第30話
外が夜の時間、地下の町も少し、街灯の明かりがしぼられる。
空気が動いて、誰かが部屋を出ていくのを感じた。
音をまったくたてずに、山河が宿屋から出ていく。正面ではなく裏口から……共同風呂場の横だ。
裏口の外は狭い庭があって、物置き場になっている。
庭の外は狭い路地だ。人が一人、やっと通れるほどの。
迷う素振りなく歩いていく山河は、どんどん町の地下に降りていく。
どこにいくんだろう。
半分眠った無意識の視界で、俺はその後についていく。
やがてごちゃごちゃした廃屋の奥の奥、廃墟同然の民家の前でやっと止まった。
俺はボンヤリと把握する。
ここって。
崩れかけた民家の扉の左右に、捨てられた家具や木材が積まれていて、山河が近づくと何かがバッと飛び掛かってきた。
あぶな──。
けれど、山河は無造作に片手を振る。
飛び掛かってきたのは、ボロ布をかぶった男で、急に勢いをなくして地面に崩れてしまった。
灯りがほとんどない、暗がりの中、男の身体を黒い何かが包んでる──なんだ?
扉を開けようとして、山河はさっと身を引く。急に開いた扉から、三人ほど飛び出してきた。
手にそれぞれ武器を握って。
危ない!
──身をかたくした俺が見たのは、さっきと同じように、ドサドサと倒れる男達と、気にもせず扉をくぐって中に進んでしまう山河だった。
ひやひやして見てるのに、山河はいつもの顔つきだ。
散歩でもしてるみたいな。
「……何もんだ!」
奥からぞろぞろと人が出てくる。
こんなにいたのか。
この町に住み着いているっていう、流れ者連中。
目付きや顔つきが、いかめしい男ばかりで、十人以上はいる。
全員が武器を向けてくるのに、山河はまったく気にもせず、部屋をぐるりと見回す。
奥に、ドアのない部屋がある。
「……おい!」
「なんだこいつ! ……っ?」
ふたたび、ばたばたと男達は倒れた。転がった男達は黒い影に包まれて意識を失ってる……部屋が暗いせいじゃない。
じわりじわりと影に侵食されて。
動けなくなっていってる。
(……)
山河は奥の部屋に入った。
男が一人いた。
不動の姿勢で、幅太い剣を床に刺し、山河と目があうと面白そうな表情を浮かべた。
見た顔だ。
流れ者の中で、一番やっかいそうな強そうな奴。
体つきも大きく骨も太くたくましそうで、褐色の肌と灰色のざんばら髪に、赤いバンダナを巻いてる。
「物騒だなぁ、兄ちゃん」
山河は、まず部屋を見回した。
雑然と積まれたがらくた、壊れかけのベッド。
ほこりをかぶった家具と、割れたままの窓。
「……ないか」
ただ何かを確認した山河のつぶやきに、ぴくりと男の右頬がひきつった。
ないって……。
俺も部屋を見回す。
そうか。例の、危険な香炉?
肩をすくめ、くるりと山河は背中を向ける。
あまりにも無防備に。
反射的に動きかけた男が、剣を振りかぶろうとして無理矢理こらえた。山河がわざと隙をつくったのは、なんでだろう。
かかってこない男に顔だけ向けて。
「リュウキを狙えといったのは、白の方か」
「……!」
表情をかためた男が動揺する。
山河はため息をつく。
「暗殺仕事にむいてないな」
確かに、いちいち反応がバレてる。
というか。
俺を狙うって、なに。
白の方?
「……っの」
一蹴りで、男は山河に飛び掛かった。
身構えすらしない山河に、鈍い輝きが振り下ろされる。
思わず、手をのばす。
そこで視界が真っ暗に塗り潰された。
慌てて目を開ければ。
「……っ」
変わらない宿屋の一室。
音もしない、しんと静まり返った夜の……まだ夜中?
ぼんやりと明るい部屋をいくら見回しても、山河の姿はない。
心臓の音だけ、ドクドクと耳に響いている。黒猫は俺の胸元で、スースー寝息をたてている。
ベッドから起き出し、俺は上着を着込んだ。
ギシギシ鳴る階段にひやひやしながら一階まで降りて、宿屋の裏口にまわる。扉をあけると足元でにゃーと声がして、黒猫がするりと先に出ていった。
後を追う。
冷え込んでかび臭い匂いがする、夜の地下の町はいっそう廃墟のおもむきが漂う。
誰もいないんじゃないかと思うほど、しんとした路地を進んでいき、階段を降りて、さらに進んで。
──音が。
聞こえた方に引き返す。
空気を割るような激しい音は、路地の奥から聞こえた。
慌てて走っていって、俺が見たのは山河と、山河に攻撃し続ける巨躯だった。
ヒトの二倍の大きさの全身灰色の、巨大な太った猫。
ちがう。なんだっけ。
たしか……獣、貴族?
目を丸くして眺めてしまうが、足元の黒猫は怖がるように毛を逆立てた。
巨大な太った猫が剣を振り回す様は、すごかった。相手が大きくて、見た目より動きが速く、しかも獣の獰猛さでかかってくるので、山河は避けるので精一杯に見えた。
ど、どうしたら。
攻撃を避けながら、山河はどんどん路地を下がっていく。道幅が広くなり、抜けた先に広場があった。
近づけないまま俺は、はらはらと見てるしかできない。
灰色の猫がふるまう剣が、硬い路上にいくつも亀裂を刻む。
場所を移動しながら、山河は考えてる風だった。
時々、剣の切っ先が髪を、衣服をかする。
「騎士サマ! よけるだけかい!?」
獰猛に大猫が嗤う。
広場の抜けた先に、空けた空間。街の真ん中にある、巨大な空洞だ。
家屋の陰に隠れつつ、俺もその空洞の闇を見つめた。
冷たい風が空洞から吹いてくる。
「獣族が人間に化けるとは、しらなかった」
山河が空洞を背に口をひらく。
空洞には、腰の位置まで土塀があるけれど。 他の階にあがる階段は、遠くにある。
武器なんて持ってないし。
どうするんだ──?
大猫が獰猛に笑う。
大きな口に牙。首もとにだけマントが残ってる。
「人間がえらそうに……」
民家は掘の周囲にはない。家の陰に隠れてのぞく俺からは、大猫の後ろ姿しか見えてない。けど、どんな表情をしたのか不思議とわかった。
数十歩離れた距離を、ひと跳びで大猫が詰めた。
山河はその場から動かない──と思ったら。
寸前で避けて、塀に剣を食い込ませた大猫の背後に回った。
やった!
トン、と腰のあたりを押され、巨躯が掘の向こうに落ちた。
「っ」
罵倒が穴の底に吸い込まれて消えた。
思わず、家の陰から飛び出す。
山河の横から穴を覗いたが、真っ暗で底はみえない。
落ちたのか。
こんな簡単に終わるような奴には……。
「リュウキ──」
ん?
黒猫と一緒に山河を見上げる。
黒猫を見て、俺を見て、山河は重く聞いてくる。
「ひとりは危険だって…」
怒られる。
身をすくめた時、下からなにか、ぱらっと剥がれ落ちる音が。
──下?
ザリッとこする音がして、穴の底から飛び上がってきたのは──。
「!」
「リュウキ!」
どれだけのジャンプ力か知らないが、大猫がすぐ頭上にいた。俺を見て、その瞳が光る。
山河が俺をかばう。
鈍い輝きが振り下ろされるのが山河の肩越しに見えた。黒猫が危ないと鳴く。
衝撃で後ろに倒れ、山河の腕に頭を抱えられて、耳がいやな音をとらえた。
慌てて顔をあげる。
大猫が剣を、山河の背中から引き抜き、再度狙いを定めていた。
血まみれだ。
剣も……山河の背中も……俺をかばって。
どうにか、しないと。
「ニャー!」
黒猫が、大猫の顔に飛び付いてガリッと爪をたてた。
大猫の気がそれる。
やっと体が動いたが、山河がしっかり俺を抱き抱えているので、身動きとれない。
「山河!」
「……」
痛みに耐えてるのか顔色が悪い。腕をはずそうとしてみたがびくともしない。なんで離さないんだ!?
黒猫は、首ねっこをつかんではがされ、横に投げられる。
「チッ……邪魔ばっかはいりやがる」
大猫は、辺りを見回し、他に誰もいないか確認してこっちを見た。
思わずにらみあげると、面白そうに鼻で笑われる。
「よぉ、王子様、はじめまして、か? 」
大猫の体が、急にぐぐっと縮まり毛皮が短くなり、大柄な男に変身した。
ヒトの姿の、荒くれ者の姿。
「ついてねぇことばっかりだったが、ようやくやぐらに帰れそうだぜ──王子様の、おかげでなあ!」
ふたたび振り下ろされる剣を見た。
同時に耳元で叫びが響く。
(チカラヲクダサイ──!)
うん。
心のなかでうなずいた。
それだけだ。
剣が、横から蹴りとばされた。
大猫が、はあっ?と首をまわす。
猫から人型に戻ったミューレイが、爛々と眼を輝かせて、大猫に飛び掛かる。
「なん──」
速くてとんでもない力で、大猫が頬を蹴られ、民家の壁に激突。壁と一緒に崩れる。
一瞬で終わった。
かろうじて目を開けていた山河が、ほっとしたのか腕の力を抜く。
俺も力が抜けた。
「リュウキ様、お怪我は!?」
長い黒髪がふわりと余波で流れる。ミューレイの全身がきらきらと、金の粒をまとっている。
「……俺は大丈夫」
黒い瞳のなかの光彩が、金の光をはじけさせてもとの黒眼に戻った。
「よかった」
「ありがとう」
「! ……は、はい!」
ぽうっと、何故か頬を染めたミューレイは、もじもじしている。
「リュウキ、……先に宿に戻って」
背中から血を流しながら、山河が言う。
「は?」
なに言ってるんだ。
立ち上がる余力がないんだろう、山河の背中の傷から、真っ赤な血があふれてるのを見て、俺は思わず、手のひらをあてた。
すると。
(……!?)
手のひらが熱くなって、みるみるうちに血が。
「……とまった…」
「え?」
首をひねって、山河は後ろを見ようとする。
そばにきたミューレイが、ひょいとのぞきこむ。
「すごいですね、リュウキ様! 治しちゃいましたね!」
「え」
俺が治した……?
こわごわと、裂けた服の間をのぞきこむと、傷跡もない……血で汚れているだけだ。
額を押さえて、ふらつきながら山河が立ち上がる。
その腕を押さえて不安いっぱいで見ていると。
「……おかげで、大丈夫そうだ」
頭を撫でられ、反射的に払おうとして思い止まる。
相手は怪我人怪我人……うん。
きっと我慢してたから、変顔になっていたに違いない。
山河が苦笑した。
尻尾をゆらゆらさせながら、ミューレイがじっと見ている。
ぼうっとしてる場合でもない。
俺は崩れた民家の壁と、突き出ている脚を眺める。
大猫はどうなったんだろう。
視線に気づいて、二人もそっちに近づく。
瓦礫の中から、山河は大猫の剣をひろいあげて、やっかいそうに眺めた。
「……その剣」
どうするんだ?
ひゅっと払うと、一振りで血が落ちた。自分の血を見ても山河は気にした風はない。
俺は気分がよくないけどな……。
「危ない剣だから預かっておこう」
ふうん。
大猫を覗いていたミューレイが、俺に聞く。
「しばらく起きそうにないですけど、これはどーします?」
うーん……。
どうしようか。
そもそも。
「──俺を狙ってんの?」
昨夜といい、知らないうちに命を狙われてたのか。
なんでだ。
空の城でも、そういえば襲われたっけ。
山河がちらっとミューレイに目配せを送った。
わかりやす過ぎるくらい、口を両手で押さえてミューレイは必死でうなずく。
なんだ。
俺には言えない理由があるのか。
昨夜の……俺だけ抜かして、みんなで話したことか。
気になるが、教えてもらえないことは仕方ない。
むうとしながらミューレイを見たが、視線をそらして、落ち着きなく尻尾をくねくねさせている。
……ん?
尻尾を眺めて、ふと思い出す。
「……なあ、そいつも」
剣を左手に持ちかえた山河が振り向く。
「ん?」
「尻尾を切ったら猫になんの?」
単純に、疑問に思っただけだ。
ミューレイが、びくっと反応して自分のお尻を押さえた。
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