第17話
俺が着てきた服は、綺麗にたたまれて、部屋のすみに置いてあった。靴もある。
いそいで着替えて、フードコートもはおって、部屋を出る。
みんな、晩餐会場に出払っているようだ。
記憶をたよりに出口を目指した。
白い壁と柱が延々と続き、時々迷いながらもなんとか、建物の外に出られた。
夜の空は、真っ暗じゃなく、星がきらめいている。月はない──冷たい風が吹き付け、コートが飛ばされそうになる。
迷子になった気分で、敷地一帯を見回してみたが、誰の姿もなかった。
こっから、どうやって下に降りるんだ?
建物から離れて、空しかない境界の端に近付いてみたけれど。
遥か下に、木々がうっそうと繁ってる他は、本当に空しかない。どっかに階段とか、なにかないかとキョロキョロして。
「ニャー!」
黒猫が走り寄ってきた。
「お前も来る?」
「ニャー」
すっかり定位置になった俺の肩に飛び乗って、黒猫がぴくんと警戒した。
俺も気づいた。
暗くて、さっきまで誰もいなかったのに。
全身真っ黒な格好のなにかが、低い姿勢のまま飛び掛かってくる。慌てて下がった。
すぐ後ろは、地面が終わってて、落ちたらまずい。
影は三つ。なんでか、俺を狙ってる。
ジリジリと下がるしかない。
助けを呼ぶ考えはなかった。ここから、こっそり出ていこうとしてたんだから。
音もなく、飛び掛かってくる。転ぶように避ける。黒猫が影のひとつに飛び掛かって、バシッと払われた。
「!」
慌てて手を伸ばしキャッチするが、別の影が首に噛みついてきて、反射的に腕を動かす。
がぶりと噛み付かれる。
こいつら犬?っぽい! 全身真っ黒で、なんか実態がはっきり見えねぇ──くそ!
右足で、一匹は蹴りとばせた。腕に噛みついたやつは、そのまま地面に叩きつける。あと一匹──どこだ。
右後ろ。
黒い牙が迫るのを、肘で横殴りにはじく。
動かなくなった影たちは、そのまま夜の空気に溶けて消えた。
──消えた?
「……」
しばらく待ったが、それ以上何も起きない。
もう大丈夫か?
「……ニャー……」
くたりと、黒猫が腕の中で脱力した。
どのくらいそこにいたんだろう。
ときおり、遠い星のきらめきの中を音もなく、透明ななにかが、飛んでいった。
どうやったら下に降りれるのか、さっぱり思いつかない。
気絶してた黒猫が目を覚まし、ぶるっと身震いして俺を見上げた。フンフンと鼻を近づけて、ペロリと舐めてくる──腕を噛まれたんだっけ。忘れてた。
「お前、翼はえたりしない? こう、でっかくなったり……」
「ニャー?」
首をかしげられた。……ムリか。
いったん部屋に戻るしかなさそうだ。
ダメ元で、下に降りたいって、シーシアさんに言ってみるしかないか。
「ニャー……っ」
立ち上がろうとしたら、黒猫が焦った様子で鳴いた。ふわっと小さな体が浮く。嫌がるように四肢をバタバタさせて、ぶわりと巨大化した。
「えっ」
黒い毛皮が波立ち、全身が光って、肩からずるずると翼が生えた──ばさりと。
姿は黒猫のまま──背中にでっかい黒い翼が生えて。
「……」
でっかい猫だ。
乗れそう。
黒猫は、自分の体を確かめるようにくるりとまわり、翼をばさりと力強く動かし、軽く跳躍。
軽々と飛び上がった。
夜空に駆けあがり、かなりのスピードで上空を一周し、満足したように降りてくる。
「すごいな、お前……!」
「ニャー!」
鳴き声は可愛いままだけど。
変化した姿に感動していると、呼び声がした。
白い建物の一角から、ズルズルとなにかが。
「王子様……!」
焦った様子で出てきたのは、半身長い蛇の姿の、地下室にいたラウーさんだった。
うねうねと下半身を這わせてこっちに急いでくる姿に、さすがにビビる。
「王子様! わかりました! 陛下の行方が……あ、この猫は……?」
陛下?と首をかしげる。
……あ、オヤジのことか!
「わかったの!?」
「は、はい……こちらに」
巨大化した黒猫に戸惑いながら、ラウーさんは手元のボールを俺に見せる。
黒いもやが混じる中、ちぎれちぎれに人物が映る。
俺は息を飲んだ。
オヤジだ。
どこか、暗い部屋で座り込んで、まわりの人達と話してる……。
「ここ、どこ」
ラウーさんは集中するように、じっとボールを見詰める。
「──正確な居場所は不明ですが、……おそらく廃都……です」
「はいと?」
「ここからだと、たぶんあっち──霊峰を横切って、ずっとずっといった先に境界の壁があって。その向こう側です。……混沌の都」
右の空向こうを差し示し、不吉そうに見詰めて説明される。
「母さんもそこ?」
「おそらくは……」
なんでそんなとこにいるんだ、二人とも。
「わかった、ありがとう。……あ」
知りたいことが、もうひとつあった。
「山河がどこにいるかは、わかる?」
「ヤマカワ?」
ハテナという顔をされてしまった。
そっか。通じないのか。えーっと……。
「……り……リーン……?」
「ああ! ユノナイツ様ですね! お待ちください」
ラウーさんは、再びボールに手をかざす。
緑の森が映った。
派手な騎士の衣装から、目立たない格好に戻ってる、山河の姿が映った。
木に寄りかかって寝てる……。
「どこにいる?」
「近いですね。やはり向こう、霊峰沿いの道の、途中の森のようです……」
ラウーさんの手が震え、映像がふっつり消えてしまった。呼吸が荒い。汗をかいてる。
「ごめん、無理させた?」
「い、いいえっ」
「ありがとう」
お礼を言うと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
大事そうにボールを抱え、一礼して建物に戻っていく。
「ニャー?」
行くの?と聞かれた気がした。
うなずくと、黒猫は四肢を折り、背中に乗るよううながしてくる。
俺は黒猫の背中にまたがって、首まわりにしっかりしがみついた。
黒猫が立ち上がり、ぐんっと勢いよく飛び上がる。
黒い翼が力強く羽ばたき、あっという間に夜空へと駆けあがった。
吹き付ける風になぶられながら、木々がひろがる大地を、上から眺める。
背後を振り向くと、薄い膜のようなものにまるく包まれた、不思議な建物群が浮かんでいた。
複雑につながる白い建物が、ぽっかりと空中に浮いている──やはり地上とつながる部分が見えない。
ということは、本当に空に浮かんでるのか……どうなってるんだろう?
黒猫の毛並みがさらさらしてて、気をゆるめると滑り落ちそうだ。
俺は前方に視線を戻しかけ、右側、はるか遠くに巨大な山肌があるのに気付いた。
青灰色の木々や岩肌で覆われた、頂上がみえない……巨大すぎる山。
あれが、ラウーさんの言ってた、霊峰かな?
遠くからみても、迫力のある山だ。嶺がいくつかぎざぎざと急勾配についてる。
上の方は厚い雲の中だ。
黒猫は、その霊峰のやや左手前の、森の中へと降りた。
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