「!」
「……獣貴族!?」
悲鳴をあげて住人たちが、町の奥に逃げた。
オヤジが母さんを背にかばい、山河が灰色巨大猫と対峙する。切り落としたはずの尻尾が元の長さに戻ってた。
「魔力を奪って復活しましたな」
ファルブが冷静に説明してくれた。
奪ってって……子供から?
分かってない俺に、小さな妖精はうなずく。
「あの子供は、闇の香炉から闇の魔力を取り込んでいたのです。魔力が霧散する前に、それを獣族が取り込んだ」
まずいですな、と他人事のように言う。
灰色の巨大な猫は、目をギラギラとさせながら俺たちを見た。
黒いモヤが……イヤな気配が全身を取り巻いて、いかにも凶悪な獣と化していた。
荒い息をつきながら、牙をのぞかせ殺気と狂気に染まって、怒りに満ちた唸り声をあげる。
空圧!? 威圧? でビリビリと空気が震える。
「きゃ……っ!」
「……っ!」
俺の左右でミューレイが後ろに倒れ、ヒューレアさんが、倒れないまでも片膝をついた。
両腕をつかまれたままの俺も、一歩下がって強風みたいなそれに耐えた。
なんだこれ、威圧感が半端ない──っ!
慌てたように、ファルブがひょいと俺の肩に隠れた。人を壁にするな、おい!
髪や服があおられても、ビクリともしなかったのは、オヤジと母さん、山河だけ。
住人たちが、全員とりあえずはその場から逃げたのを振り返り確かめ、オヤジ達も俺の方に下がる。
灰色猫がこちらに身体を向ける。その視界をふさぐように、山河がスタスタと横に移動、目線だけは獣に向けたまま。
「どうします?」
オヤジに聞いたのか?
と思ったら、答えたのは母さんだった。
「……上でやりなさい」
天井が、突然抜けた。
町の真ん中にある吹き抜けの天井だけが、ぽっかりと消える。
冷たい空気とちらつく雪が吹き込む穴に、下から急に吹いた豪風がゴウッと、逆巻く。
「グオオッ!?」
灰色猫の巨体が風にさらわれ、吹き飛んだ。
山河が後を追って、飛び上がり消える。
えっ!?
逆巻く強風はすぐに鎮まり、抜けていた天井が再び塞がる。
はじめから、穴なんてなかったみたいにぴたりと元に。
ええっ!?
どうなってるんだ。
ふぅとため息をつき、乱れた髪を手のひらで抑えて、びっくりしてる俺に母さんはにっこり笑った。
「先に帰ってましょうか」
「え」
あの凶暴な猫と山河だけ外に放り出して、放置? 放置なのか!
「まぁ、リンなら心配ない。それより、火事の後処理だが……」
オヤジまでそう言って、離れて様子をうかがっていた住人たちに向っていく。
「行きましょう、王子」
ヒューレアさんに背中を押され、ミューレイに片腕を引っ張られ、その場から移動させられてしまう。
振り返りながら上の様子が気になったけど、閉じた天井は静まり返ってなにも聞こえてこない。
あ──そっか。
視ればいい。
二人に引っ張られながら、視界だけ飛ばす。
地面をすり抜け暗い森が見えて、左右を探すと動くシルエットを発見。
巨大な獣の姿と、ほっそりした人間の姿と。
凍えそうな灰色の空の上からちらちらと、細かい雪が降っている。
落ち着きなく身体を揺らしながら黒い霧に包まれた獣は、威嚇の牙を剥き出し対峙する山河を睨みつけている。
どこかイライラと不安定に。
対して山河は、刀──黒い刀を下げたまま、ただ待っている。
おそらく、獣が飛びかかってくるのを。
辺りをよく見ると、踏み潰された草や、半ばから折れた木や、えぐれた地面が数箇所あった。
山河は見たところ無傷だ。
だが獣の方は、肩と腕と脚から血を流している。
落ち着きすぎる山河が優勢なのは、見て分かった。
ちら、と刀を見下ろして、小首を傾げる。
なにか、困った風に。
(?)
なんだろう。
よそ見をした山河に、猛然と獣が飛びかかる。鋭い爪を5センチくらいで避けて、刀をふるう。
獣の左腕が飛んだ。
けど、黒い霧がすぐに新しい腕を形成。
痛みはあるのか獣の顔が激しくゆがむものの、それだけだ。
決定的なダメージを与えられない。
……まさか。
あの刀じゃ、いくら攻撃しても、効かない?
獣と刀を見比べて、理解する。
闇、だからだ。
同じ属性だから、効力がほとんど。
うーん、と言いたげに悩む山河。
手伝わないと。
はっとして視界を戻すと、何人か戻ってきた住人達と、オヤジ達で何やら相談していた。
輪から外れてぽつんと立つ俺に、誰も注意を向けてない。
そろりと後ずさる。
「王子さま?」
う。
ミューレイがピクンと猫耳を反応させ、振り向く。
ヒューレアさんは、母さんと話し込んでいる。
「……」
「??」
近くまでいかないと。せめて、姿を直接見ないと。
何が必要かわからない気がする。
口の前に人差し指を当てて、しーっとジェスチャーしながら少しずつ離れる。
キョトンとしたまま、ミューレイはついてくる。
吹き抜けの近くまで来て、上にあがる階段を探した。天井は塞がれているが、階段はそのままだ。良かった。
こっそり階段を急いであがる。
不思議そうな表情のまま、つられたようにミューレイもついてくる。
壁に設置された灯りの数は少なく、薄暗くて俺たちの姿を隠してくれる……上がりきると、細い出口に出た。
外は、うす曇り。
身を切るような冷たい風と、凍えた空気。
けれど、久しぶりに外気に触れて開放感も感じる。
どこだろう、と探すまでもなく、右後方から物音が届いた。
数十メートル先だ。重くて巨大なシルエットが、周りの木々を犠牲にして地面を削る。
パッとミューレイが、俺の前に立つ。
怒りと焦りの混じった唸り声をあげて灰色巨大猫はよろりと身を起こし、振り返る。
さっきまで視えていた視界より、現実に見る方が鮮明だ。
枯れ木の間を特に慌てる様子もなく、スタスタと山河が歩いてくる。右手に刀がなければ、単なる散策に見えたかもしれない。
刀の幅が、広がっていた。細い刀から、山賊が持ってるような、幅広い刀身に。
自由に形状を変えられるのか。
「グウ……っ」
灰色猫が全身で息をしてる。毛並みが土で汚れまくっていた。あきらかに、体力を消耗してる。
何度も切り伏せられたのだろう。
刀の形を変えただけで、ダメージを与えられたのか?
何か、手伝わなきゃと心配したのに。
来ただけ無駄だったかな、と肩の力が抜けた時。
スン、と鼻をひくつかせた灰色猫がぐるんと首を回した。
こっちに。
え。
気づかれた?
灰色猫が地面を蹴る。一蹴りで、目の前に降り立った。ミューレイがすかさず飛びかかって行ったが、読まれていたのかあっさりかわされる。
「!」
「リュ……ッ」
慌てたように山河が走る。
猫というより、大型のクマのようにデカい。鋭い爪の生えた腕が俺を捕まえにきた。
太い毛むくじゃらの腕が首に回され、身動きが取れない。
毛並みは血と雪で濡れたせいかゴワゴワだ。
「……」
攻撃ではなく、捕獲された俺は、心配顔の山河と目を合わせる。
「王子さまっ」
慌てたように身をひるがえすミューレイも、灰色猫に睨まれ動きを止める。
しまった。
手伝いにきたつもりが、人質になっている。
「動くなっ!」
俺を人質にしたまま、灰色猫は下がる。
周りに広がる暗い森の中に。
闇の中に溶け込むために。
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