第26話


目をつぶっているのに、不思議と、まわりで起きたことが見えた。


刺された俺を腕で支えて、ショックを受けたように固まっている山河と。


騒ぎに気付いて駆けてつけてきたオヤジと、母さんと。遅れて部屋に入ってきたヒューレアさんが、ミューレイの様子をのぞきこむ姿と。


俺を母さんに預けて、山河が窓から飛び降り男を追っていく──ノルはただ、道に突っ立っている──男の姿が見えただけで山河が手を伸ばし、逃げていた男が急に転がった。


追い付いた山河が男を見下ろして。


「──リュウキ、見なくていいわ……」


耳元で。


母さんに優しく囁かれて、俺は目を開ける。


「──大丈夫、か?」


オヤジの声が、低くて戸惑う。


「大丈夫よ」


くすりと笑いながら、母さんの手が頭を撫でた。


くすぐったいが、体は動かない。しかも、母さんの両膝に俺の頭が乗せられているようだ。宿屋の天井を見る──。


「心臓を一突きか……」


は?


身動きがまったくできない俺は、自分がどんな状態なのかわからない。


不思議と痛みを感じないので、刺された実感が薄れてるけど……冷静な両親の態度に、逆に怖さが増してくる。


腕も持ちあがらない、脚も力が入らない。手足の先から冷えが広がってきて、胸のあたりだけ熱い──。


どくん、と心臓が脈打つ音が聞こえた。


見下ろしていたオヤジと、目があった。


「大丈夫だ……そんな顔するな」


ぽん、と頭に手が乗っかる。


「──ヒューレア、そっちの子はどう?」


母さんが、横を見る。


「……深いですけど、獣人族は丈夫なので」


「みせて」


母さんが、俺をオヤジに預けて、場所を移動する。母さんの膝からオヤジの膝枕に……起きたかった。


まだ動けない。


「なんだ、リュウキ、父さんの膝はイヤか」


「うん。……あ」


声が、やっと出る。


ゴツンとゲンコツが。


「血は止めたから、あとは目が覚めるまで安静にね」


「はい。ありがとうございます。妃殿下……」


見えないけど、ミューレイも助かった、のか?


しばらくじっとしていたら、ようやく指先が動いた。


しびれる手足に苦労しながら、なんとか上半身を起こすと、服の前にべったりつく血を見てしまった……血の匂いに口元を覆う。


「着替えがいるな」


オヤジが、まだ乾いてない血を眺める。


すると、母さんがすかさず。


「あら、リュウキの服なら、宮殿にたくさんあるわよ」


気のせいか、母さんはいそいそと立ち上がり、部屋を出ていく。


「取ってくるわ。待っててね」


え……取ってくる? どうやって?


ひらりと片手をふり、次の瞬間には母さんの姿が消えた。


えっ、と、俺は何度も見直す。


慌ててオヤジを見るが、オヤジは特に驚きもせず、窓の方にいく。


「ノル──教えてくれてありがとうな」


「──いや……遅かったようだな、すまぬ」


「お前もあがってこい。部屋ならあまってるぞ?」


オヤジは普通に、あいつと会話できるのか……俺だけが、こんなに違和感を感じてる、のか?


しばらくして、言われた通り、ノルが部屋を廊下からのぞきこんだ。


俺の血まみれの姿を目にして、部屋のなかの者たちを眺め、少し首を傾げる。


「あの青年は……」



「行ってしまったが……止めたほうがよかったか?」


え……。


まだ、山河が戻ってきてない──。


オヤジが、難しそうな顔つきになった。


俺のことを振り返り、ヒューレアさんたちを見て、たぶんこの場を離れられないと考えたのだろう。


「ノル、すまん。ここをみててくれるか」


「……わかった」


思わず不安が増した俺に、オヤジは言った。


「リュウキ、ノルは信用できるヤツだ。お前と、ちょっと相性が悪いだけでな……すまんが、ちょっと待っててくれ」


俺は、うなずくしかない。


凄くイヤだけど、なんでイヤなのかが、わからないし。


オヤジはいそいで出ていき、かわりに、ノルが部屋に入ってきた。


宿屋の狭い部屋だ。ミューレイが床に横になり、そのそばにヒューレアさんがしゃがみ、俺が床に座り込んでいるので、もう居場所がない。


それを察してか、廊下にとどまる。


沈黙だけが流れる。


俺は、黙りこんでいるヒューレアさんに話しかける。


「……ミューレイは、大丈夫?」


「……ええ。傷はふさいでもらいましたから。刺されたショックで、気絶してるだけです」


俺は、空いてるベッドを見る。


「ベッドに、寝かせてあげて」


「え、いえ。王子がお使いください」


……ん? なんだろう、ヒューレアさんの態度が微妙に、よそよそしい?


「……俺は、大丈夫」


俺たちのやりとりを見ていたノルが、口をひらいた。


「床では冷える。移そう」


言って、ミューレイを抱き上げ、ベッドに寝かせた。


見た目細いのに、力はあるんだろうか、軽々と運んでしまう。


面食らっていると、今度はこっちをじっと見詰めてきた。深い深い黒い瞳は、わずかに紫がかっている。


こんなに近いと、やっぱり違和感がある──なんでだ。


オヤジは、信用してるみたいだったけど。


俺は……きっと無理だ。


「服──脱いだほうがよいな」


ノルが気になったのは、べったり血のついた俺の服らしい。


ヒューレアさんも、うなずく。


「水と、拭くもの借りてきます」


さっさと部屋を出ていってしまう。


俺は、急に緊張した。


ミューレイがいるけど、意識ないし、こいつと二人っきりはもの凄くイヤだ。


じっと見られる。俺はわけもなく緊張する。


ほんの数秒間の沈黙のあと、ノルが口を開いた。


「光が……抑えられているのか」


……?


意味がわからない。


「ひとのままなのか」


思考がかたまった。


……は?


なに?


「お湯もらえましたー、王子」


木の桶を片手に、ヒューレアさんが戻ってきて、ノルが口を閉ざす。


桶いっぱいのお湯と、布を何枚か。ヒューレアさんはさっそく布を、お湯にひたしてしぼった。


「さ、脱いでください」


は。


「血を拭かないと、こびりつきますよ?」


「……自分で」


「脱がせましょうか?」


にっこりされて、俺はかたまった。


なんだか、ヒューレアさんが意地悪だ……。





けっこうお気に入りだったTシャツに、縦長の、三センチくらいの穴が空いていた。


ちょうど心臓のあたり。


さすがに、肝が冷える。


おそるおそる胸元を見回すが、傷口すらない。


……なんでだ。


「プロの仕業ですねー。一撃だったんでしょう? ミューレイも腹部を刺されてますし」


血のついた布を洗いながら、ヒューレアさんが言う。


プロって。


殺し屋、とかか。


いまさら、怖さを実感する。

て、いうか。


なんで俺が狙われるんだ──ミューレイが最初に襲ってきたのも、なんでだ?


「着替えは……妃殿下が戻ってからですね。王子、寒くない?」


血まみれの服をどうしたものか、悩んでいる俺にヒューレアさんが聞く。


俺はうなずく。室内だからか、それとも地下だからか、寒くはない。


「それ、処分してきますよ」


「……あ、うん」


血まみれのTシャツが、ヒューレアさんの手でくるくる巻かれる。ノルはずっと、ドアの横で立って見守っていたが、ふとそれに注視して。


なにか言いかけた。


「陛下、遅いですねぇ……リーンは」


ヒューレアさんも、ふと動きを止めて、手にしたTシャツを眺める。


そしてなぜか、クン、と匂いを嗅いだ。


俺はぎょっとする。


「ヒューレアさ…」


「……なにか香るとおもったら」


くるくる巻いたTシャツを、再び広げた。


え。


「これか……!」


きらんと金の瞳が輝いて、ベッドに眠るミューレイと、俺を見た。


「王子! ミューレイは王子の血を舐めたんですね!?」


「え」


「おかしいと思った……! 頑丈なだけの黒牙が、獣貴族になれるわけ、ないんです!」


興奮したヒューレアさんに詰め寄られ、俺は窓側に後ずさった。


「王子! ちょっとかじらせてください」


え……。


がしりと腕を掴まれた。


ヒューレアさんの目が、真剣だった。


細いのに指の力が強くて、振りほどけなくて焦る。


「ちょっとだけ、ですから……」


いや、かじるって、なんだ?


顔が近い……濃い金色の瞳のなかに、縦の光彩が見える。おもわずみとれるほど、美人だと再認識。


首筋に吐息がかかって、俺はぎゅっと目をつぶる──髪がサラサラと肌に触れ──そういえば上半身、裸だ。もう無理!


「っつ……!」


がぶり、とうなじあたりに鋭い傷み。


か、噛まれた!?


かじるって、本当にか!


そのままペロリと舐められた。


「……ヒューレアさん……!」


「うーん、甘いですね、王子……最初に思った通り、美味しそう……」


腕を拘束されたまま体をくっつけられ、ぬくもりとやわらかさに混乱した。


ど、どーしたら……!?


オヤジはまだ、母さんも戻ってこないし、山河も──あいつどこ行ったんだ! なんでこーゆー時にいないんだ!


ノルは他人事のように、不思議そうに俺達を眺めているだけだし。


「王子、赤くなって、かわいいっ」


「ヒューレアさん…っ」


「ふふ」


脚に、ヒューレアさんの尻尾がからめられ、色々限界だった。


「離してくださ──」


どうやら腕力で負けているらしく、ちっとも振りほどけない、と泣きたくなっていたら。


ぱっと、ヒューレアさんが離れた。


あれっ?


離れてくれた?


目があうと、ヒューレアさんも不思議そうに瞬きして、自分の両手を見ている。


「?」


再び、俺に向かって手をのばそうとして、何かに阻まれたように空中で手が止まる。


「あれ……」


ヒューレアさんの表情からすると、自ら離れてくれたわけじゃない……?


ノルが何かしたのか、とやつを見ると。


「──どうした」


「……いま、…」


何かしたのかと質問する機会を失った。


1階のほうから、ただならぬ物音が響いた。


ドン、という重い音。何かが倒れる激しい音。


ちょっと下の方に耳をすませただけで、ノルが部屋のドアを閉めてしまった。


1階の、たぶん食堂で、なにやら言い合う声がする。俺たち以外に客はいないようだったから、あのおばあさん一人ってことで。


当然心配になった。


俺の表情を見て、ドアの前に立つノルに、首を横に振られる。ヒューレアさんも耳を向けてるだけだった。


まだ、言い合いは終わらない。おばあさんと怒鳴りあっているのは、男の声だ。


「様子を…」


「必要ないな」


「でも」


ハラハラしている間に、急に静かになった。


乱暴にドアが閉められる音が響く。


やっとノルがドアの前からどいて、俺は急いで1階に降りてみた。


食堂のテーブルがひとつ、椅子とともにひっくり返されている。閉じたドアを睨んで、宿屋のおばあさんが肩を怒らせていた。


俺について、ノルとヒューレアさんも降りてくると、おばあさんが恐縮したように首をすくめた。


「おや、お客さん、すまないね。うるさかっただろう」


「──大丈夫?」


うんうん、とうなずかれ、ほっとした。


「ただのならず者だよ。最近やけに増えてね」


倒れてるテーブルを直そうと、手をかけてみたが案外重い。ぐぐ……木製だからか。


苦心していると、ヒューレアさんが手伝ってくれた。簡単に、ひょいと。


………。


おばあさんが、ありがとう、とにっこりする。ヒューレアさんに。


「ならず者でも、いきなり宿屋に怒鳴りこむとか、ただごとじゃあないですね。どこの連中ですか? 火の方?」


せめて椅子を直す。ヒューレアさんは食堂の入り口のドアをちょっと開けて、ちらっと外の様子をうかがった。


おばあさんは、ため息をつく。


「どうだろうねぇ、ごろつきはいくらでも流れてくるからねぇ……。さっききた男は、たぶん盗賊まがいだろうねぇ」


とうぞく……って、盗賊か。


脳内で漢字を確認してしまった。


ここは、そんなに危険な町って、ことか?

古くてさびれた地下の町……こんな所で、なんで暮らしてるんだろう。


「……一人なのか」


つい、聞いてしまうと。


おばあさんは、何故かニヤリと笑った。


「片付け、手伝ってくれてありがとうよ。お客さんたちは、親切だねぇ」


「……」


「外でもあいつらが、何か探しまわってるから、気を付けたほうがいいよ」


おばあさんは、厨房に戻っていった。




部屋に戻ってみると。


「リュウキ、これどう? これ!」


いつ帰ったのか、母さんが上機嫌に何かをしていた。


ベッドに寝てるミューレイの足元に、大きめの布袋があって、ベッドの上にも広げられている。


服……服か……?


「わあ! すごいですねっ、妃殿下! 宮殿から持ってこられたんですか!?」


何故かヒューレアさんが喜んで、服…を眺めはじめる。


「そうよー。いつかリュウキに着せようと思って、毎年作ってたおかげで、最近のはサイズがあうはずよ。リュウキ、ちょっとこれ、着てみて」


純白に、銀の縁取り?がついた、なにかの制服のようなもの。真っ赤な布地に黒い、これも装飾のついたもの。


緑や金色や青や、とにかく派手で高級そうな衣服が、上下セットで大量に。


「ノル、ドア閉めてね」


「うむ?」


母さんの指摘にパタンと、逃げ場をふさがれ、俺は顔がひきつった。


「リュウキ、どれがいい?」


母さんがにっこり笑って尋ねる。俺はデジャヴに襲われる──ごくたまーに母さんの、お買い物ツアーにお供させられて、服を選ばされるあの時と……! まったく同じってなんだ!


「あ、でも俺、……風呂とかはいってねーし……っ」


服が汚れる、と言うと。


「あ、共同ですけど浴場ありますよ。一階に」


ヒューレアさんが何の気なしに口を挟んでくれた。


オヤジ……はやく帰ってきてくれ……。






抗議もむなしく、風呂場においやられ、俺はとりあえず服を着た。


宿屋の2階の他の部屋も借りたらしく、ヒューレアさんは一人で部屋へ。


眠ったまま、まだ意識のないミューレイはノルが見ていてくれることになり、俺は母さんと隣の部屋へ移動した。


袋いっぱいの服を運んで。


「……」


「ここに座って、リュウキ」


ポンポンと、ベッドに座った母さんの隣を示され、しぶしぶ座る。


隣の部屋は、二人部屋のようだ。窓は通りに面したのがひとつ。ベッドが二つしかない、簡素な部屋。


俺が落ち着くと、母さんは吐息をついた。


「体調はへいき?」


「……たぶん」


きかれてから、自分の身体の感覚を確かめてみた。どこも痛くないし、変なとこもない……と思う。


おかしなところはない、けど──前より、やたらと視力が良くなったみたいだ。


それは、言ったほうが、いいかな?


「……オヤジたちは、大丈夫?」


けど、口から出たのは全然別の言葉だった。


母さんが、ちらっと上のほうを見た。


「……リンが頑固だから、あの人も手を焼いてるわね、大丈夫よ。もう少しで戻るでしょ」


それより、と俺の顔をまじまじと眺めた。


また、母さんの瞳が金色に変化した。普段は髪も目も茶色だ。もともと色素が薄いから、違和感はないけど。


目の奧を見つめられ、内側まで見られた気がした。


無表情ではないけれど、微笑んでもいない、綺麗なのにどこか怖い、母さんの真剣な時の顔。


別の世界にいても、違和感のまったくない、いつも通りの両親。


俺は、この時ようやく実感がわいてきた。


本当に、別の世界に来てるんだ──いま。


しかも。


よりによって、オヤジが王様で、俺は王子様って…それはあんまり受け入れられん。


母さんが王妃サマ?なのは似合うけど。


「……なにか、思うことはある?」


ん?


「言葉にするのはややこしいわね。リュウキ、なにか……こっちにきてイヤなものは、なかった?」


イヤなもの。


「……ノル」


「ふ。正直ね。仕方ないわ、相反するもの。彼はおいといて……こう、自分でコントロールできないような、なにか力は感じない?」


──ちから?


なんのことだ?


母さんが自分の胸を押さえた。


「自分の内側に」


内側?


俺は首を横に振る。


母さんは微笑んだ。


「案外、リュウキも馴染むのはやいのね。じゃあ当分は大丈夫そうね」


なにがだろ。


さっぱりわからない顔をしているのに、なぜだか嬉しそうにされた。


なので俺は、別のことを聞く。


「けっきょく…いつまでここにいるんだ」


現実に引き戻されたのか、母さんは困ったように笑った。


「──ちょっと、色々問題が起きてるから、それらが片付いてから、かしら」


「色々……」


連れていかれた、空中に浮かぶ宮殿のことを思い出す。


知らない人達ばかり大勢いて、それなのにみんな両親のことを知っていて、複雑な視線で眺めまわされたことは、あんまりいい気分がしなかった。


純粋に接してくれたのが、シーシアさんと、あの将軍だけだったせいなのもある。


そういえば。


なんかパーティの途中で、他国の使者とかいう連中がきてたけど、オヤジたちに言ったほうが、いいのかな。


すっかり忘れてた……。


迷いながら母さんの様子を見ると、母さんも俺のことを見ていた。


「やっぱりリュウキには、なんでも似合うわね。向こうの生地のほうが種類はあるけれど、特殊な加工は無理だし。装飾品も作らせないと」


……服を見てたのか……。


「そ、装飾品て、なに」


おそるおそる、聞いてみる。


「腕輪にブローチにネックレスでしょ、サークレットと……あっ、肝心の指環を作ってなかったわ! 」


いらねえ!


とは言えないので、首を横に降ってみた。


夢中になってる母さんが、気付いてくれたかどうかはわからない……。







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