第33話
黒い肌と髪は周囲の闇に溶け込んで、青い瞳だけが光っている。
くるりとこっちに向き直り、大袈裟にお辞儀する。
「殿下、お忘れか。それがしは黒焔の青焔ファルブでございます。闇の精霊」
なんでここにこいつが。
「長年石に閉じ込められていたので、やすめる場所を探したところ、ここを見つけた次第。驚かせたなら申し訳ない」
声が、きんきん声じゃない。
ちゃんと聞こえる……?
得たり、というようにうなずく。
「ここは真の闇の領域ですからの」
無音の空間に、冷たい空気が満ちている。
何も見えないのに、周囲になにかがうずまいているのがわかる。
あるのに触れない……黒い霧が流れてる。
俺、なんでここに。
ハナンの部屋にいたよな?
疑問に思うと、ファルブがくるりと一回転した。
「殿下、あの香炉はいわば……闇の魔力を凝縮してカタチにしとどめたモノ。触れたらこっちに吸い込まれてしまいましょう」
吸い込まれ?
じゃあ、ここまさか。
「早めに戻られたほうがよろしいかと」
出口を知っているみたいに、ファルブは上に飛んでいく。
「ちょ」
待て待て。
俺に羽根はないぞ。
追いかけようと一歩踏み出すと、足元に何もなかった。
「!」
後ろ向きに落ちる。
思わず目を閉じて、落下の衝撃を待ったが、なにも起きない。
と、唐突に左方向からざわめきが響いて届いた。
そっちを見た瞬間、暗闇が消えて全く違う場所にいた。
大広間。
着飾った人が……獣人もたくさんいて、なにやら食べたり飲んだりしている。
白茶色の壁や天井。
薄着の人々。
大きな窓から茶色い街並みが見える。
がしゃん!と急に大きな音がした。
広間の奥の、一番立派な身なりをした──赤い毛皮の獣人が、射るような目で、灰色の獣人をにらんでいる。
睨まれ、うなだれているのは──あれ?
見覚えがある。
灰色の獣人の、盗賊?のあいつだ。いまより若い……少しサイズが小さい。
「……頭」
「出ていけと言ったはずだ。ガロウ」
ガロウが名前なのか。
ぶるぶると震えて、何か必死にうったえている。
「……! 頭!」
赤毛の獣族は、あごをしゃくり、出口を示す。
広場の全員が、あざけわらう。
その場に耐えられなくなったように、ガロウはとぼとぼと出ていく。
と、唐突に景色が変わった。
今度はみずぼらしい民家。
ほとんど何もない、古い小さな家に、小さなベッドがあった。
旅立ちの格好をしたガロウが、床に座り込み、ベッドに眠る誰かをぼうぜんと眺めている……眠る?
いや、ちがう──息をしてない。
灰色の毛皮の、年老いた女性の獣族。
「……すまん……おふくろ……俺が弱いばかりに、一族から見放された……すまん…っ」
大切な相手を失った悲しみ。
自分のふがいなさ。
押し潰されるほどの孤独。
前のめりになって声もなく、泣き出したガロウはそのまま、でぶ猫の姿になった。
景色が消える。
じっと丸まって動かないでぶ猫を、俺はどうしたものかと見つめた。
そっとしておいた方がいいのか。
何か声をかけるべきなのか。
でも、なんて言えばいい?
こいつのことをほとんど知らないのに。
さっき見た場面は、過去のことなんだろう。
流れ者になって、昔よりは全然たくましくなっただろうに、心の奥にあるのは過去のことなのか……。
悩んでいる間に、でぶ猫の灰色の毛皮がちょっとずつ、かげっていくのを見た。
じわりじわりと……辺りの闇と同じ色に……。
もしかしなくとも、ヤバイ感じがした。
俺は急いで近づき、でぶ猫を抱え上げた。
「……」
おっくうそうに、チラリと見ただけで、目を閉ざしてしまう。
「おい!」
持ち上げたら、ちょっとだけ闇が引いた。
「ここで寝たらヤバイぞ」
早く、ここから出ないと。
でも、どうやって?
回りを見回す。
闇の世界に、濃い部分とうすい部分があって、果てしなく広いということしか……。
まばたきした。
周囲を探ろうと意識をむけると、ほんの少し闇が引く。
意識して、視界をさらに広範囲にひろげてみたが──どこまでもどこまでも、闇の空間は果てがない。
早く、ハナンを探して、出ないと。
彼女はどこだろう。
ぐるりと辺りを探すと。
また唐突に景色が変わった。
今度はやたらときらびやかな、豪華な室内。
食卓の席に、男女が座り食事をして──。
「ハナン……!」
きらびやかな衣装に身を包み、座っているのは探していたハナンだ。
その隣に座るのは、……?
見覚えのある顔だけど、誰だ?
俺は首をひねった。
見たことあるのに、誰だかわからない。
若い青年は、豪華な衣服を身につけ、隣に座るハナンに話しかけ、笑いかけている。
一方、ハナンは無表情で、ぼんやりと座っているだけだ。
部屋には二人だけ。
なんだこれ。
さっき見た、ガロウの過去の記録とはあきらかに違う、違和感。
作り物みたいな……?
「さよう! これはあのモノの願望、ただの夢」
すぐ耳元で。
どこかに消えたはずのファルブが、羽根をハタハタさせて飛んでいた。
俺は反射的にのけぞる。
「闇魔力の力で、あのモノは夢を見ておりますな……あの娘は無理やり、夢に引きずり込まれた」
「……あのモノ?」
って、誰だ。
ファルブが答えを口にする前に、青年が俺たちに気づいた。
いぶかしげな表情が、次の瞬間、憎悪に変わった。
は?
俺を知ってる?
「お前……! 何しにきた! ハナンを取り返しにきやがったのか!」
ええと。
俺がまだ考え中なのに、青年は立ち上がり、どこから出したのか、手に剣を握りしめ。
「!」
殺意もあらわに切りかかってくる相手を、俺は誰だか思い出せない。
「若君、お気をつけて! 夢とはいえ……怪我すれば痛いですぞ!」
はあ!?
ファルブのよくわからない忠告に、混乱しそうになる。
ここは、どうやら現実ではなく、闇の空間とかで。
過去にあった出来事が見られて。
ファルブは闇の空間だとまともに話せて。
ハナンを見つけたけど、この青年が誰だかわからなくて。
剣さばきというのか、獣族のガロウにくらべたら、速さも威力も弱かった。
ただがむしゃらに切りかかってくるだけだから、避けていればいい。
しかも、いまの俺にはぜんぶ見える。
次にどう動くか、相手の焦りも。
俺は、まだ食卓に座ったままの、ハナンの方を確認した。
目の前で争って?いるのに、なんの反応もない、無表情の彼女を。
「くっそう! お前さえ現れなきゃ──ハナンは……!」
夢?
ファルブは、夢って言ったか?
ここは──そっか。
香炉。
地下の街。
出入りするようになったという盗賊たち。
この街に来てすぐ、俺の──。
「……香炉を盗んだの、お前か……!」
「!?」
青年が、はっとした。
輪郭がぼやけて、あっという間に子供になった。
見覚えがあるのに、わからなかったはずだ。
あの時、街で盗みをした少年だった。
夢が止まる。
豪華な衣服も食卓も、闇に溶けて消えた。
ハナンががくんと座り込み、俺は急いで彼女に駆け寄る。
「ハナン?」
「大丈夫です。気を失っておる」
ハタハタと上から降りてきたファルブが、ハナンを見て言い、チラリとみすぼらしい少年を眺めた。
「子供の見る夢とは……ささやかですな。すぐに戻れば対して、影響は残りますまい」
「……」
名前すら知らない、盗みの少年はぼうぜんと立っている。
やがて視界に俺が映ったのか、抱きかかえられているハナンを見て……嫉妬の表情を浮かべた。
こいつ。
そっか。
「若君、今度こそ戻りませんと」
ファルブが、少しせかした。
俺はうなずき、離れたとこに丸まっている灰色猫と、敵対心むきだしの少年を見比べた。
さてと。
「ハナンとあいつ、連れていけるか」
「……御意」
ファルブは理由もきかず、その場で一回転。
腕の中のハナンがフッと消えた。
何か言いかけた少年も同じく。
俺は、灰色猫に歩み寄り、抱き抱え。
後ろを振り仰いだ。
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