第25話
「リュウキ──大丈夫よ」
椅子から、立ち上がりかけてた俺の腕に母さんの手が触れる。山河が半身前に出て、すぐに手の届く位置に来る。
「……」
歩く音もしない、ひどく静かに全身マントの人物が姿を現し、ぱたりと扉が閉まった。
凍りついた空気の中、マントがゆれる。フードがするりと自然に外れ、はじめてその顔を見た。
冷たく、冷然と整った容姿は、見た目は若いのに印象が年老いている。
男は、母さんを見て瞬きし、オヤジを見て山河を見て、それから俺を見た。
感情の薄い顔に、なにかがよぎるのがわかった。
「──ノル、というの。……ふるい、知り合いよ」
「……」
男はただ、会釈する。
さっき、窓の下から見上げていたのは、こいつだ。
でも違う。
なにかが違うのにそれがわからず、俺は目も離せず、ただ相手を凝視した。胸の奥でもやもやと感じるのは、不快感だ。近くにいるだけで、圧迫されるような。
知り合い?
こいつが?
「……あのな。家族旅行が台無しになって、悪かったが、実はまだ帰れそうもなくってな」
オヤジが話し出す。
俺は黙って聞く。
「……何か問題が?」
かわりに、山河が質問した。
オヤジは──ノルを見た。
帰れない理由は、こいつにあるのか。
「ちょっと、手こずりそうでな」
ふ、と、黒灰色のマントが揺れる。ノルが一歩近付いただけで、俺は反射的に警戒した。
「──ああ、すまない。こわがらせるつもりはない」
「!」
こわがってる?
俺が?
「あまり刺激しないで」
母さんが目を細める。
それだけでノルは身を引いた。
「……すまぬ」
ぐるりと首を回して、オヤジが立ち上がった。
「まだ、時間あるな。もう少しさがしにいってくるか──ほら、行くぞ」
「……ああ」
オヤジがうながし、ノルを外に連れていく。姿が見えなくなっただけで、息がしやすくなった。
ようやく、母さんの手が、俺から離れた。
「……何を、探すんです?」
山河が尋ねる。
「落とし物、らしいわ」
「手伝ったほうが?」
「ん──いいえ」
母さんは、俺の様子を見詰めて首を横にふる。
「危険なことだから──だめよ」
──何から考えればいいのか、わからなくてイラついた。
宿屋の部屋のなかで、落ち着かないまま、無為に時間が流れる。
母さんも出掛けてしまい、することがないので、俺はまた窓の外を眺める。
「──リュウキ」
何度か様子を見にきた山河は、何か言いたそうにしているが、やっぱり何も言わない。
「……」
地下の町は、時間の流れがあいまいだった。時おり、誰かが通りを歩いていく。それ以外、ほとんど変化がないのだ。
黙り込む俺を気にするように、ずっと部屋の隅で、黒猫耳少女が立っていた。
元に戻った黒い尻尾が、不安げに揺れる。
「……」
何度か、口を開きかけては閉じ、そのたびに止めるを繰り返す。
山河は四度目の様子見に来て、俺が動きそうもないので、また1階に降りていく。
なにやってんだろ。
ずっと、食堂に待機しているようだ。
変化のない、ただ何かを待つだけの時間……。
変化が起きたのは突然だった。
宿屋の前の通りを、バタバタと子供が走り抜ける。
それを追いかけて数人、大人が走っていった。
……なんだ?
いまの子供、見覚えがある。
俺が部屋を出ると、慌てたようにミューレイも付いてくる。
階段を降りかけると、宿屋の扉を少し開けて、山河が外をうかがっていた。
山河も気になったようだ。眉をよせている。
俺が降りていくと、扉を閉めかけて、止まった。
がしゃんどかんと、どう聞いても物騒な物音。
「リュウキは」
「……わかってる」
微笑んで山河は出ていった。俺は仕方なく、丸テーブルに座る……。
視界のはじで、黒い尻尾がふらふら映った。
「……座れば」
「えっ」
びくっとミューレイは飛び上がった。
「と、とんでもないです……っ」
何をびくついてるのか知らないけど。
ほどなく、山河はすぐに戻ってきた。
肩に、暴れる子供をかついで。
「はなせえーっ!」
ミューレイがぎょっとして、下がった。
宿屋の扉を閉めてから、子供はおろされる。
あー、やっぱりそうか。
目付きの悪さに見覚えが。
「俺のケータイ、とったガキか……」
「!」
振り向いて俺に気付き、子供は驚いて逃げようとする。だがもちろん、扉の前の山河はどかない。
子供は逃げ場をさがして、あたふたと食堂を見回す。
「なんか追われてたな。また誰かのポケット、狙ったのか?」
「らしい。たぶんあれはよそ者だな」
ふーん。
「……おまえ、ここの住人?」
子供は答えない。ぎろりと睨まれた。
子供が俺を見る目に、怯えがあった。
いくつだろう。まだ小学生くらいだろ……手足が細くて、痩せすぎている。粗末な服に、穴のあいたズボン。きっと、風呂にもしばらく入ってない。
俺は、ここに来るまでの町並みを思い出す。
古い家々。くたびれた風体の人々。活気のない空気。
さっき宿屋に集まってた大人たちも、同じ空気をまとってた。
地下にあるから暗いのか。
外は、ずっと雪が降ってるし。
こんな所で暮らしてたら、絶対気が滅入る。
「親、いないのか」
俺の質問に、子供の眼差しが鋭くなる。
「かんけーねーだろ!」
「……あ…」
ん?
ミューレイが後ろを向き、食堂の入り口に現れた宿屋のおばあさんが、じーっと俺たちを見ているのに気付く。
おばあさんは子供の顔を眺めたとたん、立て掛けてあったホウキをさっと手に取った。
「このぬすっとが!」
「わあっ」
振り向けたホウキの先から、氷の粒がビュンと飛ぶ。いきなりの暴挙に、子供は頭をかばって2階に駆け上がって逃げていく。
年齢にそぐわぬ敏捷さで、おばあさんが追いかけていき、2階でドタドタと走りまわる音と、がしゃんと窓の割れる音がして、それからしーんと静けさが戻った。
……俺は、山河と目を合わせた。
あのおばあさんは、怒らせないほうがよさそうだ……。
それから夜になるまでは、何も起きなかった。
ぽつり、ぽつりと誰かが宿屋を覗きに来ては、オヤジが帰ってきてないか、聞いていく。
俺は何回も、まだと答える。
夕飯時になると、やがて帰らない人が増えてしまい、食堂の席はどんどん埋まっていった。酒や料理が注文され、おばあさんがせっせと運び、とっても忙しそうだった。
聞いてもいないのに、俺はオヤジの話を聞かされる。
オヤジと母さんが宿屋に戻ってきた頃には、大人たちはすっかり出来上がっていた。
「……なんだお前ら、家に帰らないつもりか?」
あまりの盛り上りぶりに、オヤジはあきれて俺の姿を見つける。
「おかえり」
俺は、厨房から顔を出す。
「ただいま……って、お? 手伝ってるのか?」
……仕方ねーだろ。
俺も山河もミューレイまで、おばあさんの手伝いをするはめになっていた。
「飲み物追加」
「こっちは料理、四人分」
「こっちも頼むー!」
この宿屋によく、こんなに食材や飲み物があったもんだ。
大人たちの食欲は底なしなのか、注文が途切れない。
いや、もう食料品は無くなりかけている。
鬼のように厨房で動きまわっていたおばあさんが、首を横に振った。
俺は食堂の連中に告げにいく。
「もう、料理も飲み物もないってさ」
「なにー!?」
まさか、この宿屋を切り盛りしてるのが、おばあさんひとりっきりとは思わなかったから。
食堂が満席になっていき、料理が出てくるのに時間かかってたから、つい様子を見に覗いたのが運だった。
皿を運ぶくらいなら、と手伝いはじめたら、ミューレイも手伝いはじめて、山河まで。
とうとう、食材がつきるまで、手伝うはめになったけど。
「食材が足りないの? あら……調達してくる?」
帰って早々、厨房をのぞいて母さんがつぶやくと。
「あっ、もうこんな時間か!」
「帰ろう、帰ろう、ばーさんごちそーさま!」
「お代、置いとくよー」
ガタガタと大人たちは、競うように帰りはじめる。
オヤジが苦笑して、彼らを見送る。
やっと静かになった宿屋で、丸テーブルに置かれた石を、おばあさんがせっせと回収。
と、なぜかそのうちのひとつを、俺に差し出してきた。
「え……と?」
ぐい、と押しつけるように渡されて、受けとる。
これって、お金の代わりになる石だよな?
もらってしまった。
おばあさんは、ミューレイと山河にもひとつずつ渡して、せっせと片付けを始めた。
「手伝った、お駄賃、だな。よかったなリュウキ!」
オヤジに頭をわしわしされたので、首をすくめる。
みんな俺を見てニコニコしている。
なんだよ。
「……リュウキ王子は、お優しいですね」
ポツリと、ミューレイが小さくつぶやく。
もらった石を、嬉しそうに指先で撫でて。
その時になってやっと、戻ったのがオヤジと母さんしかいないのに、気付いた。
アイツがいない……?
俺がきょろりと見回すと、椅子に座りながらオヤジが教えてくれる。
「ノルなら、上にいる」
そうか。
「それより、おれらのメシは?」
「ちゃんと確保してありますよ」
山河が、厨房に取っておいた料理を運ぶ。
俺と山河たちは、手伝ってる最中に食事も済ませていた。
大勢いたとは思えないほど、宿屋はしんとしている。
……これから、どうするんだろう。
まさか、用事が終わるまで、帰れない、とかか?
両親が食事中、話があるかと待ってみたが。
「──今日は休むか」
「……そうね」
オヤジたちは、さっさと2階に上がってしまう。
俺は、仕方なく部屋に戻る。
なぜだか、ミューレイがついてくる。
「もう、休まれます?」
「……えっと」
「はい?」
大きな黒い瞳が、きょとんと俺を見る。
なんで山河はなんにも言わなかったんだ。
てゆーか誰も、この子のことを考えてないよな……。
ヒトに戻れるとは、思ってなかったし。
「これから、どうする?」
「え?」
「家とかに、帰らねえの?」
「……」
俺の質問が悪かったのか、みるみるうちにミューレイの表情がくもった。
「お……お側にいたら、ダメ、ですか……?」
「ダメっていうか」
そもそも、猫なら気にしなかったけど──いや、そうだ。
俺は、大事なことを思い出した。
そもそも、なんで最初にミューレイは、あの獣人族の村で、俺を襲ってきたんだ?
その前に、別荘にも現れてるし。
「最初に……俺を襲ってきたのは、なんで? あと、別荘を覗いてた、よな?」
言われてから思い出したように、ミューレイは青くなった。
「あ……」
すっかり忘れてたのは、一緒のようだ。
「そ……それは──」
両手を組み合わせてぎゅうっと、握りしめてうつむいてしまう。
「俺、ここにきたばっかりだったし、俺がオウジサマだなんて、自分でも知らなかったし。……俺が王子って、ダレに聞いた?」
村で確かに、獣人族のヒトたちには知られたみたいだったけど、ミューレイが別荘でばったり俺に会ったのは、その前だ。
おかしすぎる。
俺たちが別荘にいるのを、前もって知ってないと、あそこには来ないんじゃないか?
俺たち家族が、あの別荘にいるってことを、誰が知っていたのか……ということになるよな?
考えこんでいると。
急に背筋が寒くなって、反射的に窓を見た。外を見下ろせば、またアイツが──ノルが窓の下に立っていた。
理由はわからないが、アイツが近くにいるだけで心臓が冷える。
まとっている空気が暗すぎて──重すぎて。
覆い尽くされそうで。
俺が、苦い顔で見下ろせば、ノルは困ったように瞬きした。
「すまないが、二人を呼んでくれ……いや」
なにか気になるように、辺りを見回して、言い直した。
「──逃げよ」
──逃げろ?
なにから?
通りを見渡すが、誰もいない。俺はいぶかしく思ってノルを見返すが。
背後で小さく、息をのむ気配。
ミューレイがお腹を押さえて、膝をつき、くずおれる。その後ろに男がいた。
いつドアが開けられたのか、俺が振り向くと、男は血まみれの剣を構えた。
一歩二歩と迫ってきた男の後ろで、慌てたようにドアの枠をつかんで現れた山河と、目があった。
俺は、呆然と突っ立っていた。
一瞬で詰め寄った男が素早く離れ、窓を突き破って外に飛び降りる。痛みが走るまで、俺はなにが起きたかわからなかった。
胸から血が溢れ、膝から力が抜けて、山河に受けとめられて、やっと理解する──刺されたのだ。
「リュウキ!!」
呼ぶ声が、やけに遠い──息ができない。
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