第2話実話 幼少期

 一話目にも書いたが、七年前に何が起こったかを話すには保健士さんに話す時にも非情に悩んだ。


 まず何故かというと、異常すぎる世界で生きてきたことが前提にあるため多くの人には話してはいませんが、話を理解するには読解力がある程度高めでないと話自体を理解できないこともあります。


 それほど七年間の出来事を話すには複雑に絡み合った異常で異質な世界をまず理解し、その事に対して疑念を抱かず信じてもらえないと、多くの人間は自分自身で得てきた知識から勝手に答えを出そうとする傾向があるため、私が理解していないだけで他にも何か理由があったのではないかと思われる事も多々あります。この時点で比喩で表すと壁を超えることが出来ず、聞き手は勝手な意見に身を投じてしまい通常でも複雑な話が更に訳の分からないものになるからです。


 私は約二年前、数回保健士さんと話した時に、一生懸命メモを取りながら複雑な関係図を取る保健士さんに私の話を何故信じられるのか? と質問したことがあります。「話に一貫性があるからです」と答えられた。私がもし保健士さんの立場なら信じないから質問してみた。


 私は母親を思い出した。確かに私の母親は大噓つきだった。嘘つき程度なら己のついた嘘を覚えているかもしれないが、知能も低く大嘘つきの典型的な人の特徴は嘘であるが故にその場を取り繕うだけのものであり、後日その話を振っても覚えてない場合や本当は違うなどという言い訳をよくする傾向がある。


 父親は子育ては下手で、何かとよく殴られたり、門限を過ぎると数時間は入れてもらえなかった。正面にあるアパートの住民の人が危ないからうちに来なさいと入れてもらったこともあるほど長い間外に出されていた。


 その後、体裁を気にする母親の提案で四階にある一畳あるかないか程度のコンクリートむき出しの鉄の扉の小部屋に閉じ込められるようになった。電球や電気もなく、2、3メートルほどの高い位置に小さな光が差し込む程度の窓があるだけの部屋に何度も閉じ込められた記憶はある。私はメンタル面は幼少の頃から強かったほうなんだと思う。テーブルマナーを家でしていてフォークから一滴テーブルにソースが落ちただけで顔面が切れるほど殴られた。


 私は運が悪い。だが人との巡り合わせの運は強い。私は小学生の低学年の頃、遠縁ではあるが当時、ある大学の助教授だった叔父に「お前は普通の一族ではない。何でもかんでも当たり前だと思うな」とよく言われていた。


 「そんなこと思ってない」と言うと、「いや、分かってないだけだ。今が当たり前だと思っていると大変なことになる」とよく言われた。


 話は幼少期に哲学的な思想に触れた所まで戻る。当時の私は成績もすこぶるよく習い事だけでも常に七つほど習っており、塾や家庭教師も七つほど行っていた。夏休みは当時四十日程度あった中で、そのうち一カ月はホテルしかない離島で勉強の合宿に行かされ、家に戻るとラジオ体操に行ってないのにハンコは全部押されていて、宿題を三日程度で終わらせて、家庭教師の大学生に大金を払い科学研究をやらせて、それをただ黙々と移していた。


 当時、どんなに多くても三十ページくらいが妥当な枚数に対して、私は百~二百ページの科学研究を出していた。その時はただ黙々と親の言うなりにしていた。


 当然ではあるが、幼稚園の頃からお稽古を色々しているせいもあり、裕福な家庭という理由も重なり、誰とも縁がないため毎日集団にいじめられていた。ドブに落とされたりしても親はその事については全く触れず、私は帰ったらシャワーを浴びてすぐに塾などにいかされていた。


 そんな日々が毎日続いた。小学校に上がってもいじめは変わらず、ある日私は小学校でジュースの瓶をわざと割った。しかし塾があるため先生に呼び出しをくらったがすぐ家に帰って塾に行った。先生はまだ小さい子が塾に通っているなど思いもせず、私が嘘をついていると思って家まできたらしい。親が本当に塾にいってていないんですと言われて、どういう気持ちだったろうかと今は思う。


 私が当時は哲学という世界がある事は知らなかったが、哲学に触れたきっかけはある塾がきっかけだった。少人数制の塾で成績の順番に席が決まっていた。


 ある日、母親にその塾の先生がお前に個人勉強もさせたいと言っているから行きなさい。と言われ、私はそこの個人勉強も追加で行かされだした。そこはようするに1、2学年上の授業内容だった。

 

 そんな日々が続いたある日、何がきっかけで聞いたのかは忘れたが、塾の先生が私の母親に頼まれて個人勉強をしていると言われた。私はそれを親に言うと「そんなことない」と言ったが、私の人生の起点はここから始まった。


 考えることを学んだ。それまで親のしてきた事を考えるようになった。その時の記憶ははっきり今でも覚えている。誰もいない夕方四時くらいに一人で小学校にあったジャングルジムに登って自分自身で考えるという世界を知った。


 私の世界が何故、外に出ないのかはまた別の機会に話すが、私が知る限り自分を捨てないで生きている人は非情に数少ない。

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