第7話
けっきょく、そこから出発できたのは、夕方近くになってからだった。
窓ガラスが散乱した台所を、みんなで片付けたからだ。
家に戻ってきた、おそらくそのログハウスの家主のおばさんが、台所の惨状に泣いてしまったのだ。
黒猫は、どこからか持ってきた小さな檻にいれられ、俺たちはホウキで割れたガラスをはき集め、汚れた床をふき、窓に仮の布をかけた。
それからようやく、移動の準備をすませてばたばたと出発して。
俺と山河とヒューレアさんの3人で、山道を降りている。
俺だけ、馬に乗せられて。
「……おりる」
「もう少し、我慢してくれ」
山は、そんなに急斜面ではないものの、かなりの速さで下っているので、馬の背中からすべり落ちそうだ。
手綱を握る山河も、後ろからついくるヒューレアさんも、さくさくと平然と歩いてるけど、確かに、二人の速度について歩けないだろうけどさ。
「王子様は、馬に乗ったことないんですか。へえー」
あるわけないだろ。
乗り慣れなくて、めちゃくちゃ疲れる。
と、いうか。
「……その、王子様って、呼ぶの、やめてく」
馬がぶるっと身震い。
あやうく舌を噛みかけた。
「……やめてくれ……ますか」
「プッ」
見ていたヒューレアさんがふきだす。
山河が、ん? と振り返る。
「ああ、下についたらうるさいから、王子って呼ばないとだな」
「なんで!」
「隠してもバレるし……な」
「ナニが?」
大木の根っこが突き出ていたり、大きな岩があったりするたびに、右に左に方向がかわる。そのたびに、馬から落ちそうになるので、必死にバランスをとる。
もう無理。
歩いた方が、絶体楽!
「ちょっと腰を浮かせて、両足の太ももで体支えて。馬の動きに呼吸あわせて……そうそう」
泣く泣く、ヒューレアさんに指示される通りに頑張ってみる。でもやっぱ疲れる。
山河は、前に向き直った。
「──見ればわかる者には、リュウキが誰なのか、一目瞭然なんだ」
??
意味わからん。
「だから、しばらく頑張って。リュウキ」
腕も脚もしびれてきた頃、ようやく、進行速度がゆるんだ。
森の境界線なのか、大木が消えて道らしきものが視界に入ってくる。
道といっても、土を踏みかためただけのもの。
それでも平地に出られて、俺も馬もほっとした。
山河は道の左右を確かめる。
「さて。どっちに行くか」
隣にヒューレアさんが並ぶ。
「セトレアじゃないのか?」
「リュウキが最初に訪れた方ってだけで、喧嘩になりそうだろう」
「まあ、そーだな。確かに面倒だな」
二人して考え込みはじめる。
俺は、がくがくする腕から力を抜いた。
だいぶ、日がかたむいてきたような。
苦労して馬から降りた。
まだ、体が揺れてる気がする。
「リュウキ」
馬から降りたの怒られるのかと思ったら、違かった。
山河が聞いてくる。
「右と左、どっちがいい?」
う?
うーん……。
「右」
「了解」
「え、リーン?」
そんな決め方でいいのか、とヒューレアさんはあきれている。
手綱を右に引き、山河は馬の首を撫でた。
「この際、リュウキに決めてもらおう」
「セトレアか……まあ、妥当だ」
「それって、町かなんかの名前?」
馬に乗れと言われないので、ほっとして質問してみる。
「町をいくつか経由するが、龍一様が治める国のひとつ」
「……ひとつ?」
聞かなきゃよかった。
本当に、オヤジが王様やってるのか──想像つかねえ……。
それで、俺が王子様?
──ありえん。
「王子、セトレアはじめて?」
のんきにヒューレアさんは話しかけてくるけれど。まったく違和感なさそうに、王子って呼ばれてるけど。
なんか、他人のことにしか思えん。
居心地の悪さに顔がひきつりそうだ。
「リュウキは、人前に出してない。誰とも面識ないはずだ……が」
「隠し続けてきたものなー。大騒ぎになるかも」
なんだそれ。
「……それは仕方ないが…ヒューレア?」
「ん?」
「お前もくるのか」
「そりゃあ……王子様と仲良くなっておかないと、ね」
ん?
意味ありげににっこと笑いかけられ、なぜか背筋が寒くなった。
この人は怖い。人懐こいし美女だけど、山河とずいぶん親しげだけど。黒耳少女とのやりとりを見てしまったせいか、容赦のない性格な気がする。
笑顔が本心からとは、わからない。
けっきょく。
「リュウキを手なずけようとか、無駄だから」
「ええー? リーンにはなついてるじゃないか」
「そう見えるか?」
俺がむすっとしたのを見て、山河はいつもの苦笑。
「生まれた時から面倒みてるけど、いまだに名前ですら、呼んでもらえないからな」
「……えっ」
心底驚いたように、ヒューレアさんにまじまじと見られてしまった。
「それはやっぱり、お前が意地悪いからか?」
「おい」
「それとも、キザで女殺しだから?」
「……ヒューレア」
「おお、こわ。冗談も通じないよなー。付き合い悪いしなー。ねえ王子様」
俺に振らないでくれ。
山河まで黙ってしまったので、しばらく微妙な沈黙のまま、道を進み続けた。
どんどん日が落ちて、辺りが真っ暗になってしまい、俺は馬のたてがみをちょっと握らせてもらって歩き続けた。
道も真っ暗。
かぽかぽと、馬の蹄の音だけ。
さすがに疲れた頃、ようやく前方に灯りが見えてくる。
「ちょっとここで待っててくれ」
「私がいくよ。リーンは王子様といて」
たたっと、ヒューレアさんは先に行く。
灯りのない夜道で空を見上げても、星もなにも見えない。
前に立つ山河は、ずっと口を閉ざしてる。
気まずくて、俺も黙りこくる。
どのくらい待ったのか、パタパタと足音が戻ってきて、金の瞳が闇夜でまたたいた。
「宿とれたよ。王子様は、これ、頭からかぶってて。いいって言うまで人前でぬがないで」
ばさりと布を手渡され、よくわからないまま言われる通りにする。
布から、不思議なお香の匂いがしていた。
山中の獣人族の村にくらべると、大きい町のようだった。
石で組まれた門から中に入ると、真っ直ぐ石畳の道がつながり、左右に家々が並ぶ。
すれ違う人々は、普通の人もいれば、そうじゃない人もいた。
馬にぴったりくっつき、頭にかぶった布を片手でしっかりと押さえ、俺は緊張し続けた。
見たことのない衣装、見たことのない体つき、顔つきの人々。集中して耳を向けると喋ってる言葉がわかるけど、流して聴いているとさっぱりわからない。
獣耳や尻尾を揺らす獣人族のほかに、着ぐるみみたいな──え? あれ? 本物の太った大柄な猫? が歩いてる──どしんどしんと震動し、慌てて周りが道をゆずる。
ぎろりと、大きな目がこっちを睨んだような。
慌てて視線をそらす。
馬の手綱を、今度はヒューレアさんが握って先導してくれている。山河はしんがりだ。時々、若い女性も妙齢の女性も幼子にいたるまで、俺の後ろに視線を奪われたように、熱心な眼差しを向け──こっちでも山河はモテるようだ。
ふん。
町の灯りは、三角の箱にオレンジ色の光がまたたく不思議な箱で、家々の玄関横に設置されていた。
強く光ったり弱く点滅したりと、落ち着かない。
町のだいぶ奥まで進んできて、ようやくヒューレアさんは足を緩めた。
「今夜はここに泊まります」
俺に向かって建物を指し示す。
二階建ての、大きな建物。
入口脇に使用人ぽい人達が控えていて、うやうやしく内部に案内される。
「馬は別なので」
しっかり握りしめていたたてがみから手を離すと、馬は、使用人に預けられてしまった。
「こちらへどうぞ」
ヒューレアさんはすたすたと使用人についていく。俺は、しっかりした石作りの家に、ちょっと安堵した。
さすがに、疲れた。なんでもいーから風呂入って寝たい。
一番奥の部屋に俺たちを案内して、使用人は食事はどうするのか、ヒューレアさんに聞いている。
うとうとと、俺は近くにあったソファに座り込んだ。
使用人が出ていって、ドアが閉まってからやっと、布を取りはらう。
「お疲れさまです、王子。すぐに食事を持ってきてもらいますから」
ヒューレアさんはなぜか、ドアの外へ。
「さすがに、疲れたか?」
山河が顔をのぞきこみ額に触ろうとして、俺に睨まれ、手を引っ込める。
窓に近付き外を眺めはじめたので、俺はゆっくりと手足を伸ばした。
驚くことがたくさんあるはずなのに、疲れすぎてて考えられない。
頭が重い……眠い……。
どこか。
暗い森の奥で。
俺はけんめいに誰かをさがしている。
歩いても歩いても、その誰かはみつからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます