第23話
いつの間にか、時間は経っていたらしい。
廊下をギシギシ歩く音がして、がチャリとドアを開けて、ヒューレアさんが先に帰ってきた。
「ただいまー、王子、リーンはまだ?」
「まだ」
「そっか。下の食堂にいるね」
ばたばたと、部屋を出ていってしまう。
オヤジたち、見付からなかったのか。
黒猫が目を覚ましたが、また眠ってしまう。
一人で待つことしばし。
カタ、と窓が微動した。
なんだろうと窓の外を見ると、窓の下に誰か立っている。
全身黒いマント、身長が高い痩身の、おそらく男──。
──なんだ?
見た瞬間、寒気が襲ってきた。
ぴくりとも動かない相手は、まっすぐに俺を見上げている。フードに隠れて、あごと喉しかうかがえない。
顔を見るのが恐ろしい気がした。
なんでかは、知らない。
「……っ」
身動きできないで、冷や汗だけかいていたら、ふと相手が横に視線をずらした。
宿屋の一階がにぎやかになる。人が来たようだ。
とたんに金縛りがとけ、俺はずるりとベッドに座り込んだ。
心臓が早鐘を打っているのに、手足が冷たい。なにか、見たらいけないものを見てしまったような、恐怖感。
かすかに、震えそうになる指を握りしめて押さえた。
じっとしていると、階下が騒がしくなった。
人の話し声が2階の部屋まで響いてきている。
「──だろう。どこだ?」
「……です」
どかどかと、階段を急いで上がってくるのが誰かわかって、俺は顔を上げて待つ。
「……リュウキ!」
上気した顔に、心配と喜ばしさの両方を浮かべて、久しぶりにオヤジの顔を見た。
「大丈夫だったか! おい……顔色わるいぞ」
せっかく、やっと再会できたのに、俺は身動きできないまま、オヤジの手のひらで顔や頭を撫でられる。
「オヤジ……」
オヤジの後ろで、山河が気がかりそうに見守っている。
ちゃんと、オヤジ達を探せたんだな。良かった……心底ホッとして。
「母さんは?」
「下だ。おい……リュウキ? リュウキ……っ」
「リュウキ!?」
焦った二人の呼び掛けに応えられず、俺は意識を手放した。
真っ暗な森の、奥ふかくで。
俺をかばうのは、まだ子供の背中。
おしよせてきた巨大な夜が、子供をのみこむ。
『……げて……リュ…っ 、 にげて……!』
子供よりも俺はちいさくて、目の前でなにが起きてるのかわからなかった。
夜が、こまったように俺と彼をみている……。
……ちがう。
アイツだ──。
夜、じゃない。
さっきいた。
目を開ける。
優しく頭を撫でる手が、ふととまって、前髪をすく。
すうっと金色から茶色に変化した瞳が、いたずらっぽく笑った。
「おはよう、リュウキ」
「……はよ」
「気分はどうかしら?」
いわれて、自分の体をさぐってみたが、悪いところはなかった。あたりはしんとしている──部屋に他の人はいない。
自分が、どこにいるのか、思い出した。
やっと、オヤジに会えたことも。
俺はベッドに寝かされ、母さんがついててくれたようだ。
いつも通りの母さんに安堵しつつ、上半身を起こす。
カリカリ、とドアをひっかく音に、母さんが立ち上がって開けにいく。
「ニャー!」
「あら」
するんと入り込んだ黒猫が、まっすぐ俺のところにくる。
「猫?」
他には誰もいなかったので、ドアは閉められる。
不安げに俺を見上げる黒猫は、うろうろと、ベッドの上に乗っていいのか迷っていた。
「おいで」
「ニャー」
母さんの方をうかがってから、遠慮がちにベッドに上がった黒猫は、なぜか隅っこに座り込む。
「どこの猫?」
あー、えっと。なんて説明しよっか。
「か、……飼っていい?」
反対されるかと思った。
だが、母さんは微笑んだ。
「いいわよ。かわいい子ね──首輪つけないと」
母さんも、黒猫を気に入ったようだ。ホッとした。
撫でようと手を伸ばし、尻尾がないのに気付く。
「尻尾はどうしたの?」
「……切られちゃったんだ。な?」
「ニャー」
悲しそうに黒猫が鳴き、母さんは眉をひそめる。
「──じゃあ、戻してあげなきゃ、ね」
つうっと、長い指が黒猫の頭から、背中までを撫でた次の瞬間。
黒猫の全身が、金色の光に包まれて、ふわりと空中に浮く。みるみるうちに尻尾が生えて伸び、四肢が伸び、体が大きくふくらんで、黒い毛皮がさらさらと、長い黒髪に変化し──少女の姿に戻って、ぱさりとベッドの上に着地。
夢から覚めたような顔で、黒い猫耳の少女は、ぼーっと俺の顔を眺める。
俺は、驚きすぎて声も出ない。
「お名前は?」
母さんがたずねる。
「……ミューレイ……です……っ、はわっ!? えええっ!?」
自分が人型に戻ったことに遅まきながら気付き、慌てすぎて、ベッドの上から──俺の上から落っこちた。
どたんと床が鳴る。
音を聞き付けてか、すぐに誰かが上がってくる気配がする。
ニコニコと、母さんが笑っている。
「──」
やばい。
猫が女の子だったの、忘れてた……。
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