第28話
目がさめて、起き出すと、冷たい汗をかいていた。
宿屋はしんとしている。
風も吹かない地下のためか、空気が停滞しているようで、息苦しい。
胸を押さえる。
妙に視界のよくなった目で、部屋を見回す。視界だけでなく、感覚が良くなりすぎたようで、隣の部屋に山河が寝ていることや、他の部屋に誰がいるのかも、どんな状態なのかも分かる。
宿屋の一階の一室で、もうおばあさんが起き出して、仕事をはじめようとしていた。
貯蔵庫に野菜や肉が満杯に詰められているのを見て、びっくりしている。
たぶん、母さんがなんとかしたんだな、と俺は何故か思い付く。
みんなまだ眠っているので、俺はなぜかせかされるように着替え、宿屋を出た。
全く知らない街なのに、意識を向けるだけで街の仕組みが、道のつながりが、ここに住む人達の存在が、把握できた。
街の中央に巨大な吹き抜けがあって、その空洞を囲むように街は、十くらいの階層で作られている。あちこちに階段があり、地上に出る出入り口は五つくらい見えた。
その出入り口の二つは、なぜかふさがれているようだ。
街のおじさん連中が、話題にあげていたことを思い出す──流れ者?が増えて困っている。なにか探しまわっている、等々──昨夜、宿屋に怒鳴り込んできたのも、確かその手の連中で。
視線をめぐらす。
泊まっている宿屋より、二つ下の左端奥に、人気の少ない民家があった。おそらく空き家ばかりの古い、汚れた場所で、よそからきた連中はそこを根城にしているようだ──数人ずつの集団が、7つもある。
いかにも荒くれ者といった風貌の男たち、その中でも、ひとり目立つ人物がいた。その顔を、一応記憶する。
他に気になる気配は、というと、街のずっと地下の地下、なにか──生き物じゃない、不思議な存在が、埋まっていた。
眠っているだけで、起きる気配がない。
それはほっといてもよさそうだ。
ひろげすぎた意識を戻す途中で、子供を見つけた。
たぶん、親がいない、ひったくりの少年……街の一階下の、宿屋とは逆の方向の、やっぱり空き家に住み着いているようだ。
古い荒れた家の隅で、寝顔すらさびしそうに。
ぱたん、とドアを開く音に、引き戻された。
がちゃりとドアが開く。
宿屋の前で突っ立っている俺を見て、山河が安堵する。
「リュウキ、ずいぶん早起きだな」
「ん」
「こんなとこで、どうした?」
俺が部屋にいなかったから、心配したのか。
心配性め。
「……みてた」
なんていって、説明したらいいのか。
俺にもわからないので、そう言うしかない。
山河は気にしたふうもなく、ひとけのない宿屋の前を見渡す。
うす暗い土の天井のあちこちに、丸い光の灯りがとりつけられている。
たぶん外灯がわりだろう。
オヤジたちは、まだ起きてこなさそうだ。
とりあえず、部屋に戻ってるか……。
宿屋にはいると、ちょうどおばあさんがホウキ片手に、食堂の掃除をはじめるところだった。
「…はようございます」
「おお、おはようお客さん、よく眠れたかい?」
「……たぶん」
おばあさんはにかっと笑い、床を掃きはじめた。
部屋に戻っても、とくにすることがない。
俺の背後で山河は、予測がついたように苦笑した。
共同風呂場の掃除を引き受け、モップのような道具で床を洗う。
昨夜借りた風呂場なので、丁寧に洗う。
宿屋は、俺たち以外、客はいないらしい。
俺につられて手伝いを申し出た山河は、おばあさんに屋根の修理を頼まれている。
地下の街でも、雨風にさらされなくとも、ホコリがたまったり、木が傷んだりするようだ。
小一時間ほど、そうしてお手伝いをすませて、食堂で休んでいると、ようやく両親が起き出してきた。
ヒューレアさんとミューレイも、そうっと顔を出す。
「おはよう、リュウキ!」
「朝から、お手伝いご苦労さま」
「ん。……はよう」
「おはようございます」
「……お、おはよう…ございます…」
そういえば、黒猫耳ミューレイも刺されたんだっけ。大丈夫なのか。
ひとり、緊張している彼女の様子を見ていると、宿屋のドアが威勢よく開けられた。
「よう! おはようさん!」
「お邪魔するよーっ」
昨日の、街のおっさん連中だ。
また来たのか。
一気に食堂がにぎやかになる。
オヤジと母さんは、すぐに囲まれてしまい、別の席に座った。
ヒューレアさんとミューレイが、俺と山河のテーブルにつくと、宿屋のおばあさんが見計らったように、朝食を持ってきてくれた。
野菜や肉やパンみたいなもの、あやしい色のスープに飲み物。
朝から、豪勢だ。
手伝いのおかげで腹ぺこだった俺は、遠慮なくぱくついた。しょっぱすぎたり、なんか歯応えが微妙なものもあるが、文句はいえない。
ガヤガヤと騒がしい大人たちとは逆に、こっちの席は静かだ。
ヒューレアさんが時々なにか山河に話しかけるが、食事中の山河の受け答えは曖昧だ。
まだ何やら緊張しているミューレイは、ちょっとずつ食べながら、ときおり俺の様子をうかがっている。
なんだ?
不思議に思いながらも、食事に専念する。
朝メシが終わっても、街のおっさん連中は帰る気配がない。家のこととか、仕事のこと、家族のことまで色々と、オヤジたちに話している。
オヤジは苦笑いで、延々と続く話に耐えている。
母さんは微笑しながら、楽しそうに耳をかたむけている。
全員が食事を終えて、あと片付けまで終わって、仕方なさそうに宿屋のおばあさんがお茶のような飲み物を配り、まだまだ話しが尽きなさそうで、ちょっとうんざりしてきた時。
「──父さん! いつまでさぼってるの!」
宿屋のドアを開けて、高い声が響き渡った。
おっさん連中のうち一人が、びくっと腰を浮かせた。
エプロンをつけた女の子が、ツカツカとそのおっさんに詰め寄る。
栗色の髪と目の、おそらく同年代くらいの女の子は、がしりとおっさんのえりくびを掴んだ。
「いててっ、離してくれハナン!」
「母さんが怒ってるからね! 帰るわよっ。みなさんお邪魔しました! ………っ?」
挨拶しながら食堂を見回した女の子が、俺を見て一瞬止まる。
何秒か固まったあと、我に返って目をそらし、慌てたように宿屋から去っていった。
大人連中が、互いを見回して席から立ちがる。
「つい長居しちまったな」
「ばあさん、ゴメンよー。お代、置いとくぜ」
「オレも嫁さんに怒られんな……」
ガヤガヤと去っていくおっさん達を、オヤジはやれやれと見送っている。
ひとがいなくなってから、まるで見計らっていたように、ノルが現れた。
俺は、奴がなんで苦手なのか、見た瞬間に理解した。
ノルの存在自体、俺には異質なんだ。
奴が──だから……。
頭のなかで浮かべた単語が、わかっているのに言葉にならない。
自分の頭なのに、まるで自分の思い通りにならないみたいで、変だ。
うるさい連中がいなくなって、ようやく静かになった宿屋で、ノルはまず母さんと目をあわせ、軽く会釈。
つぎに何故か、俺の方を見て──瞬きして、暗く笑う。
「今日も探しにいくか……」
オヤジが仕方なさそうに立ち上がり、奴の肩を気軽に叩く。
「……すまぬ」
「もっと範囲をひろげるか…しかしなぁ」
頼まれごとは、難航してるようだ。
つい、口をはさむ。
「オレたちは手伝えねーの?」
両親ともに、オレたちを眺めた。
山河とヒューレアさんと、ミューレイと。
オヤジと母さんは目をあわせ、母さんがうなずく。
「そうだな…人数多いほうがはやいか…あのな」
あごをさすりながら、オヤジが話してくれる。
「たぶん、これくらいの、香炉ってわかるか? 匂いのする石をいれて燃やして、香りを楽しむモノだな。それを探してるんだ」
香炉……。わかるよーな、わかんないよーな。
俺は、ぴんとこなかったが、女性陣はわかったようだ。すぐにうなずく。
「香炉ですね。それを探せばいいんですね? ……この街にあるんですか?」
ヒューレアさんが聞く。
「街に……あればいいんだが、ここら一帯としかわからなくてな」
は?
ノルが、すまなそうにうなずく。
「盗まれてしまってね。こっちに運ばれたとしかわからぬ。気配はするのだが……」
遠くを探すように、宿屋の天井を見て、床を見て、吐息をつく。
ここら辺、一帯?
範囲が広すぎないか。
地下の上の、深林や荒れ地は危険なので、オヤジとノルが探しているという。母さんは街中を探してるそうだが、やはり時間がかかってしまうらしい。
「街中の方を手伝ってもらえると、だいぶ助かるな。頼んでいいか?」
「ん」
俺はこっくりうなずく。
たぶん、いまの俺なら、探し物くらいはできるはず。
「それって、どんなかたち? 色は?」
オヤジがノルを見る。
「大きさは、手の上に乗る程度。下が大きめで上は小さい、華奢な取っ手がついている。色は黒だ」
花びんみたいなものかな?
「街中の……どこを探すんです?」
山河だけは慎重そうに、難しそうな顔をする。
「全部」
「全部……!?」
「盗まれたらしいから、誰がどこに隠したのかがさっぱりわからなくてな」
オヤジは気楽に話す。
えーとじゃあ、街中をかたっぱしから……いや無理だろ。
やっぱり、という表情を浮かべたのは山河だ。
両親の無茶ぶりには、慣れているからか。
「それは、なにか魔力的な物なんですか? 危険はありませんか」
オヤジにではなく、ノルに直接尋ねる。
質問に、ノルは考え込む。
ヒューレアさんもミューレイも、不安げにやつの答えを待つ。
「危険──使い方によっては危険だ」
どういう意味だ。
山河がやっぱり、と眉をよせる。ヒューレアさんとミューレイも、困惑顔だ。
「……香炉、ではないんですか?」
ヒューレアさんが質問した。
「見た目は、香炉だ。ただ、普通の香炉ではない」
うーん?
よくわかってない俺の様子に、ノルは言葉を探して。
「──持つ者の、見る夢に力を与えるが……代償がともなう。まわりにいるものから、命を奪う」
「……!」
なんだそれ。
めちゃめちゃ危険じゃないか。
絶句する俺たちに、うんうんとオヤジはうなずく。
「だから、みつけても、なるべく触るなよ。布かなにかにくるんで、なるべくはやく回収しよう」
「……」
「さあて、じゃあ、上いくか。ノル」
「うむ」
一度のびをして、オヤジは立ち上がる。
二人が出ていくのを、残った俺たちで見送る。
ひと呼吸してから、母さんも立ち上がった。
微妙にひきつっている俺たちに、首をかしげる。
「無理しないで、やすみやすみでいいわよ? 一階は半分見終わっているから、他の階からお願いね」
「ん……」
そう言って、母さんは一人で宿屋から出ていく。
どうやって探してるんだろう。
山河たちが、俺を見た。
「……まず、どう探す?」
うーん……。
俺は考え込んだ。
誰がどこに隠したのか、まったくわからないものを探すのか…しかも、この町全部?
ということは、やっぱり。
「聞き込み調査から……」
テレビドラマの刑事物が、頭に浮かんでしまった。
まず、この町を知るところから、だよな。
すると、ヒューレアさんがうなずいて、立ち上がる。
「情報収集ですね。適当に歩きまわってきますよ。さ、いくよミューレイ」
「えっ……あ……あたし」
ミューレイは、俺を見て、ヒューレアさんを見て、何故か慌てている。
山河が口をひらく。
「二手にわかれた方が早いか。リュウキは俺がみてる」
ヒューレアさんがこっくりうなずいて、まだ迷っているミューレイの首根っこをつかんだ。
「ほら、いくよ」
「あっ」
二つの尻尾が、宿屋のドアの向こうに消える。
山河が席を立つ。
「さて、どこから行く?」
「…下、から?」
町は何階あっただろう、ぐるりと辺りを見て、俺はちょっとだけ透かし視る。
灯りが魔法?の明かりしかなく、町全体がオレンジ色の明るさだ。
暗い場所や、朽ち果てた感じの空き家が並ぶ、最下層……人があんまり歩いてない。
よく知らない場所を、隅々まで探して回るって……やっぱ危険、だよな。
考え込んでる俺の事を、山河が心配そうに見守ってる。
いつもの余裕まじりの笑みはなく、目が本気で心配一色だ。
──そういえば、なんか暗殺者?に殺されかけたんだっけ。
周囲にも、気を付けないといけないのか。
俺は悩んだすえ、宿屋のおばあさんに質問した。
この町の、中心地はどこですか? と。
まずは、この地下にある町の全容を把握したい。
住人と仲良くなる所からはじめないと、探し物なんて無理だろう。
一階と二階の中心地あたりが、町の中心だと教えてもらい、俺は山河と一階に行ってみた。
意外と、階の広さがあって、行き来する階段はあちこちに作られていて、家々の間に細い道がいっぱいつながっている。
さすがに住人がたくさん歩いていて、露天もいくつか道端に並び、それなりに賑やかだ。
いったい、何を売っているんだろう。
興味をひかれて、一番ちかい露天商をのぞいてみた。
露天といっても、地下の町なので、道端に布を敷き、商品が並んでいるだけだ。
売り主らしきおじさんが、ちらっと俺をみて驚いた表情をする。
「お……噂の王子様じゃないか。何かお探しで?」
へ……王子様?
なんだ、噂のって!
おもわず山河をみたが、やつもきょとんとしている。
やっぱり、服か。服のせいか?
上着は着てないけど、一番黒に近いズボンは紫紺色で、光の加減で金色に輝く不思議な布地だ。裾や生地の切り替え部分に、小さな真珠っぽい宝石までついている。
これで一般人ですと言っても、信じてもらえないだろう、そんな上等な服。
白いシャツも襟高で、光沢があってなめらかすぎる。
俺だけこんな服なのは……母さんの要望なので逆らえない。
山河は、ごく普通の生なりの服だ。
露天のおじさんが待っているので、俺は商品に視線をもどす。
「…みてもいい?」
「どうぞどうぞ!」
そういえば、こっちの金って……魔法のつまった石だっけ。
宿屋のおばあさんにお駄賃?でもらった小さな石が、一応ある。
許可がおりたので、並んでいる商品を眺める。
ナイフや布の袋、色のついた石ころ。木製の何かの道具。乾燥した葉っぱ、手のひらサイズの小物いれ? ざっと見、生活用品なんだろうか。
「なにをお探しで?」
期待のこもった目で見つめられ、俺は困った。
いきなり、聞いても大丈夫か?
「このくらいの……香炉? とか」
「香炉……匂袋ならありますよ。ほらこれ、虫除け用」
小さな中身のつまった袋を示される。
山河を見ると、首を横に振られた。
「ごめん、他を探す」
「そうですか。またどうぞ!」
内心がっかりかも知れないおじさんは、笑顔で見送ってくれる。
歩き出すと、近くの他の露天商が、ちらっとこっちを見るのが分かった。
俺も歩きながら、道端の商品を遠目に見る。
売っている物はほとんど同じようだ。
大きめの布や衣服、剣まで売っている露天もあるけど……探しているのは、小物だ。
なにかヒントになる物はないかと、道端の露天を見回ってみたけれど、特に収穫はなかった。
いったん、宿屋に戻る。
俺の好きなようにさせている山河は、ついてくるだけで、口は出さない。
いいけど……なんか、いつもより妙に静かだし、大人しいような。
宿屋のおばあさんが、俺たちが戻ると昼めしを用意してくれた。
パンに野菜をはさんだ……サンドイッチ的な。一緒にスープも。
ぱさぱさでかたいパンを、苦労して食べ終える頃、ヒューレアさんとミューレイが戻ってきた。
おばあさんが二人の分も、運んできてくれる。
「いやー、だいぶすたれてますね、この町。逆にどんどん、流れ者が住み着いてるよーで」
ふらんふらんとヒューレアさんの尻尾が揺れる。
なにか機嫌が良さそうな?
対照的に、ミューレイはしょんぼりしてる。
山河が軽くうなずきを反す。
「空き家がだいぶ、増えてるみたいだな」
「そうそう。下層のほうに、なんか大物までいついてるってウワサだったわ」
大物……あれかな。
朝見た、人物を思い出す。
「下層っていうと、旧家ばっかりのとこやね。確かに、ごろつきが増えて困っとりますよ」
おばあさんまで話しに加わってきた。
宿屋の仕事は一段落したのか。
そういえば、おばあさんも立派にこの町の住人だ。
まず先に、おばあさんから町のことを聞いた方が早いんじゃ?
遅まきながら気付き、話をふってみる。
「誰でもここに……住みつけるってこと?」
入り口に門番とか、確かにいなかった。
「組み合いは残っておるが、役立たずばっかりだからねえ。昔なじみは半分くらいしか残ってないよ……管理者決めろって言っとるのに、誰もやりたがらないのさ」
おばあさんは苦々しげだ。
朝から宿屋にたむろしてた、あのおっさん連中か。
組み合いってなんだ。
「食料とか、生活用品とか、まとめて運ばないと盗賊に狙われるからね。独立してる商人も、組み合いの運搬車に混ぜてもらって、移動するんだよ」
盗賊……出るのか。
ちらっと山河を見る。
分かっている話なのか反応はない。
強盗みたいなものか。
確かに、金銭持ってたら、狙われるのは一緒か。
「その、ごろつきの人たちは……町のひとには危険なんじゃ」
「危険さ。だからねえ、他の都市にみんな引越ししちまった。残ってるのは、年寄や移動できない連中ばっかりだよ。滅多にお客もこないし」
おばあさんは笑って話してくれるが、疲れきっているようにも見えた。
ヒューレアさんもミューレイも、神妙に聞いている。
おばあさんは、家族とか、いないんだろうか。
宿屋で働いている、他の人をみないから、聞きずらい……。
そういえば、一番不思議だったことがある。
「……どうして地上じゃなくて、地下に町があるの」
おばあさんはキョトンとした。
変な質問だったか。
何か思い出すかのように、腕を組む。
「どうしてって言われてもねえ、この町ははじめっから、ここにあったんだよ。上は──年中吹雪いてるし日はささないし、野生の獣も出るし。危険だからね」
日がささない?
ずっと曇ってるってことか。
そしてずっと昔から、この町は地下にあるってことなのか。
どうやって、巨大な穴を掘ったんだろう。
「大昔は……ちゃんと王国が存在して、その残り、とも言われてますよね──魔法王国だったとか」
ヒューレアさんが言う。
おばあさんは、苦笑した。
よっこらせ、と立ち上がる。
「昔の話だね……ご先祖さまの時代だよ」
仕事に戻らないと、とおばあさんは厨房に戻っていった。
静かになった宿屋の食堂で、沈黙がおりる。
魔法王国って、魔法の国ってことだよな。
そういえば、おばあさんがそれらしき技?を使っていたような。
魔法の、王国──想像もつかない。
おもわず辺りを見回してしまう。
見ていたヒューレアさんに、なぜかクスリと笑われる。
「王子はあまり、魔法に気付いてないかしら?」
へ?
「町じゅうに、ランプがあるでしょう。あれは全部……魔法ですよ」
「!?」
驚く俺に、山河が教えてくれる。
「石に魔力を溜められるから、光る石を入れ物にいれて、吊るしてるだけだがな」
……乾電池みたいなものか?
「その他にも、風を定期的に吹かせたり、水を作ったりしてみんな生活してますよ」
当たり前のことのように言われる。
「料理にも火石を使ってるし、食材をもたせるのに、氷石を使ってます。彼女は……かなり魔力が強い方ですね」
そうほめて、ヒューレアさんはおばあさんがいる厨房を見る。
ミューレイもうんうんとうなずいている。
宿屋のおばあさんは、実はすごいひとなのか。
素直に驚いていると、宿屋に誰か顔を出してきた。
「ばあさーん、ちょっといいかい?」
朝も見た顔だ。おっさんたちのひとり。
「……なんだい?」
大きな声に、おばあさんが厨房から出てきて対応する。
「火石が空になっちまって。溜めてくれんか?」
ごそごそとポケットから布袋を取り出し、おばあさんに手渡す。
「わかったよ。急ぎかい?」
「夕食に間に合えば」
「……ちょっと待っといで」
布袋から、小石より大きめの灰色の石を手のひらにとり、おばあさんはそれを見詰めた。
ぽうっと、おばあさんの手元が明るくなり、一瞬だけ、ゴウッと火の渦が生まれた。
そのまま火は、石に吸い込まれる。
灰色だった石がカチカチと、火の粉を散らして赤く変色し、見た目にも温かそうだ。
「ほら」
「ありがとう!」
おっさんは満面の笑みを浮かべ、帰っていく。
おばあさんは見送ってから、また厨房に戻る。
おお……あれ、やっぱり魔法なのか……なんか手品に見えてしまうけど。
感心していると、オヤジと母さんが戻ってきた。
「お、リューキ、収穫あったか?」
オヤジがわしわしと、俺の頭を撫でる。
「少なくとも、露店商? にはなさそう」
「そうかそうか」
オヤジと母さんは、隣の席に落ち着く。
両親のほうも、何も持ってないから、見つからなかったんだな。
ノルの姿は見えないが、聞く必要はない。
「こうまで手掛かりがないと、むずかしいわね……時間が、かかりすぎるわ」
おっとりと母さんが言う。
俺は心配になった。
まさか、その香炉がみつかるまで、帰れないとかにならないよな?
オヤジも腕を組む。
「そうだな。探す方法を変えるか」
方法……。
「もういっそ、町中の奴らに一緒にさがしてもらった方が早いな」
なるほど。
大人数で探した方が、確かにはやい。
けど。
「──危険なんじゃないの」
「見つけるだけで、絶対にさわらないよう、言い含めれば平気さ。な」
気軽にオヤジは言い切り、母さんに目配せを送る。
母さんも仕方なさそうに笑う。
両親はテーブルの上で、ちゃっかり片手を繋いでいる。
その様子を、ミューレイが赤くなりながら見ている。
人前で……まあいいか。
山河も慣れてるし、ヒューレアさんも気にした様子はない。
そのまま話は続く。
「どうやって、町中のひとに協力してもらいます?」
両親に質問するヒューレアさん。
「うーむ……そこだな。──リューキならどうする?」
俺?
全員に見詰められ、一瞬考えるけど。
「別にフツーに、盗まれたから、さがしてる、でよくね?」
ヘタに考え込んでも、妙案がすぐには浮かばない。
「フツーに、か……確かにそうだな」
期待してた答えと違ったのか、オヤジはあてがはずれた顔になった。
山河が苦笑する。
「香炉のことは、おおやけにするとまずいんですか? ヘタに、複雑にしても、どこかで無理はでますよ」
今度は全員がオヤジを見詰めた。
オヤジは真面目な顔つきになり、考え込む。
「そうだな……時間をかけても、見つからなかったら意味がないか」
──明日になったら、町の組み合い連中に話してみる、ということになった。
夕食時になると、昨日と同じくおっさん連中が押し掛けてきて、宿屋の食堂は満席になった。
昨日とちがうのは、おっさん連中だけでなく、2、3人女性の同伴があったことだ。
女性たちは母さんと顔見知りらしく、顔を輝かせて同じ席に陣取った。
おっさん連中に負けじと、華やかな笑い声が響く。
昨日と同じく、大忙しの厨房と配膳を手伝うのは、俺と山河とヒューレアさんとミューレイ。
貯蔵庫は、まだ一杯食材があったが、こんな調子で毎日つめかけられたら、おばあさんが目をまわしてしまうんじゃなかろうか。
だいたいなんで、こうも毎日集まってくるんだろう。
世間話しか、してないよな。
次々と注文される料理をなんとか運び終え、空になった皿を片付けて、やっと一息ついた頃。
宿屋のドアがまた開いた。
新しい客がまだ来るのか、とそっちを見ると。
おずおずと顔をのぞかせたのは、昨夜もみた女の子だった。
食堂を見回して、俺と目があうとなぜか、びっくり顔になる。
「お? ハナン、どーした。今日はちゃんとかーさんに許可もらってあるぞ?」
同じく、昨夜のおっさんが、娘らしき彼女に声をかける。
ハナンと呼ばれた彼女はなぜか、一瞬赤くなり、食堂の視線が集まってるのに気付き、恥ずかしそうに両手を握る。
「そーじゃなくて……ニアさんがきっと大変だろうから、手伝ってこいって……かーさんに」
すると、宿屋のおばあさんが手をとめて、彼女を迎えた。
「そりゃあ助かるね! お客さんに手伝わせて、心苦しかったんだよ。ありがとうハナン」
ん?
そっか。宿屋、おばあさんひとりじゃ、さすがにこの人数の対応は、無理だもんな。
おばあさんはさっそく彼女を厨房に連れていった。
俺は山河と目をあわせ、様子を見に行く。
エプロンをつけ、髪をくくって、ハナンはおばあさんの指示で、てきぱきと動き出す。
助っ人は確かにありがたいが、女の子ひとりに任せてすむ仕事量でも、ないような。
「王子、休憩とってください。交代で休みましょう?」
迷っているのを察して、ヒューレアさんが言ってくる。
俺は山河と、ミューレイにうなずかれ、いったん自分たちのテーブルに座ることにした。
座った途端に、かすかな疲労感。
さすがにちょっと、忙しくて疲れたか。
一息ついていると、ハナンが飲み物を持ってきてくれる。
「ありがとう」
「い、いいえっ」
礼を言ったら、何故か赤面された。
女子が一人増えただけで、食堂に華やかな空気が流れた。
おっさん達に負けじと、おばさま方も話が盛り上り、母さんも楽しそうにしている。
オヤジはちょっと、おっさん達にからまれすぎて、うんざりしてるのが分かった。
食堂の熱気が暑くなってきて、外の空気が吸いたくなってきた頃、ようやく食事の注文がとまった。
一人、二人と帰りはじめ、また明日、と言ってみんな帰っていく。
明日もくるのか……。
空いた皿を厨房に全部運んだところで、もういいとおばあさんが手を振る。
俺たちはやっと、席に落ち着いた。
「けっきょく、手伝ってもらってわるいねぇ」
おばあさんは苦笑い。
「せっかくきたのに、ごめんなさい……」
ハナンがなぜか、すまさそうに俺たちに謝る。
謝ることじゃないと思うが。
「……なんでみんな、毎晩くるんだ」
ふと疑問に思う。
今度はオヤジが、すまさそうに肩をすくめた。
「あー、あれはたぶん、オレのせいだな……」
「なんで」
「前に、相談くらい、いつでも聞くぞって、言っちまったからな……」
そうなんだ。
「でもかわりに、わかったことがいくつかあるわね」
母さんが指をたてる。
「誰も、香炉を知らないわ。みたことも、聞いたこともない。──町にはないのかしら?」
ちゃんと聞き込みしてたのか、さすが母さん。
と、俺たちが考え込んでいると、ぱたぱたと厨房からハナンが出てきた。
エプロンをとり、おばあさんに見送られながら、帰るようだ。
「助かったよ、ハナン。気を付けてお帰り。お礼はあとで」
「ニアさん、お礼なんていいの。明日も来るね」
ハナンは俺たちにも会釈して、宿屋を後にする。
ふと、俺は閉まったドアが気になった。
なんだろ──急に視界がひかれる。
宿屋の外、静まりかえった町。
一人で帰宅するハナン。
「リューキ?」
何かにせかされて俺は、山河の呼び掛けにも応えず外に出る。
歩きだしていたハナンが振り返る。
「えっ……王子様?」
「一人危ないから送る」
「えっ」
「確かに、女の子一人は危険だ。けどリューキ」
当然のように、山河もついてきた。
「リューキも、一人はダメだろう」
………そうだけどさ。
びっくりしたままのハナンをうながし、三人で歩き出す。
ハナンを挟んで、右側に俺が、左側に山河がつく。
町は静まりかえっていた。どの家も旧く、細い路上にはよくみると、ほこりが積もっている。
空はないので閉塞感があり、天井にランプのようなものはぶらさがっているが、オレンジ色の光は明るくはない。
朝も昼も夜も、まったく同じ風景。
息が詰まりそうだな。
「あっ、あの……っ」
辺りを眺めていると、緊張した声でハナンに話しかけられる。
「王子様たちは、しばらくここに滞在するんですか……?」
王子って呼ばれ方に、顔がひきつる。
山河がクスリと笑った。
「その、王子様って、やめてくれる」
「えっ、……ええと…?」
「リュウキ」
とまどいながらも、ハナンはこくこくとうなずく。
「家どっち?」
「あ、一階下です。あそこから」
指差す先の路地奥に、細い階段が見えた。
民家と民家の隙間にぽつんとある。
先にたったか降りるハナンに続いて階段を降りると、同じような路地に出た。
路地を出て、ちょっと歩くとすぐ、ハナンの家についた。
周りと同じ、旧い旧い家だ。
「送ってもらって、ありがとうございました!」
「ん」
赤くなって頭を下げるハナンに手を振り、俺と山河は来た路を戻る。
階段を上がって宿屋に向かう道すがら。
無言で歩く山河が、辺りを気にしはじめた。
誰か、見てる。
気配を殺して。
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