第34話


存在が闇そのものの、巨大で冷たい龍がいた。


黒い霧が、漆黒の粒が集まって、徐々に輪郭が形作られていく。


星の煌めきを宿した、深い底知れない瞳がひたと、俺を見下ろしている。


今度は見覚えがあった。


別荘をつぶしたヤツだ。


子供の俺を襲おうとしたヤツでもあり、母さんとオヤジの知人でもある──アイツだ。


存在そのものが闇の。


闇の龍。




黒い瞳に時々、銀色の粒が弾けた。


無言で威圧してくる相手に、腕の中の灰色猫が怯える。


つい、その頭を撫でてしまう。


不思議と俺は、落ち着いていた。


目で見える以上に、この闇の空間がどういうものなのか、肌で感じていたからだ。


あの、空に浮かぶ城で、眺めた夜空と同じ──ひろくて果てしない、夜そのもの。


だから、こわがる必要がない。


空気が震える。


きらきらと輝く粒が集まってきて、灰色猫がやっと頭を上げた。


辛いことから目をそむけて、ずっと夢を見ていられれば、楽だろうけれど。


夜の眠りの世界は、あくまで闇の中にある。


現実の世界じゃない──。


「…戻る?」


尋ねると、猫がかすかにうなずいた。


目の前がまぶしくなり、次の瞬間には闇の世界は消えていた。


元のハナンの部屋に立っていて、入り口にみんなが集まっている。


みんながみんな心配そうな表情で、俺はさすがに反省した。


「リューキ!」


母さんとオヤジに同時に呼ばれ、同時に抱きつかれる。


灰色猫が慌てて逃げた。


「ハナンは?」


部屋の扉に寄りかかる山河に聞く。ファルブはちゃんと、連れて帰ってきたのか。


「台所の方に…」


苦笑して答える山河に、ほっとしていると、ガシガシと頭をオヤジに撫でられた。


痛い。


「無茶するなっ、まったく……!」


痛い痛い。


「本当に……心配させて」


母さんの、俺の頬を撫でる手が震えてた。




ハナンの部屋から出て、台所にいくと、ハナンも両親に囲まれていた。


目があっても、恥ずかしそうに視線をそらせるだけで、とくにおかしいところはなさそうだ。


ぞろぞろと小さな家から出れば、集まっていた近所の人達がいっせいに取り囲む。


「ハナンが見つかったって!?」

「無事だったのか」

「いったいなにが──」


オヤジが両手をあげて、みんなを落ち着かせる。


母さんと山河に背中を押され、俺はその場から遠ざけられた。


オヤジだけ残して宿屋に戻ると、食堂に宿屋のおばあさんが待っていた。


「──なにが起きたのか、教えてもらえませんかね」


俺と母さんを交互に見て、難しい顔で聞いてくる。


母さんは、まだ心配げに俺の様子を見つめているし、山河もミューレイもヒューレアさんも、何が起きたのかわからない顔だ。


それはそうだ。


灰色猫も、ちゃんと宿屋までついてきていた。


この場にいないのは、オヤジとアイツ──。


「ファルブ?」


「──お呼びですか」


空中から、パッと黒い塊が現れる。全員の視線を浴びて、その場で器用におじぎした。


おばあさんが目を細めて眺め、なにか察したようにうなずいた。


「闇の精霊が関わっているんですかね? それなら確かに、ハナンが消えたのも…」


「いや、こいつじゃなくて……たぶん、その猫が」


「猫?」


あ、いまは猫だけど。

猫じゃないって、どう説明しよう。


灰色猫は、勇敢にも逃げ出さない。


観念したように、もしくは見定めるように、俺を見上げている。


山河が、猫と俺の間に移動した。


……て、おい、……猫になにかされるとでも?


「なにか、わかったのか」


不機嫌になりかけたが、質問されて思考を戻す。


香炉に取り込まれたから、分かったことがある。


「香炉を盗んだ盗賊?から、さらにあの子供が盗んだんだとおもう……」


この街にきた初日に、俺がやられたみたいに。


灰色猫をみると、フンっと鼻息を鳴らした。


「子供?」


おばあさん以外は合点がいったように、ああとうなずく。


ファルブに、ハナンと一緒に戻すよう頼んだけど、あの子供の姿はハナンの家の近くになかった。


どこだろう。


「香炉、て、なんですかね?」


おばあさんはさらに訝しげだ。それはそうだ。話していいのか?

山河をみると首を横に振られた。


「それはあとで、オヤジたちに…」


うん、オヤジに任せよう。どこまで話していいのか、俺には不明だ。


母さんはしばらく俺の顔を見つめていたが、ふと辺りを気にした。


俺も気づく。


なんか、におう…煙?


ハッ、とみんなが扉をみた。


煙が隙間から。


何かが燃えてる、焦げ臭い匂いと灰色の煙…。


まさか?


みんなで慌てて宿屋の外に出ると、もうもうと灰色の煙が、路上にあふれていた。


パチパチと火の手までが見える──火事!?


なんで、いきなり!?


宿屋の隣の家が、半分以上火の手に覆われていた。向かい側の家も、その隣も。


慌てて視線をあたり一帯にひろげる。


間違いない、火事だ。


しかも、宿屋の周囲全部!


「な── 」


みんな顔色を変えた。地下で火災なんて、最悪だ。


開けた扉からさあっと煙が入り込み、宿屋の中まで充満した。


「リュウキ!」


山河が俺を母さんに押しやり、母さんも俺をしっかりとつかまえ、二人だけで何やら目線で会話する。


猫耳二人は逆に、外に飛び出していく。おばあさんは青ざめて、ショックで棒立ち。


どうするんだ、火災なんて、なんでいきなり───!


オヤジが、まだ下の階に残ってるし、街の人達だってたくさん──!


「上に避難しましょう」


母さんが、呆然としてるおばあさんに呼びかける。かろうじてうなずき、おばあさんは急いで奥の部屋に走った。


数秒で出てきた両手に、荷物を抱えて先に外に飛び出していく。


「リュウキ」


うながされて、俺も外に出た。


山河が先導して、火と煙のあふれる中を突き進む。


不思議と、俺たちが進む先だけ煙がわかれ、火が勢いを落とした。左右では木造の家がゴウゴウと燃えているのに……何故か。


山河が近づくと。


「こっちです!」


ミューレイとヒューレアさんが、上につながる階段で待っていた。


左右の建物が少し壊され、あらかじめ路を確保してくれたようだ。


「オヤジは!?」


下に降りる階段は、別の路地だ。


上の階をのぞいた山河が、先に俺をのぼらせる。


せかされて階段を上がりきると、上の階は火事になってなかった。


「迎えにいってくるから、先に外へ」


えっ。


山河だけ、煙の中に戻っていく。


ウソだろ。


止める暇もなく、山河は煙の中に戻っていった。追いかけようにも、階段はひとりがやっと通れるせまさで、母さんがいて降りられない。


「っ…」


「リュウキ、上に」


母さんの手に押され、ヒューレアさんに引っ張られ、どんどん先に行かされる。


「母さん!?」


「大丈夫」


いつでもどんな場面でも、冷静な瞳がうっすらと金色に輝いた。


それだけで俺は黙らされる。


階段からもくもくと流れてくる煙に、時おり火の粉が舞った。


少し離れた場所でどのくらい待っただろう……ただならぬ様子に気づいて、この階の住人が数人集まってきた。


「なんだ、この煙は──」


「まさか、火事!?」


みんな、顔色を変える。


慌てて引き返すひとや、集まって相談するひとで、あっという間に火災が起きたことが広がっていく。


「下の連中は──」


「どうする? 誰か火を消せんのか!」


騒然とした空気に、気が気じゃなくて。


母さんやヒューレアさんが妙に落ち着いてるのが、なんでかまったくわからなくて、不安そうなミューレイと目があった時。


視界が彼女をすり抜けた。


周りの人達には、黒い妖精?の姿は見えてないらしい──母さんもずっと階段を見つめている。


闇魔力って、さっきの香炉みたいな?


声に出してないのに、ファルブはうなずいた。


「命を与え再生する光とは真逆の、眠らせて、消滅させるチカラですな……炎など簡単に消せましょう」


チカラ……だれの?


疑問に思いながらも、ある場面が脳裏に浮かぶ。


夢の中で、山河が盗賊たちの居場所に単身乗り込んだ時のことが。


不自然なほど、バタバタと倒れた盗賊たち。


あれも……。


「然り。吾輩が想像するに、かの者が殿下を闇御前からかばった折に──」


小さな青い瞳が、気づかうように山河に向けられた。


「死と引き換えに、強力すぎるほどの闇魔力を与えられた様子」




な、に。


いま、



こいつなんて言った?






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