第10話親の存在意義とは
アラン・エプスより
”子供は自分で道を選ぶ、親の思い通りには出来ない。価値や常識を教え、人間形成を手助けし、あとは見守るだけだ。本人の行く道を信じるしかない”
私にはとても響いた言葉だ。それこそが親だと思う。
我々は道具として育てられた。思い通りの道具にならなかったらゴミとして捨てられたからだ。
私はそうなった人間を何人も知っている。私自身もそうである。
だが、私は泣き寝入りをするほどの腑抜けではなかったから最高の舞台で
死ぬ準備をしてMaxに達した時二回目の確実に死ねるようにした。
だが、何の因果か生き残った。
私が考え抜いた死に場所は奪われた。
生き残ったからにはと……はすぐにはならないほどの負を背負った私は、私に適合した生き様を探している。
思う事も、考える事も、少しづつ出来るようになってきた。
最初の予定では死ぬまで復帰は見込めなかったが、私は二年かけて自分を分析した。
分析は仕事でもしてたこともある。完全に分析を終えた結果、私には”死”しかなかったが、分析はあくまでも机上の空論と同じで調べに調べ、隙もないほど自分を分析して一番適合しているものを答えとする。
だが、実戦で色々分析結果に変化が出た。私が思っていた事を否定する結果だった。
感情が消えたと思っていたが、ある事をきっかけに思い出さないように私の精神を司る自分が自動発動のように生きれるようにするために私自身の消さなければいけない部分を隠した。
別に自分の中に誰かいてみたいな話ではない。私は哲学から色々日々学ぶことが多い。哲学とは探求心が無くてはいけない。映画で例えると「ワールド・オブ・Z」の第10の男だったか11の男だったかは忘れたが、要するに10人が同じ答えを出した時、11番目の男はそれとは違う答えを出さなければいけないというものだ。
思想的にはそんな感じである。自分から感情が消えてないことを知った時ははっきり言って死ぬほどの苦しさに襲われた。数分間だったが地獄が永遠に続くような気持ちになった。
それで分かった。自分には感情はあるが、隠しているだけだと。そしてそれをコントロールすることは出来ないと私の中の私は判断した。
それを知った時、感情が無くなった他の部分にも納得がいった。
昔とは違い、負の感情がほとんどない。仮に怒りが生まれても一瞬で消える感じで、昔の私からは想像もつかない。
私の場合はその他の感情も消えていた。こうなってから私はロボットのように自分のことではないように話すと何人かの人に言われた。
負の感情だけ封印することは出来なかったのだと判断している。
そして封印したものは決して開けてはならない。
その日から二日後、私は急性心不全になった。だが苦しみの桁が違うほどだった。
急性心不全のあと、慢性心不全にもなったがあの程度なら耐えることは出来る。
当然処置はしないと死んでしまうくらい苦しいが、
あのパンドラの箱を開けた時の事とは比べ物にならなかった。
私は自分がギリギリで生きていることを理解し、あの恐怖は二度と味わいたくないと思い、それまで断っていた心療内科やカウンセラーも受けることにした。
私を取り戻したら…………取り戻してから考えよう。
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